狂鬼

 グレンが目を覚ましたのは薄暗い屋内であった。


(ここは‥‥‥? いたっ!?)


 頭に走る鈍くも思い痛みに顔をしかめる。


 どうやら、ここはグレンたちが乗ってきた馬車のようであった。彼女はそこで手足を縄で拘束されているのだった。


「目が覚めたか」


 暗い声と共に外から姿を現したのは、兵士団長であり、グレンからしたら忌むべき逆賊でもあるアーロン・フレンザーであった。その左肩には真っ赤に染まった包帯が巻いてある。


 彼の姿を見た瞬間、グレンはこれまでの事を全て思い出した。


「あ、貴方っ!!」


「貴様に聞きたいことがある」


 声を荒げるグレンの言葉を、アーロンは普段と変わらぬ無表情にて遮った。


「何故、俺があの三人を殺したことが分かったのかを聞きたいのだ。魔法を信じない貴様からすれば、確かに、あの時俺が言ったことは荒唐無稽に聞こえただろう。だが貴様がその話を信じなかったとしても俺を犯人だと断定する材料にはならん」


「‥‥‥」


「にも拘らず、貴様は俺の腕を両断するつもりで切り掛かってきた。俺が三人を殺した犯人だと確信があったという事だろう」


「‥‥‥」


 黙秘。グレンはただ眼を閉じて拒絶を言外に表すのみである。


「‥‥‥三人の遺体にはまだ土を被せていない。あれらを寸刻みにして獣にでもくれてやろうか。貴様の要らん意地によって、奴らは死してなおその名誉を傷つけられることになるぞ」


「あっ貴方という人は‥‥‥!!」


 憤怒がグレンの胸に広がる。アーロンには当然、これまでに彼を尊敬し、憧れ、彼のような兵士を目指していた自分自身の愚かさにもである。


 しかし、手足を縛られた状況にあってはその激情をぶつける術は無い。彼の問に答えなければ三人の遺体は、彼のいう通りに寸刻みとされて獣の餌となるだろう。恐らくはグレンの前で‥‥‥。


「‥‥‥遺体の切断面を見て、貴方がやったのだと気が付きました」


「‥‥‥切断面だと?」


 胸に沸く怒りを押し殺し、平静を繕いながら答えるグレン。対するアーロンは驚きからか僅かに眉を上げた。


「正しくは切り込みの入りの部分です。貴方の横薙ぎはいつも決まって斜め下がりですから」


 淡々と話すグレンに、しかしアーロンは納得がいかないようであった。


「それは気が付かなかった。しかし、俺以外にも‥‥‥例えば兵士団にもそういった剣筋の者が居るだろう。そこだけを見て俺だと断定するのは早計だと言わざるを得ないと思うが」


「いえ、あれは間違いなく貴方の剣筋でした。今となっては忌々しいことですが、私は少しでも貴方に近づこうと、その一挙手一投足を観察していたんですから。修練で貴方が切った丸太まで確認していたんです。間違いありません」


「‥‥‥そうか、分かった。これからは気を付けるとしよう」


 言いながら、静かに剣を抜くアーロン。まるで何気ない動作であるかのような抜剣であったが、それの企図するところは用済みとなったグレンの殺害であろう。


「‥‥‥私を殺すんですか」


 この状況にあってグレンに怯えや恐れは無かった。


「そうだ」


「‥‥‥最後に一つ、答えてください」


「‥‥‥」


 声を返さないアーロン。それが否定であるのか肯定であるのかは分からないが、グレンは構わずに質問をかけた。


「貴方が三人を切った理由。それを聞かせてください」


「命乞いもせずにそんなことを聞くのか」


 ――そんなこと。


 その一語にグレンの顔が再び熱を帯びる‥‥‥が、彼女はそれを言葉としては出さない。


「私は兵士です。何があっても命乞いなどしません!」


 女人であるグレンが兵士であることには、ここでは語られぬが大きな意味があった。それは役職の話では無く、心が兵士であることがである。そしてこの状況においても彼女はそれを曲げる気は無いのであった。


「もし、貴方が不当な理由で彼らを切ったというなら、私は死んでも貴方のことを呪い続けます」


 毅然とした態度で言い放つグレンに、アーロンは不敵な笑みを浮かべた。滅多に表情を変えることが無い彼の浮かべるその笑みは奇妙かつ不気味だが、しかしそれと矛盾するような自然さをも湛えていた。


「ククッ! 不当‥‥‥不当か‥‥‥! 俺にしてみれば、ラザレスらを殺し罪人に仕立て上げたことも、大規模放火事件を起こしたことも、師を殺し己の罪を押し付けたことも、先程三人を殺したことも‥‥‥そしてこれからお前を殺すことも、至って正当な理由ゆえなのだがな‥‥‥!」


