♪27 限定ヒーロー

 自分達を離席させた理由について、蒼空そらはそれをどうにか聞き出そうとしたが、すっかり落ち着きを取り戻した清吉に一喝され、背中を丸めた。

 そして、恨めしげにあきらを見つめ、ポツリと「すみませんでした」と言い、父に背中を押されながら山海やまみ宅を出る。仁太はというと、晶に対して何やら名残惜しそうな視線を送り、清吉に小突かれていた。


「嵐が去ったな」


 3人を見送った後で、呆けたように長田おさだが呟く。


「何だったんだ、結局」


 湖上こがみすら雰囲気に飲まれてしまっているのか、いつもより勢いがない。


「とりあえずここにいたって仕方ねぇな」


 そう言ったのは長田である。

 くるりと華麗にUターンし、後ろにいた晶と視線を合わせた。


「あ、結局ケーキ出しそびれちまったな。まぁ、もともと俺らで食うつもりだったし、いっか」


 湖上もまた長田に倣ってわざとらしいまでに勢いよくターンすると、晶を見て「ケーキ食おうぜ、ケーキ」と歯を見せた。


章灯しょうとさんも行きましょう」


 大男2名に両肩を掴まれリビングへ誘われんとしている晶は、いまだ呆けたように玄関のドアを見つめている章灯の背中に向かって声をかけた。


 しかしそれに応えはない。


「うぉい、章灯。早く来ねぇとお前の分も食っちまうぞ」

「そうだそうだ。アキの以外は早いもん勝ちなんだからな」


 がははと笑う中年達の腕を振りほどき、晶は小走りでそのわずかな距離を詰める。そして、背中にそぅっと触れながら、


「あの、章灯さ……」


 そう声をかけた時だった。


 章灯は、無言のまま身体の向きを変えると、一体何が起きたのかときょとんとしている晶を真正面から抱き締めたのである。


「え? あ? あの?」


 こういうのは割と頻繁にあることはある。

 それは主にどちらかが少々飲みすぎた時で、そのままベッドになだれ込むのがお決まりのパターンだった。


 だからさすがに今回のような素面の時には起こり得ない事態である。ましてやこの場には湖上も長田もいるのだ。


「章灯さん? あの、どうしたんですか?」


 そう問い掛けながらほんの少しだけ抵抗してみる。嫌なわけではない。ただ、自分達の背後で確実にこちらを見ているであろう湖上と長田の存在が気になる。場所がムードもへったくれもない廊下であることはこの際問題ではない。

 それよりもひたすらに後ろの2人が厄介だった。気を利かせてこの場を去ろうにも、自分達の横をすり抜けなければ玄関にはたどり着けない。

 せめてリビングに入っていてくれないかと願うものの、いまのところ、そのドアが開いた音も――というかそれ以前に床のきしむ音すら聞こえてこない。ということは彼らはあれから一歩も動いていないはずだ。


 そもそも章灯が回りを気にせずにこういった行動に出ること自体、かなり珍しいことである。

 山海章灯という男は、晶が知る限り、徹底的に回りに配慮する人間であって、どんな時でも自分の感情を後回しに出来る人物なのだ。それは、感情よりも事実を伝えることに重きを置くアナウンサーという職業によって培われた能力かもしれないし、元々の性格かもしれないが。


「……ごめん」


 ささやくような声が聞こえた。

 その謝罪がいまの状態についてのものかと思い、晶は「大丈夫ですよ」と返す。けれども、章灯はそれに対して首を振った。抱き締める力がより強くなる。けれど、苦しくはない。


