♪30 わかる?

「でも、どうしてわかったんですか?」


 さすがにこれらは残した方が良いだろうという判断で、ニット帽と色付き眼鏡、そして顔の半分を覆う大きめのマスクを装着した状態のあきらが、首を傾げながら問い掛ける。


 顔だってほとんど露出していないし、体型も大きく変えた、それに一言だってしゃべっていなかったのだ。


「ふははは、知りたいか」

「はい」

「それはな……」


 章灯しょうとは腰を浮かせて身を乗り出し、『もっとこっちへ来い』と人差し指をくいくいと動かした。不思議そうな顔をしながら同じく腰を浮かせた晶の耳元で、そっと囁く。


「――まぁ、愛の力ってやつだ」


 なーんてな、と続けてハハハと笑い、再びソファにすとんと腰を落とす。それに続いて晶もぽすんと座ったが、案の定その顔は見事に赤く染め上がっている。かなり冗談めかして言ったつもりだったのだが、彼女には通じないのだった。


「冗談だって」


 改めてそう言うと、晶は火照った顔を鎮めるように右手の甲を左頬に当てた。この季節、彼女の手はいつだって冷えている。章灯はその手を指差して言った。


「それだ」

「……はい?」

「だから、それでわかった」

「それって……。手、ですか?」

「握手したろ?」

「しました……けど……」


 晶は己の手をまじまじと見る。男性と偽るには小さな手、細すぎる指。爪は短く切りそろえられ、当然だが女らしさの欠片も無い。男になるには頼りなく、かといって女にしてはややごつい。


 いつもなら、武装するかの如くアクセサリーを付ける。指輪だけではなく、華奢な手首を隠すような太めのブレスレットなども。だから、もしそれらをうっかり外し忘れていたというのなら、わかる。しかしさすがに昌明の設定ではそれらを付けるわけにはいかず、それらは全て外してポケットの中だ。それなのに。


 何故? と頭上にいくつものクエスチョンマークを浮かべている晶が章灯をじっと見つめる。


「いやいや、普通にわかるって。俺、何度お前の手ェ握ったと思ってんだよ」

「いえ、でも、それは最初の……と、それから、この間の……」

「いーや、いやいやいやいや。そうじゃなくて。ライブの時とか。イベントの時とか。がっちり握手すんだろ」

「……あぁ! ……でも、そんなのでわかるものですか?」

「仕方ねぇだろ、わかったもんは」

「わかる……ものなんですかねぇ……」


 晶は目を瞑り、自分ならわかるだろうかと考える。


 例えば、コガさんは指の関節が太くて全体的にごつごつしているという特徴がある。オッさんは案外女性も羨むようなきれいな手をしていて、指も細く長い。おまけに爪も竹爪で咲さんからよく「マニキュア塗らせて!」と迫られているらしい。あの2人の手ならわかるかもしれない。そう考えると、章灯さんの手は……? コガさんのようにごついわけでも、かといってオッさんのように女性的というわけでもない。強いて言うなら……すべすべしている……かな?


「アキ、俺ちょっとくすぐったいわ」


 その言葉で我に返る。

 無意識のうちに章灯の手を取り検分していたようだ。


「すっ、すみません!」


 慌てて手を離し、そのまま膝の上に乗せる。


「そんな勢いよく離さなくても……。まぁ良いけど」


 本当はもっと触って欲しかった。けれどここは一応公の場である上に、変装はしているものの、というかなまじ変装をしてしまったがために男同士というシチュエーションである。さすがに手を握りあって見つめ合うわけにはいかないだろう。


「何か……すみません、本当に」


 『純喫茶 輪舞曲ロンド』を出、スタジオへと戻る道すがら、膝の上に紙袋を乗せ、章灯のコートを羽織った晶が申し訳なさそうに言う。


「ん? 何が?」

「歩けるのに……」

「まぁ、良いじゃん。アキは軽いしな、楽勝楽勝」

「それに――」


 ためらいがちに語られたその続きは、真横を走る大型トラックのクラクションによってかき消されてしまった。


 彼女はこう言ったはずだったのだ。


「私ばかりわからないことだらけですみません」と。



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