めまい


「アシュ先生が……各国を巡ると?」

「は、はい」


 秘書が頷いた瞬間、白髪の老人の表情が如実に曇る。


「なにか問題がありましたか? 他国への就職を望む生徒たちのために行動するなんて、私は素晴らしいことだと思いましたけど」


 自らペラペラと自慢げに話すアシュの態度が気に入らなくて、結果エステリーゼの好感度は目減りしたが、基本的に行っていることは理想の教師そのものだろう。


「……まず、エステリーゼ先生に言っておきたいのは、アシュ先生はなにか行動をするだけで必ず問題が発生するということです」

「ひ、酷っ」


 エキゾチック美女は思わずつぶやいた。

 確かにそうかもしれないが、大陸が誇るほどの性格最高魔法使いが、これほどハッキリと罵詈雑言を繰り出すとは思わなかった。


「これは、語弊でもなんでもなく純然たる事実です。極端なことを言えば、あの方は、息をしていることだけでも大陸に影響を持つほどの希有な魔法使いなんです」


 ライオールの知る限り、そのレベルに達している魔法使いは4人。史上最強の魔法使いヘーゼン=ハイムは多くの魔法使いに恐怖を与え、生ける大聖女テスラ=レアルはアリスト教を信仰する民衆の象徴的な存在としてあり続けている。


 そして、もう1人。かつて、死者の王ハイ・キングと呼ばれたゼノスという闇魔法使いは、聖魔法使いを数百年以上刈り続け、大陸に混沌を与えた。


「中でも『闇喰い』と呼ばれているアシュ=ダールという魔法使いは、彼ら以上に影響が大きい。いい意味でも悪い意味でも」

「……それほどの人物なのですか」

「ええ。私など比較にならないくらいの」

「そんな……」

「事実ですよ。紛れもないね」

「……」


 ライオールは心の底からそう思っている。

 時代を彩る魔法使いというのは、なにかを為すことで影響力を持つようになるものだ。ヘーゼンが、強なる魔法使いを蹂躙し続けたように。テスラが貧富の差を問わず人々を癒やし続けたように。ゼノスが各地の農村を巡り村人たちを死兵へと変え続けたように。


 いい意味でも悪い意味でも、自分は彼らの実績には敵わない。


 思えばロイドもそうだった。類い希な能力を持つにも関わらず、運に恵まれず、機会に恵まれず、歴史に彼の文字が刻まれることはなかった。

 時代というのは残酷だとライオールは思う。能力のある者ではなく、何を為し遂げた者にのみ人々の記憶に残り続けるのだから。

 

「他の偉大な魔法使いも、アシュ=先生に見劣りしないほどの魔法使いであることは確かです。ただ、あの方は圧倒的に自己分析が不足している」

「えっ……ただ、そんなことですか?」

「個人にとっては小さいものだが、やはりその影響力故に厄介なのだよ」


 ライオールは苦笑いを浮かべる。

 アシュという男は、他人の評価と自身の評価が大きく異なる。もちろん、ミラがたびたびそれを言い聞かせるが、一時間後には忘れてしまう。


 ……いや。あえて自分を見つめようとするのを、恐れているのか。


 だから、何事も軽々しく行動する。仮に、彼が善意の行動を施したとしても、他者がそう受け取らないということを、彼が本質的に気づくことはないだろう。それは、アシュという男が他者への依存を必要としていない魔法使いだから。しがらみに縛られることがないが故に、他者を慮った行動をすることはない。 


 他者への共感能力と想像力。


 法的概念と秩序。


 道徳と倫理感。


 人間が当たり前のように持ち、当たり前のように働く自制機能を、彼はまったくと言っていいほど持ち合わせていない。最初からそうであったのか、後にそうなったのかを語る者はいない。ただ、彼やその周囲とのやり取りで推察することはできる。


 恐らくヘーゼン=ハイムという怪物が、アシュ=ダールという化け物を育てたのだろう。 


 かつて彼が持ち合わせたものを埋めようとするかのように、彼は生徒にそれを教える。自身がかつて持ち、失ったものを捜索するかのように。ライオールはたびたび、アシュの授業を見るが、そのたびにせぐりくる想いを抑えずにはいられない。


「特にギュスター共和国へ向かうとすれば、用心しなくてはいけません。至急バルガ君と連絡を取って、誤解を解かなければ……っと。ちょうど、情報が入ってきたようだ」


 窓のガラスをつつく鳩。これは、ライオールが手作りした魔道具である。信じられぬことにアシュはこのような烏を数百万羽もって諜報するというが、ライオールのそれは、より高機能である。


 その鳩は、自身の見たり聞いたりすることを記すことができる。大陸のどこにも明かしていない、ライオール自慢の発明品である。


「ええっと……『セイトタチガ ダリオオウユウカイケイカクヲ タテテマス』」

「……」

「……」


          ・・・


「……っと」

「ら、ライオール先生! 大丈夫ですか!?」

「は、ははっ。ちょっと……立ちくらみがしただけだよ」


 ライオールは疲れた表情で笑った。

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