 表情とは裏腹に、普段と変わらぬ低声にて語られる悪行の自白。それを聞いたグレンは驚愕の衝撃にて絶句するよりほかに無かった。


「そ‥‥‥んな‥‥‥!?」


 目指していた人間が仲間殺しの罪を犯した。それだけでグレンにとっては万死に値する、許されざる行為である。だが、彼の語った悪行の数々はそれを上回るものであった。


 数秒か数分か、グレンが放心より戻るまでの間アーロンはその醜悪なる笑みにて彼女を見下ろし続けていた。


「なん‥‥‥で、そんなことを!?」


 その言葉を聞いた瞬間、彼の表情から笑みが消える。普段と変わらぬ無表情に。


「王子オーウェン・イーニアスへの復讐のためだ」


「ふく‥‥‥しゅう? 王子‥‥‥への?」


 未だ、心ここにあらずといった様子で呟くグレン。


「そうだ。俺は幼少の頃より一つの目標に向かって生きていた。その目標こそが俺の生きる意味だった。だが、奴はそれを奪い去って行った。俺の生きる意味をだ」


 余りにも突拍子の無い話に、全く理解が追い付かないグレンであったが、しかしアーロンはそのことに気が付かないようで憎悪を感じさせる語調にて話し続けた。


「許せん‥‥‥絶対に許せない‥‥‥! だが、俺はまだ幸福だ。生きる意味を奴に奪われても、また新たに生きる意味が生まれたのだから! 復讐という生きる意味が‥‥‥!!」


 彼は最早グレンに話してはいなかった。ただ天井を仰ぐように、虚空に向かって一人喋っているのだ。


 アーロンの放つ憎悪と狂気の前に、グレンはただ硬直する以外に無い。兵士として生きて兵士として死ぬ。彼女はその信念のために死を恐れないが、しかし今のアーロンを前にしては底なしの畏怖を感じずにはいられなかった。


「俺は奴に復讐をする‥‥‥! 奴の生きる意味の全てを奪い去り、滅ぼし、消し去ってやる‥‥‥!! 復讐心すらも生まれさせない‥‥‥!! ククッ!! ケッハハハハハッ!!」


 激情も露わなアーロンの話は、それが終わりに近づくにつれて普段の彼の繕いが剥がれていくかのようであった。


 馬車に響き渡る狂笑。もし両手が自由であったなら、グレンは間違いなく耳をふさいでいたであろう。それほどに聞くに堪えぬ笑い。おおよそ人間の出せるものだとすらも思えぬ笑い声であった。


(狂ってる‥‥‥)


 数十秒の笑いの末に、グレンへと顔を向けたアーロンは普段と変わらぬ無表情へと戻っていた。そこに先程の狂気は微塵も感じられず、その瞳にも至って理知的な光が戻っていた。


「聞きたいことはそれだけか」


 何事も無かったかのような言葉。その言葉自体には無いが、先程の様子と照らし合わせての狂気がそこにはあった。


「あ、貴方は‥‥‥これから‥‥‥どうするつもりなんですか‥‥‥?」


 その弱々しいグレンの言葉に、先程のような気丈さは無かった。


「関所に赴き、そこのベルンフリート兵士を鏖殺おうさつする。その程度なら片腕であっても問題なく実行できよう」


「―――」


 絶句。関所の人間をみなごろしにすると言ったアーロンに、グレンは言葉を返すことが出来ない。


「そしてそこにルーカスの棺桶と、イーニアス兵が殺したと分かるようにこの馬車を置いて行く。かつて師に聞いた話だが、今のベルンフリート皇帝は先代に似ず好戦派であるらしい。イーニアス領である東には手を出さずにいるが、国力の低い西や北を次々に征服していっているという話だ」


 淡々と語るアーロンに、やはりグレンは言葉を返せない。


「現在はイーニアス国王が穏健派でベルンフリートに対し友好外交を行っているので手を出さずにいるらしいが、もし自国の兵士がイーニアス兵に殺され、ベルンフリートの賢人と呼ばれたルーカス・テオフィルスをも殺されたとあれば、好戦派のベルンフリート皇帝はどうするだろうか」


「‥‥‥報復」


 青ざめて、呟くように言うグレン。


「そうだ。そして俺は国に帰ってすぐにベルンフリート帝国の関所で、貴様たちが鏖殺されたと伝えるつもりだ。大規模火災事件の真相を知らぬ王室の奴らは、これでベルンフリート帝国がイーニアス王国に敵対しているのだと考えるだろう」


「貴方は‥‥‥戦争を引き起こすつもりなんですか‥‥‥?」


 猛獣を見るような、化物を見るような、何とも形容しがたい恐怖を湛えた眼差しでグレンはアーロンを見て言った。


「そうだ。俺は奴が生きる意味の全てを奪う。その一歩が国だ。であれば戦争を引き起こす他にあるまい」


 答えるアーロンはどこか楽しげである。対するグレンはそんな様子のアーロンを見て、更なる畏怖を感じるのだった。


「先程の威勢は消え失せたか‥‥‥。聞くことももう無いと見える」


 右手に握ったままであったショートソードを振り上げるアーロン。


「‥‥‥っ!!」


 振り下ろされたアーロンの剣がグレンの頬を浅く切り裂いた。声を上げなかったのは兵士としての意地か。


「激戦を演出するために、貴様の遺体は処くまなく傷をつけてやる。今のようにな」


 日が暮れた草原の片隅。日が昇るまで、そこに人が通りかかる事は無かった。

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