バー、再び


 再び、アシュは日陰の路地裏にある建物の中に入った。


「やぁ、リック。今、戻ったよ」


 パリン。


 再度、グラスを割ったバーテンダーは、手を滑らして割ることで落胆を表現した。


「な、なぜ……またここに?」


「……飲みなおしたくなった」


「……」


 リックの表情は物語っていた。


 本当に……冗談じゃねぇよ、と。


 アシュは、カウンターに座り、差し出されたカクテルのチェリーを頬張る。


 もう、38個目である。


「アシュさん……」


 ミラも戻ってきて、隣に座る。


「ふっ、彼らの未来に乾杯」


「そ、その強がり……異様に痛々しくて見てられません」


「……そうだ、ちょっと買ってきて欲しいものがあるんだ」


 アシュは強引に話題を変えて、彼女にレル札を一枚手渡す。


「わかりました! なに、買ってきましょうか?」


 役割を与えられた美少女は嬉しそうに微笑む。


「そうだね……食卓にかけるテーブルクロスを。君のセンスで構わない。余った分は駄賃だ。好きなものを買っていい」


「えっ! いいんですか!?」


「ああ」


「行ってきます!」


 嬉しそうに、足早に駆けて行った。


「……やれやれ。おつかいのなにが楽しいのやら……さて」


 闇魔法使いは、鋭い眼差しでリックを見つめ、


 そして、言った。


「用意して貰いたいものがあるんだ」


「……なにを?」


 リックは震えながら、グラスを拭く。


「死んでもいい人間。そうさなぁ……5万は欲しいね」


「ごまっ……」


 バーテンダーは、言葉を失う。


 リックの本職は情報屋。アシュの手足となって欲しいものを提供するのが仕事。彼は、今まで、なんでも用意してきた。闇魔法使いの欲するものを、なんでも。


 しかし……


「そんなのできるわけがない!」


 今まで用意してきたものに、もちろん人間も含まれる。しかし……今回は数の桁が違う。


「……へ―ゼン=ハイム先生」


 ボソッとアシュがつぶやくと、リックの表情が瞬時に強張る。


「あの大陸史上最強の魔法使いか」


「聖属性の魔法も、闇属性の魔法も極めた怪物さ。正直、手も足も出なかったよ。特に……あの戦天使は強力だった」


「……戦天使リプラリュラン」


 後にも先にも召喚できるのは、ヘーゼン一人だと言われている。彼はその戦天使と共に数万もの魔法使いを葬ってきた。


「まったく……厄介この上ない。再び先生と会することがあったら、逃げることすらかなわない。なんとか対抗措置を講じなければいけない」


「し、しかし……」


「言い訳は聞かないよ。やるんだ」


 アシュは大きく目を見開いて、震えるリックを見つめる。


「……家族ができた」


「ほう、それはめでたいな」


「もう……嫌なんだ! 俺は、もう、真っ当に生きていきたいんだ」


「……だから、僕を売ったのか?」


 低い声が、地面に沈み込むように、響く。


「……」


 『赤ちゃんができたの』、リックの彼女が9年前に言った台詞だ。望んだ結婚じゃなかった……自分が家族を持てるなんて想像だにしなかった……生まれてくる我が子を見るまでは。


「クク……そんなに怯えなくても、僕は君を買っている。その情報屋としての手腕は確かなものだし、なにより、いい酒を提供してくれる……しかし、二度、僕を裏切ることはお勧めしないな」


 闇魔法使いは黒々とした瞳を大きく見開き、戦慄の表情を眺める


「ひっ……」


「いいかい? 君のやることは変わらない。いつも通り明日も店を開き、僕に上手い酒を提供し続けろ。僕の言うことを総て聞いて、僕の願いを叶え続けろ。店を閉めようとは思わないことだ。逃げることも、逆らうことも、死ぬことすら許されない。なんせ、君には愛する家族がいるのだろう?」


 歪んだ笑顔。


 禍々しき瞳。


 その男の全てが、破滅を照らしているように見える。


「……」


「もちろん、対価は支払うよ。


 だから、

 君も、


 僕に対価を支払い続けたまえ」


「……う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ」


 リックはその場で跪いて、頭を抱えてうずくまる。


 その時、


「アシュさーん、買ってきました!」


 ミラが元気よく帰ってきた。


「……では、


 闇魔法使いは、カクテルを飲み干し、悠然と店を出て行った。



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