幕間 ヘーゼン


 バージスト聖国は、大陸の中でも有数の小国にも関わらず、経済的には大きく栄えていた。中でも、首都ヴェイバールは『四大都市』と呼ばれるほど活気を誇っている。ここ30年間、南の大国デルシャ、北のジルーサス連合国の脅威にさらされながらも、国内が戦火に巻き込まれることはなかった。国境付近が山脈に囲まれており、地理的に有利な点もあるが、最も大きな要因は、ヘーゼン=ハイムと言う大魔法使いがウェイバールに居住していることだった。


 一人の大傑物が、大国の脅威すらも退ける。通常、あり得ないとしか表現できない事実は、もはや武勇伝というより、畏怖の対象となっていた。史上最高の魔法使いと謳われ約半世紀。人が召喚するレベルでは最強と謳われる戦天使リプラリュランを召喚し、一夜にして数万の闇魔法使いを葬ったこと。最凶と呼ばれる怪悪魔ロキエルの召喚で、一つの国家を亡国へと導いたこと。聖と闇を融合させる従来の魔法法則を打ち破る聖闇魔法を編み出したこと。その伝説は、数え上げればキリがない。


 すでに1世紀以上生きている老体にも関わらず、未だ衰えを知らぬそのカリスマは、大陸からあらゆる才能の魔法使いが師事に来る。彼の引力によって、バージスト聖国は大陸有数の魔法使いが住まう国家となっていた。


 そんな大陸一有名な老人は、今にも椅子にずり落ちそうな態勢で、書きかけの魔法論文の途中でうたたねをしていた。


「先生……ヘーゼン先生。起きてくださいよ」


 うんざりするような表情を見せながら、鋭い瞳が特徴の少年が老人を揺さぶり起こす。彼の几帳面さを示すように、白に染まったローブは、一片の皴すらない。


「……ロイドか」


 若干呆けた表情を浮かべながら答え、ゆっくりと立ち上がる姿は、とてもではないが大陸一の魔法使いと謳われる姿ではない。


「そろそろ、お時間ですよ。まあ、あなただったら、多少遅れたとしても何てこともないのでしょうけど」 


 主城であるラジステリア城で行われる謁見。大陸一の権威を持つヘーゼンなので、王を筆頭に何時間でも彼を待つだろうが、そんな振舞いをする老人ではないこともわかっている。それは、彼が人格者だからではない。そんなことをしたところで、何の得もないことを知っているからである。


「少し……夢を見ていた。行こうか」


 つぶやき、扉を開けて廊下を歩く。


「何の夢を見ていたのですか?」


「この歳だ。過去の後悔も人並にあるよ」


 ……いや、最近この小生意気なロイドを側近にしてから、昔のことを思いだすことが多くなってきた。もう、何十年も前にいた、漆黒の瞳をした少年のことを。


「はぁ……あなたほど、望む全てのことをやり尽くした人はいないと思いますが」


「そんなことは……ないよ」


 聞こえぬほどの声でつぶやきながら、王の間とは思えぬほど、気軽に扉を開ける。


 中心にいるのは、真鍮製で出来た黄金色の玉座に深く腰掛けている男。青色に染まった髪で精悍な顔つきをしており、未だ20代の若さにも関わらず、全ての臣下が敬意の念を込め、彼の一挙一動を注視していた。名はライーザ=バージスト。3年前に、この国の最高位に就いた若き聖王である。


 ライーザはヘーゼンの方を一瞥もせずに立ち上がり、腰に携えた宝刀を高々と掲げた。


「次は大国デルシャ……今までにない厳しい戦となる。しかし、我がバージスト聖国には敗北はない!」


 怒号のような檄で家臣一同が呼応し、剣の柄を胸につける。そのあまりの苛烈さに、ライーザ王の隣に控えているへーゼン=ハイムは素直に驚嘆した。家臣たちも皆、この若き王に心酔し、我先にと功を為そうとしている。バージスト聖国は完全なる軍事国家である。近年、他国への侵略を積極的に行っており、西のサールツ国、東のキモミ王国を打ち破っている。