「遅くなってごめん」


 何が、と尋ねようとして気が付いた。さっきの謝罪は、到着するのが遅くなってしまったことに対するものだったのか、と。


「本当に、大丈夫でしたから」


 その言葉に嘘はなかった。事実、自分は無事だったのだ。どこか傷つけられたわけでもない。


「大丈夫じゃねぇよ」

「怪我とかしてませんし」

「怪我とかじゃなくて」


 細い声だった。しかも、微かに震えている。


 章灯は尚も「怪我とかじゃなくて」と繰り返した。


「まさかあんなことになってるとは思わなかった」

「はい、びっくりしました」

「絶対にさ、絶対に駆け付けるけど」

「はい」

「危ない時はちゃんと逃げろ。助けを求めろ。あんな奴とまともにやり合えるわけないだろ」

「……すみません。ただ、自分は『男』でしたし。小松沢さんが危ないと思って……」


 お前のその正義感はどこから湧いてくるんだ。

 確かにお前は対外的には『男』かもしれねぇけどさ。

 自分より弱いものを守ろうとするその姿勢は立派だけどさ。

 それじゃお前は強いのかよ。


「アキは女だからな。女だからって守られるばかりじゃねぇけど」

「それは……わかってます、一応。でも……」

「……何だよ」


 晶はそこで口をつぐんだ。

 ほんの少し身をよじらせるような仕草をする。背後に控えている男達を気にしているかのようだった。


「章灯さんは絶対間に合うと思ってましたから」


 声よりも息の割合が多いような、そんなヴォリュームだった。いくら後ろの2人の耳が良くとも、そのうちの1人がかなり性能の良い地獄耳を持っていようとも、さすがに聞こえるわけがない。


「まぁ……間に合った……かもだけど。ギリギリだったじゃんか」

「ギリギリでも何でも。ヒーローってそういうものじゃないですか。本当の本当のピンチに間に合うようにやって来るというか」

「ひ、ヒーローって……」


 章灯もまたかなりヴォリュームを絞った声で返す。晶の肩越しにちらりとリビングへと通じるドアの辺りを見ると、そこにあの2人の姿はなかった。一応気を遣ってくれたらしい。


「章灯さんは特ソルですから」

「いや、あれは声をあててるだけで」

「SINGERフォーム、楽しみにしてます」

「う……、うん、まぁ頑張るけど」


「それに、現実世界でも、章灯さんはちゃんとヒーローですよ」

 

 その言葉にどきりとする。思わず晶の顔を覗き込むと、彼女はハッとした表情をしてから視線を逸らした。


「昔、そう言ってくれました……」

「言っ……たな、そういや。アレだろ、アキしか助けらんねぇやつ」

「そうです。だから今回も絶対大丈夫だと思ってました」


 そう言って、晶は章灯を強く抱き締めた。予想外の強さに少々怯む。

 男だと思えば非力だが、女にしては晶は案外力のある方なのかもしれない。


 少なくとも、自分の機材は余程の場合を除いて自分で運べるし、それなりの重量があるギターを肩から下げて数時間弾き続けていられる体力もある。自分の好きなもの、大切なものを離さないでいられるだけの力を、彼女は持っている。


「これからも、ちゃんと守るから。でも、危ねぇ時はちゃんと声出せ。女だってバレんのと天秤になんてかけるな。重要なのはそこじゃねぇんだから」

「……わかりました」


 晶が大人しく頷いたのを見計らって、彼女の頬に触れる。少しだけ腰を落とすと、晶はゆっくりと顔を上げた。


 察しが良くなったな。


 ここまですれば普通、次の行動くらい読めそうなものだが、それを晶に期待してはいけない。大抵の場合、眉をしかめて「何ですか?」とでも言わんばかりの――実際に言うこともあるが――顔をされてしまうのである。


 にも拘らず、今回は、完全に理解しているようで、彼の唇を受け入れるかのように少しだけ首を傾げている。2人の唇が重なろうとした、正にその時――、


「おぉい、章灯は抹茶のムースで良いよな?」


 最早わざとなのか、それとも残酷なまでの偶然か、湖上がひょこりと顔を出した。


「――お? あぁ、悪いな。どうぞ、続けて」


 そんなトドメまで刺した後で、「馬鹿野郎!」と長田に首根っこを掴まれ、2人の視界から再び姿を消した。


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