伝聞
アシュの背中はこれ以上ないくらい、堂々としていた。逆に、あんな辱めを受けて(自ら強いて)、なぜ顔をあげていられるくらいか不思議なほどに。
「……どうやら、もう少し説明しなくてはいけないようだな。アシュ=ダールが来たからと、大司教に取りついでくれないか?」
「えっ……あの、先ほど言いましたが、私はただの受付なので」
即拒否。門前払い。先ほどと全く変わらぬ回答。アシュはそれでも動じない。すでに、心の顔は真っ赤っか。しかし、それをポーカーフェイスでやり過ごせるほど、彼の精神力は鋼だった。
「……ふむ。それは、そうだ。では、どこへ行けば会えるかね?」
「えっと……あの、私はただの受付なので」
「うむ。でも、たとえ受付であっても、向上心は持つべきだと思うよ。なんとかお客のニーズを掴もうとサービスの向上を図るといい」
「えっ……と……でも、私はただの受付なので」
「うん。それは、わかってるんだ。だが、そもそも受付の仕事って何だと思う? 僕が思う受付の定義と言うのはね――」
アシュは、粛々と受付の説得を始める。後ろには長蛇の列。さすがに、巡礼なので怒号などは飛び交わないが、至る所で巻き起こる舌打ち。チッチチチッチチチ……舌打ちの大合唱が聞こえていないのか、それでもアシュは説得を続ける。
「も、もう! なんなんですか!? もう、帰ってください!」
「いや、帰らない。君は今、重大な過ちを犯しているよ? 非常に後悔をする選択をしようとしている」
「いいです! とにかく、帰って! 帰って―!」
「まあまあ。話を聞きたまえ」
・・・
そんなやり取りがどれだけ続いただろうか。受付の人が涙目になり、後ろの人々から怒号が飛び交い始めた頃、執事のミラが一歩前に出て、受付の人の方を向く。
「あの、あなたの雇い主を呼んでいただきたいのですが」
「わ、わかりました」
受付の人は逃げるように後方へと走り去った。
この時、アシュが使用したのは20分。後ろで長蛇の列を作っているのは300人。彼の遅延行為で合計で6000分、100時間と言う時間が無為に失われることになった。
「アシュ様、受付の人は組織内で地位が低い場合がほとんどです。いきなり、地位の低い者がトップを呼べと言われても、そうそう取り次ぐ者などいません。まずは、一つ上の上司から取り次いでいくのがいいのではないでしょうか?」
「……まったく。最近の子たちは教育がなっていないよ。ああ、誤解しないよう言っておくが、教育側の問題だな。彼らは教えるのが面倒だからと理由を説明しない。だから、考えもせずに簡単にできませんなどと言うのだ」
「……」
自分の失態を完全になかったことにして、アシュは昨今の教育界の現状を憂う。そんな主人をジト目で眺めながらミラは思った。
ああ、こいつ、来るところまで来たな、と。
「……アシュ先生。だから、あなたは何がしたいんですか?」
リリーが心の底から尋ねる。
「だから、会うんだよ。会って話をするんだ」
「は、話? なにを悠長なことを言っているんですか!?」
「……では、聞くが君たちは彼らとどれだけ話したのかい?」
「そ、それは……話す暇もないで襲ってきたんです。話し合う暇もなかったんです!」
「じゃあ、ちょうどいいじゃないか。僕が話し合う場を設けてあげるから、互いに理解し合えるよう、徹底的に話し合いなさい」
「……っ、何を言っているんですか?」
「僕は当たり前のことしか言っていない。君たちはまず会話を行わないで、すぐに力で解決しようとする。僕から見れば野蛮極まりない行為さ」
「……」
「まずは、キチっと話をする。それでどうにもいかなかったら、それでも話をしなさい。自分が納得できるまで。相手が納得できるまで。戦闘行為などは、その遥か先のものだ」
アシュは根っからのは平和主義者である。自分からは決して、意図して人を傷つけない。しかし、意図しないところで大陸で最も人を傷つけているだろう男の周囲では常に争いごとが勃発している。
それは、執事のミラに言わせれば『滑稽なほど皮肉である事実』という。
そして数分後、受付の上司らしい男が数人の護衛を引き連れてきた。
「お、お前か? 異常すぎるくらいヤバい奴というのは?」
「ふむ……彼女には物事を伝聞するという資質に欠けているようだね。情報が正確に伝わってないな。いいかい――」
懇懇と上司らしき男に説明を試みるアシュを眺めながら、
これ以上ないくらい正確な情報だ、とミラは思った。
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