東の大陸


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 これは夢だ。絶対に嘘だ。こんなはずじゃない。とある戦場にて、息を激しくきらしながら、男は何度も何度も連呼する。


 男はセザール王国の兵だった。同期の中で最も若くして部隊長の座につき、小国との国境防衛を任された。敵の魔法使いたちは、とるに足らぬ実力で、自分のような強者からしたら遊び相手にもならない。


 ときおり、暇つぶしがてら敵を蹂躙して痛ぶる。ただ、それだけの簡単な仕事だった。この日も、部隊を引き連れて侵略を開始した。ここには、女も、うまい食べ物も、酒もない。せめて、娯楽殺しがないとやってられない。


 そんな風に思っていた。


 突然、仮面の魔法使いが舞い降りてくるまでは。


           ・・・


 30分後、ライオールが来た時、すでに男は、無数の死体の山に埋もれていた。


 まるで、玉座かのように。


 ヘーゼン=ハイムは堂々と居座って本のページを高速でめくる。仮面を外している顔は、いくばくかの幼さが残るほど若々しかった。


「まだ足りないな……」


 彼が死んでいた30年という期間は決して短くはない。その空白を埋めるかのように最強魔法使いは、必死に知識と経験殺しを吸収する。


「……」


 ライオールは思わず苦笑いを浮かべる。見たところ、死体の数は千を超えている。生き残っているのはただ一人。ただの腕慣らしで殺された者たちは、『運が悪かった』としか言いようがない。


「もう百ほどの戦場を回らなくては、以前のカンは取り戻せないか」


「……あまり派手に動かれると、アシュさんに気づかれますよ」


「それは、すでに排除している」


 ヘーゼンが指をさした先には、数匹の鴉が転がっていた。あの闇魔法使いの尖兵であり、自動で情報を収集する人形である。もちろん、簡単に見つけられるような類のものではない。


「……やはり、恐ろしい方ですよあなたは」


 そこには一分の隙すらない。それは、若かりし青春を全て戦場で費やした彼だからこそ為せる業と言っていいのだろう。


「しかし、全盛期の力を取り戻したとしても、あの忌々しい男には勝てないだろうな」


「……ええ」


 冷静に分析する最強魔法使いの若者に対して、一番弟子である老人は頷く。ロイド、ミラという大陸でも五本の指に入る強者に加え、戦悪魔、滅悪魔の中位悪魔を使役することができる。その頭脳は狡猾。土壇場の窮地からの閃きは天才。どれだけ攻撃されても再生する不死まで備えた化け物。


 そして、性格は最悪。


 一方、ヘーゼンの戦力は芳しくない。戦天使は堕とされ、奪われた。怪悪魔はすでにライオールのものだ。頼りの聖闇魔法すら、すでに攻略され始めて来ている。


 性格の悪さ……はいい勝負だな、と好々爺は心の中でつぶやく。


「ライオール。私は東の大陸へ行こうかと思っている。時代は新たな担い手を必要としている」


 ヘーゼンは本を閉じて、立ち上がった。


 ナルシャ国を始め、セザール王国、ダルーダ連合国、デルシャ国、ギュスター共和国などがひしめくのが西大陸だとすれば、黒海を挟んで東側に同じほどの大陸が存在する。

 

 その地には、西の大陸とは異なった文化形成を為している。例えば、西は救世主アリストの伝説が有名だが、東では主に魔王と聖王の逸話が語られている。また、西では天使と悪魔の崇拝が比較的発展しているが、東ではまったく異なる信仰形態が為されているという。


 ヘーゼン自身、その存在は知りつつも、それ以上は踏み込まなかった。それは、アシュもライオールもまた同様である。そもそも彼らはヘーゼンを支持する聖、闇属性の第一人者だ。下手に浅く東の文化を学ぶより、深く西の知識を深めることに人生を費やした。


 しかし、学び盛りの若さを手に入れた最強魔法使いは、直感的にそれが必要だと考えた。時代は明らかに、次へ次へと流れている。かつて、ゼノスのような純粋な闇魔法使いが大陸を席捲した。それをヘーゼンという聖闇魔法使いが破り、新たな時代を切り開いた。しかし、それは更なる進化を促すための過程に過ぎない。


「……それがアシュさんだと?」


「いや。奴はゼノスと同じ古典クラシックタイプだからな。順番から言えば、次は聖属性ではあるが」


「……」


 ヘーゼンの発言を聞き、ライオールはすぐさまテスラのことを思い浮かべる。今になって彼女が出てきたのは偶然か……それとも。


「なんにせよ、テスラには奴も苦労するだろうな。性格的にも属性的にも厄介な相手だよアレは」


「……あまり人の心を読まないでもらえますか」




















 好々爺は苦笑いを浮かべた。

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