恐怖


 豪奢な食卓に、世界各国のあらゆる料理が立ち並ぶ。主人の席に座っアシュは、ほぼ身動きの取れない男女を席に座らせる。


「久しぶりにアレを飲もうか。ド・ンエラリードを開けてくれ」


「かしこまりました」


 ミラはワインセラーから迷いなくチョイスして、タリアとバッシュの前にグラスを置いた。やがてそれに、血のような朱が注がれる。


「この年の気候はひどく湿気が多くてね……不作だったんだ。でも、それが逆にこの芳醇な香りを生み出したと言われている、あまりにも皮肉な物語じゃないかい?」


「「……」」


 な、なにやらウンチクが始まった、と二人は思った。しかし、今はワイントークなど、どうだっていい。心底どうだっていい絶体絶命の男女である。


「あの……身動きが取れないと、飲めないのだけど?」


 タリアは、恐る恐る口にする。


「おっと、これは失礼した」


 そう言って、闇魔法使いはパチンと指を鳴らす。途端に彼らの束縛は解けて、身体が自由に動けるようになった。


「さあ、これでディナーを楽しめるはずだよ」


「……ええ」


 痩せた女と小太りの男はワインの香りを確かめる。どうやら、毒は入っていないらしい。意外にも簡単に解放したのは、単なる余裕なのか、それとも別の思惑があるのか。目の前にいる闇魔法使いの思惑は計りかねるが、なんとか脱出しなくてはいけない。


「飲まないのかい? ああ、お腹がすいてるのかな?」


「いえ……ちょっと食欲がなくて」


 バッシュは苦笑いを浮かべながら答える。と言うか、敵から差し出された食事など食べられるかと心の中で毒突く。


「ふむ、せっかく用意したのに、それはつまらないな。ミラ、実験室に入れておきなさい」


「はい」


「あっ……ちょ……」


 最後まで言い終わる前に、小太りの男は連行されていった。


「さて、タリア」


 闇魔法使いは満面の笑顔を浮かべる。


「ひっ……」


「ワインの香りは楽しんでいただけたかな? 味の方も最高だから、ぜひ転がしてみてくれたまえ。それとも……?」


「い、いえ! すごくお腹がすいているわ。ワインも……すごくおいしい! 本当に最高の味ね!」


 ごくごくとワインを飲みながらも、もはや味などしない。と言うか、生きた心地がしない。酔っ払うことは皆無だったが、すべての臓物を吐いてしまうほどの吐き気を感じる。それくらいの不気味さを、目の前にいる男から感じた。


「それは、よかった。水晶玉で眺めながら、君とはフィーリングが合うと思ってたんだ。そこにある子鴨のマルゲリーナも絶品だよ」


「え、ええ。いただくわ……うん、美味しい美味しい‥…ウプッ」


 思わず嘔吐しそうになるのを必死で抑える。当然味も一流なのだろうが、極度の緊張で胃と舌が全く機能していない。目の前の魔法使いは、いったい、なにを考えているのだろうか。事前情報では、最悪だった。捕まればほぼ間違いなく解剖バラされるとも。しかし、今はとにかく食べなければ。言うことを聞かないと殺される。タリアは急いで皿に盛り付けて、パクパクと食べ始める。


「そうか。口にあってよかった。フィーリングだけじゃなくて、料理の好みまで合うなんて、なかなかないよ。なあ、ミラ」


「ええ、本当にそうであればですが」


 主人の側に仕える美しすぎる執事が淡々と答える。このミラという女性も、まったく笑顔を浮かべることはない。まるで、人形のような仕草に、果てしないほどの恐怖を感じる。


「まったく疑り深い執事だ……彼女が嘘をついていると? 見たまえよ、彼女の笑顔を。あれがこのもてなしを心から楽しんでくれている証拠でなくてなんなんだ? ねえ」


「……っ、ええ。もちろん……ウプッ」


 漆黒の眼光を向けられ、息ができぬほどの緊張に襲われる。こんな気持ち悪い場所に1秒だっていたくない。こんな奇妙な晩餐なんて、1回きりだってごめんだ。こんな不気味な相手と一瞬だっていたくない。相手だって、それがわかって言っているのだろう。まさか、本気でこちらが楽しんでいるなんて思っているわけがない。


「ほらね。随分と気に入ってくれたようで嬉しいよ。さあ、そうと決まれば、提案があるんだ。ゲストルームに部屋を用意してあるから、ゆっくりとしていってくれたまえ。君さえよければ、当分はここに泊まって行けばいい。今日のように、毎日美味しい食事を楽しみ、ワイントークに華を咲かせようじゃないか。なんなら、ずっとだって、ここにいていいんだよ?」


「……っっ……ウプッ……」


 い、嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌……


「……うおええええええええええ」


 あまりの拒絶反応で、その場で嘔吐した。頭ではダメだとわかっていても、心が目の前の男を受け付けない。


「おや、大丈夫かい? あまりにも美味しい食事で胃がびっくりしてしまったかな。ミラ、僕の作った特性胃薬を持ってきてくれ。あれは、


「かしこまりました」


「……嫌」


 目の前の魔法使いの不気味な表情を見て。確信した。こいつは自分を殺そうとしている。


「大丈夫だよ。すぐに、楽になるから」


「……嫌……嫌……嫌ーーーーーーーーーーーー!」


 タリアは狂ったように叫んだ。 




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