♪19 MISSION INCOMPLETE

「始まりました、『日のテレ・もてなし散歩』! 第1回目のゲストはいぶし銀な演技で魅せる! 小松沢清吉さんです!」


 カメラに向かってそう紹介された小松沢清吉はいつもの通りのいかつい顔で、それでもほんの少しだけ頬を緩ませた。


「今日はですね、これから赤坂の街を僕と一緒に歩いていただくっていう内容なんですけれども――」

「君と?」

「はい」

「男2人で歩いて何が楽しいのかね」

「全くおっしゃる通りで。ただ、小松沢さんを飽きさせないように頑張りますから、よろしくお願いいたします」


 章灯しょうとが営業用の垣根を超えたフルスマイルでそう言うと、小松沢の方にも伝わったのか、「ふん」と鼻を鳴らしながらもまんざらでもないような表情である。


 その後は小松沢と共にタクシーに乗り込んで目的地である赤坂へと向かった。その道中も当然カメラは回っている。ここで今回の小松沢サイドの目的である彼出演の最新作映画の宣伝が入った。


「今回は第一線を退いた凄腕の元ギャングの役とお聞きしましたが」

「うむ」

「ただ、内容はコメディに振り切ってるんですよね? 珍しいですよね、小松沢さん。コメディ映画なんて15年前の『お気楽スパイ極楽道中』ぶりじゃないですか」

「ほう、知ってるのかね」

「もちろん。僕、結構小松沢さんの映画見てるんですよ。なかなか劇場に行けないのが申し訳ないんですけど」

「……ふん。山海やまみ君の一押しはどれかね」


 これはもしかしたらテストなのかもしれない。章灯はそう思った。ただのリップサービスだとでも思っているのだろうか。


 いやいや、俺を見くびらないでください、小松沢さん。


「僕の一押しはですね。『からくり人形師くれない松彦』シリーズですね」

「ほう、これまた随分古いのを出して来たな」


 小松沢はかなり意外そうな顔をして章灯を見つめた。『からくり人形師紅松彦』といえば章灯が産まれる前、いまから40年程前に放映されたシリーズものの時代映画である。


「父方の祖父が小松沢さんの大ファンで、ウチにVHSがあったんですよ。でも僕と祖父とで見まくってたらさすがに擦り切れちゃいまして。それでこの度DVDのボックスが出たじゃないですか、あれを買って……」

「何、ボックスを買ったのか。君が?」

「はい2箱買って、一つは祖父に送りました」

「何と、2箱も……」

「初回盤は市松仕様のボックスなのが良いですよね。やっぱり松彦と言えばあの市松模様ですよ。一仕事する度に必ず着替えるじゃないですか。で、あの市松の羽織をばさっとやるところが良いんですよ。その時の松彦の表情にやられちゃったんですよね、僕。ああもう、この羽織に袖を通したからにはもう大丈夫だっていう安心感というか。松彦に限らず、時代劇のああいう『お決まり』が好きなんです、僕も祖父も」

「わかってるなぁ、山海君」


 小松沢はほとんど無意識に右手を差し出していた。


 ――つかんだ!


 小松沢と固い握手を交わし、章灯はそう思った。


 俳優の中には、自身の出演作が単純な興行成績だけでランク付けされるのを良しと思わない者もいる。単にいまのニーズに合っていないだけ、若者に受け入れられなかっただけ、それでも自分はこの作品を、この役を気に入っている、と思っている俳優は案外多い。


 だからこそ、そういった『成績』を無視した純粋な『好み』の話をすると、特に大御所の俳優は食い付きやすい。


 ――と言ったのはくだんの祖父であった。


 元々共演者に対しての『研究』を大事にしている章灯ではあったが、それだけに祖父――章悦しょうえつの言葉は深く彼に刺さった。それからというもの、章灯はそれまでの『研究』に加えて、出演作を一度ジャンル別に分類し、純粋に自分は一体どの分野が一番好きなのだろうか、という研究も追加することにした。とにかくこれが好きなんです、という個人の好みというのは必ずしも時代の流れに乗る訳ではない。


 そしてそれは現在のところ、こういった大御所俳優との絡みにおいて絶大な効力を発揮している。


 とはいえ、彼の祖父が小松沢の大ファンなのは事実だし、彼と共にVHSが擦り切れるまで見たのも、『からくり人形師紅松彦』のDVDボックスが出ると聞いて予約してまで初回盤を購入したことも事実だったのだが。

 偶然が重なりまくったキャスティングではあるものの、運も実力の内なのである。



 そして一方その頃、蒼空そらは怒りにその身を震わせていた。

 せっかく自粛していた煙草は既に2箱を空にしてしまっている。


 何なのよ何なのよ何なのよ。あの男……!


