激情

「アンッ!!」


「アーロン・フレンザー!! 何のつもりだ!!」


 アーロンがアンに刃を突き付けて数瞬の間を置き、ようやく反応を返した二人。


 アンを心配するように呼ぶオーウェンと、怒号を飛ばすアーチボルド。その二人の様子を見て、アーロンは顔を醜く歪ませて愉悦の笑みを浮かべた。


「貴様‥‥‥!! アンから手を放せっ!!」


 アーチボルドに続き、同じように怒号を上げるオーウェン。対するアーロンは手元で恐怖に慄き、声一つ上げることもできないアンへと更に刃を近づける。


「見ての通りだ。貴様たちが少しでも抵抗のそぶりを見せたなら、直ちにこの女の首を落とす」


「卑劣な‥‥‥!」


 歯噛みするオーウェンに、押し黙るアーチボルド。アーロンにとって、感情の露わなオーウェンよりも幾分か状況を冷静に見ているアーチボルドの方が留意すべき存在であるように感じられた。


「アーロン‥‥‥正気に戻って‥‥‥」


 腕の内から、城外の騒乱にかき消されそうなほどの震えた声が発せられた。


 一拍の間。アーロンの顔から笑みが消える。


 変わって現れたのは部屋を飲み込むほどに激甚な殺意。


「お前はこの敗戦の中で俺が狂ったと、そう言いたいのか? 見当違いも甚だしい‥‥‥!」 


 アンの首に僅か、刃が食い込み、ショートソードが血に濡れる。


「やめろっ!!」


 狼狽するオーウェンだったが、アーロンは彼には目もくれずに腕の内のアンを睨み付けた。


「俺は狂ってなどいないッ! 俺は己の意思でここに居るのだ! 己の意思を満たすためだけにこの戦を引き起こしたのだッ!! 己の意思を‥‥‥生きる意味を貫徹する者にならともかく、貴様のような意志薄弱なる者に正気を疑われる謂れは無いッ!!」


「ひっ!?」


 尋常ならざる態度でまくし立てるアーロンに、刃を突き付けられているアンは当然のこと、それを見ているオーウェンでさえも圧倒される。しかしただ一人、アーチボルドだけは彼の言葉を聞き逃さなかった。


「貴様‥‥‥この戦を引き起こしたとはどういうことだ‥‥‥?」


 アーチボルドの問に、アーロンは多少の精神的余裕を取り戻した。心中にて、この女にかまけている暇など無いと己に言い聞かせる。


「言ったままの意味だ。先にあった使者役の虐殺。あれは俺の手によるものだ」


 再度顔に笑みを張り付かせ、嬉々として言うアーロンにオーウェンは目を見開く。


「な、なんだと‥‥‥?」


「当然その後、関所のベルンフリート兵を全滅させたのも俺だ。彼らは一切何もしていない所に、突如俺というイーニアス兵に急襲を掛けられたのだ」


 言葉を返す者は居ない。


「友邦に急襲を掛けられ、それによって七十人もの兵を殺され。更に現場には、かの国において英雄に等しい扱いを受けている、失踪したルーカスの遺体まで転がっていたとすれば、ベルンフリート側としては戦を仕掛ける他に選択肢は無い。皇帝にその意思が無くとも、英雄的な人物が殺されているとあっては民衆が黙っていない」


「し、しかし! 奴らそのルーカスと数人の間者を我が国へ忍ばせ、大規模火災事件を起こしただろう!」


 混乱のあまりに発せられた、意味が通っていない上に、ともすればアーロンのベルンフリート兵急襲を擁護しているとも取られかねないオーウェンの発言。


 しかしアーロンは、彼のその言葉に冷笑を以って返した。


「愚か者め‥‥‥。ここまで言っても分からんか。あの火災事件を裏で手を引いていたのは俺だ。国王反発派の人間を焚きつけ、利用させてもらった」


 絶句するアンとアーチボルドだが、オーウェンはここまで来てなおも引き下がらない。


「それならば、ルーカス・テオフィルスの遺体は何なのだ! 貴様の持ち帰った遺体を、過去に彼と面識がある者に見せたが、全員がルーカスに違いないと答えたのだぞ!?」


「確かに、奴は正真正銘のルーカス・テオフィルス本人だ。貴様たちもここにまで来れば魔法技術の存在を信じただろう? 奴は魔法技術の生みの親だったが、イーニアス王国とベルンフリート王国のパワーバランスを崩さぬよう自ら国を去り、イーニアス領の廃坑に身を潜めていたのだ。奴は魔法の追求に身を捧げていたが、その技術をベルンフリート帝国のものとして、無為に軍事力が高まることを良しとしなかった故だ」


