撤退
ギュスター共和国は立憲共和制を敷き、一貫して王権の排除を行ってきた。
そんな権力なき王の座に着いたダリオが、側近として抜擢したのがバルガという男だった。
ダリオ王は、一兵卒として幾多の戦場を駆け回り、敵としてバルガと戦ったこともあるほど勇猛な戦士である。彼のような者には、象徴としての飾り物の王はあまりにも退屈であり、バルガのような鋭利な剣が必要だった。
実際、バルガが軍事権を掌握した後、戦に及び腰であった共和国大臣たちへの権限が増した。今では実質的な権力はダリオ王が半分を占めるまで至っている。
そして、先ほどの有能執事の言葉が意味すること。それは、ダリオ王をすでに捕縛しているということだった。
「……ハッタリだ。あの方はそう易々と捕まるような方ではない」
バルガは冷静に答える。いかにアシュ=ダールと言えど、ダリオ王の周辺警護を隠密で駆逐できるような部隊はいない。ましてや、自分が気づくことなくそれを実行できる者など。
そもそも、ダリオ王自身が剣王と呼ばれるほどの戦士である。一騎当千と呼ばれるほどの猛者である彼がそう簡単にやられる訳はない。
「先日、やはりフェンライ様も同じようにおっしゃいました」
「そんな不確かな情報で揺さぶられると思っているのか?」
バルガはそう言い捨て、二の太刀を有能執事に浴びせる。辛うじて、彼女はそれを受け止め、その衝撃で数歩後ろへと下がる。
「主人のアシュ=ダールはよく私にこう言います。情報とは、『もし、そうならば』と思わせるぐらいがちょうどいいのだと。その方が誤った選択を選んだとき、より面白い
「……っ」
確かに、あの闇魔法使いが考えそうなことではある。百戦錬磨のバルガが手こずるのは、彼の思考にあった。
常人とは異なる独特の感性が、軍師としての読みの斜め上に行く。
アシュがダリオ王を陥れる可能性は少ない。ただ、ないとは言い切れない。ここでそれを言うということは、奴は二つの分岐を敷いていると言うことだ。『戻る』か『進む』かで大きく運命は変わる。
それは、バルガの忠誠心が試されていると言うことだった。
彼は万が一の可能性を考えて行動せざるを得ない。王の懐刀であるという彼の立場が。その仁熱き性格が。ダリオ王への恩義が。
失うときの損失を考えて行動せざるを得ない。
「いいから早く回しなさい! 早く……早く……早くだ。早くルーレットを回すんだ……早く……早く……早く……もう、時間がないぞー。時間が」
「くっ」
相変わらず意味のわからないキチガイ発言が、バルガの思考を一層迷わせる。ルーレットとは果たしてなんなのか。なぜ、それほどまでに追い立てているのか。
「……一旦、全員退け。これでいいのだろう?」
バルガは歯を食いしばりながら答えた。元々の襲撃を読まれていたのならば、対抗する
「感謝します」
「……今度は不安要素を排してくる」
そう言い捨てて、バルガは背を向けて闇へと消えて行った。
ミラは彼の背中が消えるのを見送っていたが、やがて馬車の中へと入った。
「ミラさん! どうなってるんですか!?」「このルーレットはなんなんですか!?」「もう嫌だー! おうちに帰りたい―!」「わ、私はアシュ先生のためなら……」「頼むリデール! 僕らを巻き込むなー!」
混沌とする車内。
響く阿鼻叫喚。
そんな中。
「おっ、ミラ。終わったかい?」
「……頼みますから、少し黙っていてもらえますか?」
有能執事はキチガイ主人の死を心から願った。
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