修練の日々


 礼儀作法において、アシュのネチネチとした、陰湿な、皮肉たっぷりの指導が続く。常人が2時間彼の話を聞き続ければ、確実に逃げてしまうほどの苦悶。とにかく、答えより圧倒的に長い自身の自慢、無駄なウンチクは、留まることを知らない。


 それでも、ミラが逃げ出さずに聞き続けられたのは、一方で、アシュの話が凄く面白かったに他ならない。彼の話は、機知に富み、時には抑揚をつけ、激しく静やかに説明をする。それは、どことなく楽し気に映った。


「アシュさんっておかしな人ですね」


 シニカル魔法使いがナイフとフォークの歴史を語り始めている時に、ポツリとミラがつぶやく。


「ん? まあ、君がナイフとフォークの持ち方を158回指導しても直せない方がよっぽどおかしいとは思うが」


「だって、こんなに説明も、教え方も上手なのに」


 そして、面と向かっては言わないが、アシュはミラの無知を放棄しない。死ぬほどバカにするのだが、決して手を抜いたりせず、あきらめずに、何度も何度も彼女に説明をする。


「そ、そうか……まあ、君に褒められても全然、一ミリたりとも嬉しくはないが」


 嘘である。嬉しい。嬉し過ぎて思わず説明の手が小刻みに震えるほど感激している天邪鬼魔法使いである。


「なのに、なんでみんな嫌いなんでしょうね。やっぱり、その最低な性格のせいかしら」


「……」


 すごく天然に、無邪気に、心臓にナイフを突き刺すような言葉を浴びせれるミラ。


「……おお、そうだ」


 アシュはナイフとフォークを彼女の手の甲に括り付ける。


「あっ、ちょ……なにするんですか!?」


「これでよし……当分はこれで日々を過ごしたまえ。どうやら、君は言葉で説明を受けても頭に入りにくいタイプだからな。そして――」


<<闇よ 愚者を 緊縛せよ>>ーー漆黒の影シル・シャドウ


 魔法を唱えると、ミラの腕に巻き付いた紐が同化した。


「な、なんですか……と、取れない……」


 必死に爪でひっかくが、自身の肌を赤くするだけに終わる。


「ふふっ、僕の魔法をなめちゃいけないよ。君の抵抗で解けるような魔法じゃない。逆に言えば、これを解く魔法が使えるようになれば、君も魔法を使えると言えるね」


 心底愉快気に、サディスト魔法使いは微笑む。


「ぐぐっ……どうやって解くのか教えてください!」


「簡単だ。解除するための光魔法を唱えればいい。まあ、すぐにはできないがね。まずは、体内に魔力を感じる訓練だ。その感覚を持てないことにはなにも始まらない。体外に魔法を放出するのは、次のステップかな」


「……」


 嫌味に見えて。嫌がらせに見えて。いや、ほぼ確実に嫌がらせなのだろうけど。それでも、一歩ずつステップを用意してくれている。その一見しても、二見しても、全然見えてこなかった心遣いが、ミラには少しずつ見えてきたような気がした。


「アシュさん……私……頑張ります!」


 ザクッ


「ぐわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 手を握ろうとして。闇魔法使いの腕に、ナイフとフォークが刺さった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 ザクッ。ザクッ。


「ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 手当しようとして。またしても闇魔法使いの腕にナイフとフォークが。


「……ぐぐぐっ、な、なにをするんだ!?」


「エヘヘ……つ、つい嬉しくなっちゃって」


 腕が尋常じゃないほど流血しているアシュに照れ笑いを浮かべて『つい』と言い放つおっちょこちょい美少女。


 な……なんて危ない小娘なんだと、アシュ、怯える。


「まあ、いい」


 全然よくはない。全然よくはないのだが、もはや慣れっこである闇魔法使いは、話を次に進める。


「時間がないから、掃除も炊事洗濯もやらなくていい。ご飯も、まあ僕が作るよ」


「アシュさん……」


「勘違いしないで欲しいんだが、一応、君は僕が紹介することになるからね。君の無礼は僕の評判に繋がる。残り時間は少ないが、君は僕が認めるほどの立派な淑女レディになる義務と責任がある」


「……」


 感動。生涯にも数回ほどしか見せたことのないであろう優しさに、不覚にも涙腺が緩んでくる。


「まあ、せいぜい全力でやることだね」


 そう言って身を翻し、歩き出す闇魔法使い。


「……アシュさ――――――――――ん!」


 ザクッ。ザクッ。


「ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 ミラが後ろから抱きついて。ナイフとフォークが闇魔法使いの首筋の頸動脈に入った。


「あっ……エヘヘ……つい」


「……」











 結局、アシュは、魔法を解いた。



 

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