 一拍、アーロンの顔が歪む。


「俺はふとしたきっかけで奴と出会い、魔法技術の手解きを受けたことがある。奴の住処を知っていたのはそのためだ。どうだ? 上手く奴に罪を押し付けることが出来たとは思わんか?」


「貴様は‥‥‥!!」


 オーウェンは嫌悪を滲ませた視線をアーロンに送るが、しかし当のアーロンにしてみれば、その視線こそが何物にも代えがたい悦楽であるのだった。


「貴様は‥‥‥一体何がしたいのだっ!?」


 絶叫にも近いオーウェンの糾弾に、アーロンはそれを超える咆哮にて叩き返した。


「貴様への復讐だッ!!」


 その気迫に、身を竦ませるオーウェン。しかし彼よりも衝撃を受けたのはアーロンの腕の中に居るアンであった。


「ふ、復讐ってまさか‥‥‥まさか‥‥‥あぁ‥‥‥!?」


 刃を突き付けられ青ざめていた顔が、それを超えて青くなる。だらだらと流していた冷汗は滝のように、震えていた身体は激しい動悸が交ざり更なる身震へと。


「私への復讐だと!? 私は貴様に恨まれるような事をした覚えは無いっ!! アン! 君は何か知っているのか!?」


 問いかけられたアンは、顔を俯かせ荒い呼吸をするのみで答えない。


「己の罪すらも自覚していないとは‥‥‥。貴様、こいつと初めて出会った時のことを憶えているか?」


 突如、神妙な面持ちでオーウェンへと問いかけるアーロン。語勢もこれまでの興奮交じりのものではなく、実に落ち着いたものであった。


「憶えているに決まっている! あれが私の人生の節目となった出来事だ、忘れられるわけがない!」


 声を荒げて言うオーウェン。対するアーロンの彼を見る視線は冷ややかなものである。


「節目か、確かにそうだな。では、その時にこいつの傍にいた少年のことは憶えているか?」


「‥‥‥少年? い‥‥‥たな。確かにいた」


 如何にもうろ覚えといった様子のオーウェンに、アーロンはその視線以上に冷ややかな吐息を吐き出した。


「そうか。貴様にとって彼は路傍の石に過ぎんか。だが、その彼にも己の全てを掛けるべきものがあったのだ。それは生きる意味と同義で、それが奪われたならば、国を滅ぼさんとするほどのものが彼にはあったのだ‥‥‥!」


 そこまで聞いて、オーウェンはようやく気付いたようであった。


「っ!? まさか‥‥‥貴様がその少年だと‥‥‥!?」


「そうだ」


「ならば、なんなのだ!? その奪われたならば、国をも滅ぼさんとするほどの、己の生きる意味とはっ!?」


「アンに決まってるだろッッ!!」


 先程の咆哮を上回る叫び。これまでにもアーロンは、取り繕わない感情をオーウェン達にいくつも見せてきたが、この叫びはこれまでのどれとも違う、全てを剥き出しにした生の叫びであった。


 その叫びに衝撃を受けてたじろぐオーウェンだったが、これまでに沈黙を守ってきたアーチボルドは違った。彼はアーロンの叫びを千載一遇の好機と見て取ったのだろう、己の左腰に差してある、装飾で輝くレイピアをアーロンへと投擲したのだ。細剣は真っすぐにアーロンの顔へと飛んだ。


 しかし、隙を突かれたにも関わらずアーロンの反応は敏速であった。アンに突き付けていた血塗れのショートソードをアーチボルドの顔面へと向けて正確に投擲し‥‥‥。


 ――それは故意であったのか、それとも咄嗟の行動であったのか。


 腕の内に抱えるようにしていたアンの首を掴み、魔操術によって片手にて彼女を持ち上げ‥‥‥飛来する細剣の盾としたのだ。

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