戦の匂い


 それから。バージスト聖国では、大掛かりな戦の準備が執り行われた。人員、武器、食料、あらゆる物資が首都ヴェイバールに集約し、それは超大国レスラーンへと放たれる。戦争の音が庶民にもわかるほど、急激に近づいてきていた。


 幾万を超える兵隊たちの先頭に立つのは聖王ライーザ。間もなく、執り行われる戦行進の様子をラジステリア城から見守るヘーゼン=ハイム。


「いよいよか……」


 すでに、四聖と呼ばれる高位の弟子をライーザ王の彼の側に配置し、やれることは、もう済んでいる。後は、吉報を待つことのみ。


「どうなると思いますか?」


 突然、物音がして振り向くと、そこにはライオールがいた。


「……気配を気づかせずに、ここまで近づけるのはお前ぐらいのものだよ」


 思わず感嘆の声が漏れる。


「私にあなたを害する気はありませんからね」


 青年もまた、素直に答える。一握りの敵意があれば、この老人が気づかないことなど、存在しないと言っていい。


「それがいかに難しいことか、お前にはわからぬのだよ」


 史上最高の魔法使い。そう謳われて半世紀が経過する。弟子の中で、絶対的な憧れを持つ一方、成り代わりたいと思うのが人の心だというものだ。それをあきらめ、彼に心酔した者は、そもそも気配を殺して近づくことなどない。


「ライオール。なぜ、今回の依頼を断ったのだね?」


「あれ? そもそも私は依頼を受けていませんでしたが」


 いたずらっぽく、青年は笑う。


「とぼけても無駄だよ」


 ロイドの小細工など、見抜けない男ではないと、ヘーゼンは確信していた。


「……なんとなくです」


 少し言い淀む仕草を見せ、言葉を巧みに選んで答える。


「フフ……残念だ。お前は本当に欲がない」


 ヘーゼンに最も近い位置にいるのが、紛れもなくこの男だった。今回の戦に参加すれば、後継者として盤石の地位を築いたことだろう。しかし、彼は実質的にその権利を放棄し、四聖に譲ったにも等しい。


「嫌な予感がしたんですよ」


「嫌な予感?」


「この戦に参加してはいけないという直感が」


「……そんなはずはない」


 四聖の実力は本物だ。かねて五分の戦に彼らを投入することは、その勝利を間違いなくするに等しい。当然、超大国レスラーンも人材が豊富だが、彼らほどの実力を備えている魔法使いはいないはずだ。


 しかし、逆に四聖に嵌められ、殺される可能性はあるか、とヘーゼンは同時に考える。他の弟子たちより一歩抜きんでているがために、この戦で殺される可能性も。


「まあ、気にせずに。単なる直感です……そんなことより、ライーザ王の行進が開始されたようですよ」


「……」


 民衆からの大歓声が鳴り響き。大群が一斉に首都ウェイバールの門から出て行く。その様子を、ヘーゼンはいつまでも眺めていた。


                 *


 通常、軍は敵の村に略奪を働くことが多いが、領地である村で起こることは滅多にない。しかし、ライーザ王の軍は、短期間で集めた者ばかり。当然よからぬ者たちもいる。そんな兵隊たちの行軍ルートに選ばれた村々は、当然悲惨な末路を辿る。


 そして、なんの変哲のない村。寂れてもいないし、喧噪高いわけでもない。誰もが、そう評する村に、巻き起こるのは炎。そして、阿鼻叫喚であった。


 嬉々として、村人を殺しまわり、快楽を覚える兵隊。女を犯し、悦に浸る兵隊。宅へ侵入し、私腹を肥やす兵隊。最悪なことに、現場の指揮官も士気向上のために容認する者だった。そんな中、逃げ惑う子どもの元に、狂った兵隊の凶刃が振るわれた。


 ザシュ。


 切り裂く音と共に、巻き起こる鮮血。しかし、その飛沫しぶきは子どもではなく、突如として現れた少女の背中から飛び散った。


<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー炎の矢ファイア・エンブレム


 彼女の掌から発した大炎は、男の身体を覆いつくした。


「ぎゃああああああああああっ」


 叫びながら男はもがくが、誰も気にする者はいない。この村に魔法使いがいるなどとは思うわけもなく、ただ建物の火が燃え移っただけに見えた。


「お……お姉ちゃん」


「しっ……声を出しちゃダメ」


「でも……」


「静かに……静かにしてるの。きっと……助けに来てくれるから」


 少女にはもはや立ち上がる気力はない。その場で子どもを見せないように覆って倒れこむ。


「……」


 一日が経過し。


 アシュ=ダールが、この村に訪れた。凄惨な死体を眺めながら、歩く。


「ヒック……ヒック……」


 そのすすり泣く声を捉え、闇魔法使いは周りを見渡しながら近づく。


「……ック……ヒック……」


 やがて。一つの死体の前に立ち、しばらくその場で立ち尽くす。血で染まった背中。黒褐色セピアの滑らかな髪。耳につけて真珠パールのイヤリングは、片方が外れていた。


「……まったく君は。『大切に持っておくように』と言ったじゃないか」


 そうつぶやいて。


 アシュは、肩と両足を抱えて冷たくなった少女を抱えた。彼女に隠れていた少年は、目を腫らしながら、ひたすら泣きじゃくっている。


「ついてきたまえ。美味しいホットミルクを作る店があるから」


 闇魔法使いは、少年に一瞥すらせずに、歩き去って行った。



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