 彼女のいう『あの男』というのは無論、あきらのことである。


 話は3日程前に遡る。

 彼女がいもしない『ストーカー』をでっちあげ、多少の計画のズレはあったものの、まぁまぁ首尾よく山海宅にお邪魔することに成功したあの夜のことである。


 マネージャーの田町が運転する迎えの車が到着し、リビングで待機していた蒼空を呼びに行こうと章灯が玄関で靴を脱いでいると、遅れて中に入って来た晶が彼にそっと耳打ちをした。


「章灯さんは行かない方が良いかもしれません」

「――はぁ? 何が?」

「外です。もしかしたら、ですけど」

「良くわかんねぇんだけど」

「とりあえず章灯さんはここに残ってください」

「それは……良いけど。でも、そうなるとお前が応対することになるんじゃ……」

「大丈夫です」


 やけに頼もしい横顔にどきりとしながら、さてどんな理由をつけたものかと思いつつ、リビングに入る。章灯の姿を認めた蒼空は顔中でその喜びを表現したが、その後ろに晶がいることに気付くとサッとその表情を曇らせた。急にコロコロと変わるその様子に章灯は驚いたが、なるべくそれを彼女に悟られまいと営業用スマイルを貼りつけた状態で蒼空と対峙する。


「マネージャーさん来ましたよ。外で待ってます」

「はい、わかりました」


 彼女は立ち上がると当然のように章灯の隣に立った。いまにも腕でも組まんばかりである。


 しかし――、


「――あ、すみません、ちょっと……。あれ、局長からだ。すまん、アキ頼むわ」


 ポケットの中でヴーヴーと震える携帯を取り出すと、サブディスプレイに表示されているのは『晶』という文字である。成る程、と思いながら咄嗟に局長からということにし、蒼空に突っ込まれる前にすたすたとキッチンへと向かう。


 蒼空は「え……でも……」と彼を待つような素振りを見せたが、その手を、ぐい、と取ったのは晶だった。


「マネージャーさん待ってます」

「えっ、あの、でも……」

「待たせたら悪いですよ」


 男の振りをするには腕力のない晶ではあるが、産まれてからずっと『女』である蒼空と比べれば、華奢な彼女を玄関まで引っ張るくらいの力はある。蒼空の方でもここで拒否する理由などある方がおかしいことくらいは理解しているのだが、わざとゆっくりと歩く程度の無駄な抵抗は試みる。どうにか章灯の電話が終わらないかと願いながら。


 かといってリビングから玄関までの距離などたかが知れている上、靴も履きやすいパンプスタイプのためにどんなに時間をかけようと思ってもせいぜい2、3分なのだが。


 これじゃ、『計画』が……。


 蒼空がやきもきしていると、晶は「ちょっとここで待っててもらえますか」と言った。


 な、何よ。ちゃんとわかってるんじゃない。ここで山海さんを待てってことね。


 一人取り残された玄関でホッと胸を撫で下ろしていると、その予想に反して晶はあっという間に戻って来た。


 しかも――、


「すみません、お待たせしました。行きましょう」

「ちょ、ちょっと、何ですか、それ……」


 その問いには答えず、晶はドアをガチャリと開けた。直立不動の姿勢で待機していたらしい田町はドアの向こうにいるやけにリアルな馬の被り物をした晶――かどうかは断定出来なかったが、先程と同じ服装からそう判断した――の姿を見て、ぎょっとした。口をぽかりと開けて「は……?」と固まってしまっている。そしてその馬人間に手を引かれた蒼空がこちらもまた口をあんぐりと開けたまま、よたよたと歩いて来た。


「すみません、こちらもこの手のスキャンダルは避けたいもので。誤解でも何でも一応」


 被り物越しのため少々不明瞭ではあったものの、晶はいつもより大きめの声でそう言い、田町に蒼空を押し付けるようにして引き渡すと、軽く頭を下げ、すたすたと家の中に入ってしまった。


「ちょ、ちょっと……」

「蒼空さん、あの……」


 外に取り残された2人はぱたんと閉まったドアを呆然と見つめていた。沈黙を貫いていた後部座席のドアがゆっくりと開き、中から小柄な男がおずおずと顔を出す。


「あの、一応撮りましたけど、いまの……」

「出てくんじゃないわよ、馬鹿!」


 蒼空にギッと睨まれ、ひぃ、と小さく叫んで、男は慌てて車内に身を隠した。


「と、とりあえず帰りましょう」


 田町が蒼空の背中を押し、彼女は渋々車に乗り込んだ。


 それでもどうにかならないものかとその時の写真を現像してみたものの、360度どこからどう見てもそこに写っているのは馬人間に手を引かれている自分である。その馬の中身を章灯だということに出来ないだろうかと考えたりもしてみたのだが、体型的にさすがに無理がある。


 これはもうちょっと強引な手に出るべきかもしれない。


 そう思って蒼空は3箱めに手を伸ばした。



  

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