ピント
「……なるほど」
涙ながらの強烈な張り手を浴び、気持ちとしてはなるほど、どころではなかったが、とにかく動揺したので、なるほど、とアシュは答えた。
「ひっく……ひっく……」
「少し、誤解があったのかもしれないな」
「……」
ご、誤解もなにも、とその場にいる全員が思う。
ただ一人だけ。そんな妄言を発したアシュ自身が『なるほど誤解か』と思った。
「なにも僕は、エロール君とフェンライ君の親子関係を否定している訳ではない。ただ、血縁としての関係、いわば血の繋がりを持っている可能性がないと言っているだけなんだよ?」
「ひっく……ひっく……ええええええええ、えええええええええん」
「……っ」
誤解もなにも、連呼だった。泣き出して、その場にへたり込むエロールに、アシュ、慌てる。
「お、落ち着いて聞いてくれ。誤解なんだって! 君たちはいい親子なんだろう。そこまで、泣いて悲しむぐらいだから。ただ、遺伝上の親子関係は成立してない。えーっと、だから、要するに男女が子どもを産むのに必須の行為を……」
「もう、黙ってください。女の敵」
「な、なんで?」
リリーがエロールの肩を抱いて、アシュを睨む。
「アシュ=ダール。いくら、なんでも酷すぎないか? エロールは我が娘だ。それは、間違いない」
フェンライは絶対に認めない。認めるわけにはいかなかった。もちろん、彼だって薄々気がついている。と言うか、もはやそうだって思っている。
ただ、貴族界において、妻が不貞行為に及んで他の男の子どもを産んでいるという事実を認めれば、今後、歴史にそれが刻まれてしまう。太陽宰相と謳われ、栄光の歴史を歩んできた者が、間男に……そんな汚点を残すわけにはいかなかった。
いわゆる、公言とNTRが成立してしまう事態は絶対に避けねばならなかった。
「も、もちろん、僕もそれを否定してない。いい親子じゃないか。ただ、君の遺伝子を引き継いでいないと言っている、それだけなんだよ」
「……っ」
そこが全てだ。そこが、全てなんだよ、とフェンライは歯ぎしりをする。
「なぜ、そんなことがわかる? 確かに、外見は似ていないのかもしれない。しかし、内面的なものは違う。私とエロールは、本当にそっくりだと言われている」
「……僕を誰だと思っている? 自慢ではないが、こと遺伝学に関しては、右に出るものはいない。何千人……いや、何万人の検体を見てきたと思ってるんだい? そんな僕からすれば、君と彼女に血縁関係はないと断言できる」
「くっ……」
こいつ。全然譲らない。部外者なのに。家族のデリケートな問題なのに。圧倒的に他人事のはずなのに。
「それに内面的な遺伝も議論はされているが、証明はされていない。僕はむしろ、後天的な作用の方が強いと見ている。だが、外見的な遺伝は確かな情報だ。99.9999パーセントの確率で血縁関係はないと断言できるよ」
「で、でも、0.00001パーセントは成立すると言うことだ! 絶対ではない」
「そんなことを言えば、学者は論文など出せない。99.9パーセントであれば、世間的には真実だと見なしていいだろう。まあ、君の主張も誤りではないから、0.00001パーセントは親子が成立する可能性があると言っていいが」
「……っ」
フェンライは周囲を見渡した。執事たちは、すでにヒソヒソ状態。これは、マズい。不味すぎると、小太り男は脂汗を垂れ流す。
貴族界における執事というのは、歩く噂話と言っても過言ではない。1週間も経てば、社交界ではこのゴシップに夢中になるだろう。
しかし、そんなフェンライを尻目に、アシュはエロールの方に駆け寄る。ハンカチを差し出すが、当然バシッとされる。
そんな闇魔法使いは、やれやれと肩をすくめ、口を開く。
「ほら、もう泣くのはやめなさい。せっかく美人に生まれてきたのに、台無しだ」
「ひっく……ひっく……」
「血縁関係がそんなに重要かい? 僕には、そうは思えないけれど」
そう言って、アシュはフェンライを優しげな瞳で見つめる。
「彼だって……きっと気づいてたんじゃないかな」
「えっ?」
「だって、二人の外見を比べれば明らかだ。しかし、君と血が繋がってなくても……彼は君を……娘として育てた。いい親子じゃないか」
「……」
「僕は、それが全てだと思うけどね」
「……」
アシュはエロールに、フッと微笑む。
やはり、ピントがズレていた。
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