 圧倒的なカリスマと胆力。


 その時、へーゼンは絶対的な確信を持った。


 間違いなく、この王は大陸を統一する、と。


「へーゼン先生。なにか助言はありますか?」


「先生などと……恐れ多い」


 ライーザ王に頭を垂れ、跪く。史上最高の魔法使いが、敬意を払い従うその光景こそが、家臣一同が王に抱く神格性を一層強固にした。


「頭など下げないでください。どうぞ、家庭教師をしてくださった時のままで」


 決して媚び諂う様子ではなく、老人の肩を起こして、若き王は微笑みを浮かべる。


「……あなたと初めてお会いした時、沸き起こる震えが抑えきれませんでした。私の見る目も、存外捨てたものではありませんね」


 大陸史上最高の魔法使いと謳われ、すべての栄光を極めたと言われる老人の見据えた先は、大陸の平和だった。列国がひしめき合い、国家間を血で争う戦争が続くこの大陸で、統一できる器を捜しまわった。


 そして、ヘーゼンが生きている間に巡り合った。


「先生のご期待に沿えるよう、全力を尽くします」


 ライーザ王の答えは自信に満ちていた。


 王の間を退席すると、側に控えている者が一人。ロイドが不機嫌そうに、そして、不服そうに老人を見つめる。


「へーゼン先生、本当によいのですか?」


「ああ……準備してくれ」


「あの王にそこまでの価値があるとは、思いませんけどね」


「口が過ぎるぞ……控えなさい」


「……失礼しました」


「ふぅ……ロイド、君にはあの王を見て、なにも感じないのかね?」 


「なにも。へーゼン先生も、あの方が王でなかったら見向きもしませんよ」


「……はぁ」


 あまりにも率直にモノを言う少年に、ため息と失望を禁じ得ない。彼の弟子に多くありがちの者で、魔法使いとしての能力でしか物事を判断しない。王である者がが重要なのに。


「それよりも、早く僕に新しい魔法を教えてくださいよ。あなたも、いつ死ぬかわからないのだから、後任を育てなければいけないでしょう?」


「……それが、自分であると?」


「違うのですか? 僕以外にあなたの後を継げる者がいるとでも?」


 少年は少し誇らしげに胸を張る。


「……凡才だ」


「なっ……」


「ロイド……君は、天才だが、凡才だな。言うなれば、ごく一般的な天才。私の代わりは務まらないよ」


 ヘーゼン=ハイムの教え子は、総じて優秀で才能に溢れていたが、彼は決してそうは見なさなかった。それは、他ならぬ彼自身が正真正銘の怪物だからである。ロイドも、時代の傑物足りうる器であることは間違いない。しかし、自身と比べると、どうしても大きく見劣りしてしまう。


「……」


 プライドの高い少年は、肩を震わせながら下を向く。


「身のほどをわきまえたまえ。己の器を受け入れることも重要なことだ。それに、君は魔法より人格を磨く必要があると、私は思うよ。少しはライオールを見習ってほしいものだね」


 ライオール=セルゲイ。ロイドの兄弟子であり、こちらも間違いなく天才である。ただ、我の強いロイドとは異なり、自身の才能を磨くことにあまり大きな興味を示さない。対極である二人を足して二で割ったぐらいがちょうどよいのに。死後のことを思い、最近そう嘆く日が増えてきた最強魔法使いである。


「……あんな奴。僕の方が遥かに才能があるのに」


「はぁ……もう行きなさい。いいかい? 指示通りにするんだよ」


「……」


 老人の言葉には答えずに、少年は去って行った。その子どもぶりに、思わず苦笑いを禁じ得ない。


「まったく……『出来の悪い子ほど』とはよく言ったものだな」


 ロイドが精神面で未熟にも関わらず側に置いているのは、その危うさからだけではない。思わず、その反抗めいた可愛さに心が癒されているのを感じる。


「……才能か」


 一人。


 ヘーゼンが唯一、自分を超える可能性のある少年を見出した時は、ライーザ王と同様の……いや、それ以上の震えが起きたものだ。ロイド以上に生意気で、そして精神面で未熟であったその少年は、まるで奇跡のような禁忌を犯し、史上最悪の怪物となった。


 願わくば、ロイドには同じ道を歩ませることは。


 ヘーゼンはため息をついて、足を進めた。

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