幕間 ロイド


 リリーたちと別れた数日後、ミラは禁忌の館に戻っていた。


「……」


 キチガイ主人がいないこの場所では、いつもと同様沈黙の音が聞こえる。かと言って、キチガイ発言が響くよりは遥かにマシで、むしろこの静寂が心地よい。


 できれば永劫帰ってきて欲しくないと願う美人執事である。


 当然ながらアシュはいない。現在、絶賛行方不明中である。


 ミラは相変わらず無表情で館の窓を開ける。外には数十万を超える鴉が屋根を覆いつくしていた。


『アシュ=ダールを探せ』


 そう命じると、一斉に鴉があらゆる方向に飛び去って行く。彼女の意志とは無関係に、彼が行方不明になった場合の対処は指示されている。まずは、全力でその所在を探すこと。これまで、数十回こんなことがあったが、そのほとんどが迷子。フラッといなくなったと思ったら、大陸有数の標高を誇る山の八合目ほどで遭難していたりする。


 理由は『風に誘われて』。


 遠くを見つめながらフッとカッコつけて微笑みながら、滅茶苦茶カッコ悪く保護されるナルシスト魔法使いに、何度『そのままどこかへ行ってしまえ』と願ったことか。


 もちろん、敵に狙われて危機的状況に陥っている場合もある。容疑者は、推定数万。恐らく……いや、間違いなく大陸で一番恨みを買っている男である。怨恨の線で容疑者を絞り込むことは、物理的に不可能だ。


 とすれば、あの闇魔法使いを封じられるほどの実力を持つ魔法使いを探すほうが早い。


 思いあたる者は数人。


 しかし、動機はあっても可能性自体は凄く低い。裏の世界で『闇喰い』とまで恐れられているアシュを敵に回すことはまったく割に合わない。


「……」


 不本意ながらあらゆる可能性を模索するミラは、相変わらず無言で螺旋階段を降りる。辿り着いた先にある重厚な扉を開くと、そこにはロイドが一心不乱に研究を行っていた。


 かつて、アシュを亡き者にせんとしたこの天才闇魔法使いは、魂を取り出されて生きた人形と化していた。閉ざされた研究室の中では、ミラのように思考の自由度は必要ない。ただ、主人の命令を実行し研究に従事するという日常を送るだけの存在に憐れな存在。


「研究の成果です」


 彼女に気づいた彼は、膨大にまとめられた資料を手渡す。そして、彼女は代わりに更なる課題を彼に手渡す。アシュが行方不明になったときでも、彼の研究を止めないことを指示されている。


「ご苦労さまです」


 そう言いながら、資料に目を通す。ロイドは無表情のまま背中を向け、研究を再開する。


「……」


 睡眠も食事も会話もすることもなく、ただこの閉ざされた空間の中で生き続ける人形。それを永劫繰り返すだけの傀儡。『因果応報』だとアシュは言う。実際に、ロイドは数限りない非道を行い、彼と同じような境遇に貶めることも多かった。


「あなたはいつまでもそのままなのね」


 しかし、そのあまりにも似た境遇が、それを『自業自得』と斬り捨てることを許さなかった。感情はなく、思考だけが残された憐れな人形。自由に生きることも許されない。彼女の思考は、彼を哀れに思い同時に己の存在をも強く呪う。


 ミラはアシュが嫌いだ。


 ミラはアシュが憎い。


 ミラはアシュの死を望む。


 たとえ、一切の感情がないとしても。


 大陸中の誰よりも、神よりも悪魔よりも。


 そして。


 それでも。


 彼女はいつもどおり彼を助けざるを得ない。



 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る