♪13 中途半端

「アキ、何度も言うけどな、家の中では『女』で良いんだからな」


 クリームチーズとキャビアを乗せたカナッペをつまみつつ、章灯しょうとがぽつりと言う。あきらはその言葉に一度大きく目を見開いてから、「わかってます」と言った。


「自分の力が及ばないと思ったら、無理すんな。俺がいるだろ」

「……はい」


 晶は肩を落としてうな垂れた。その無防備な白いうなじにそっと触れると、晶は飛び上がらんばかりの勢いで身体をびくつかせた。もちろん、こうなるであろうことを見越して、晶が何も持っていないことは確認済みである。


「そんなにビビんなよ。怒ってねぇって」

「いえ、そういうわけでは……」


 俯いた状態のまま固まっている晶に向かって茶化すように言う。押さえつけているわけでもないのに、一向に顔を上げる気配が無いのは、恥ずかしさのためであろう。


「あーもう、しったげめんけぇなぁ」


 うなじの上の手を後頭部に乗せ、さらさらとした髪をわしゃわしゃと撫でる。


「ちょっ……、何するんですか……!」


 晶は慌てて顔を上げ、さんざんに乱されたヘアースタイルを整える。さっと手櫛で梳き、赤い顔のまま、困ったような表情で章灯を睨んだ。


「へっへー。やぁーっと顔上げたな」


 少年のような笑みを見せる章灯に晶は肩の力をすとんと抜いた。全く、この人には勝てる気がしない。そんなことを思いながら。


「飲もうぜ」


 グラスを高く上げ、ニィっと笑うと、晶もつられて笑った。


「はい」



「こ、れ、がっ、晶様のカレーよ!」


 もったいつけるように紙袋からゆっくりとタッパーを取り出し、マネージャーの兼定に見せびらかす。兼定が手を伸ばすと、それをサッと引っ込めた。


「だぁ~めよ、ダメダメ! これはあたしがぜぇ~んぶ食べるのっ! んもぉ~お腹空いちゃってぇ」


 ごっはん、ご飯! と歌いながら、踊るような足取りで台所へと向かったカメラに、兼定は大きくため息をついた。そして、その吐き出したため息を再び肺腑へ戻すかのように、大きく息を吸った。


「お待ちなさい!」


 その一声で緩んでいた空気がぴんと張りつめる。あわよくばこのまま乗り切る気でいたカメラは、ギャッと短く叫び、肩をすくめた。


「な……何よぅ……」

「事の重大さを認識出来ていますか」

「重大さって……。まぁ、ちょっと強引すぎたかな、っては思うけど……。でも、それくらいじゃないと晶様には……」

「馬鹿者がぁっ! そういうことじゃない!」


 再び張り上げられた声に、カメラの身体はびくりと震えた。


「えっと……、人気アイドルが……、男性の家に……、みたいな……?」


 いつもの愛想笑いで切り抜けようと、肩をすくめて小首を傾げる得意のポーズを決める。


「この期に及んで……。そんな上っ面、私に通用するとでもお思いですか」

「うっ……」

「第一、はっきり申し上げますが、あなたは『人気アイドル』ではありません。あなたごときが男性の家に出入りしようが、そこで喫煙しようが、『元アイドルも落ちぶれたな』『話題作りに必死過ぎ』と切り捨てられるのが関の山でしょうね」

「ちょ、ちょっと、それは無いんじゃない? さすがに……」


 媚びたような笑みを浮かべながら、目の前に立つ兼定のジャケットの裾をつまむ。彼はそれを冷ややかな目で見下ろした。


「『パラダイス!』の元センター、『千ちゃん』こと千石英梨、そしてナンバー2の『あやのん』こと里見さとみ礼乃あやのは、現在トップアイドルグループ『ふじ色ガールズA』のメンバーですね」

「え……ええ、まぁ……」

「なぜあなたにお呼びがかからなかったのでしょうねぇ」

「それは……、その……、そう! あたしは歌が上手過ぎるから! そうよ! あたしみたいなアーティスト寄りの子がいたら浮いちゃうもの! だからよ!」

「上手過ぎると胸を張れるほどではありません」

「だったら何よぅ……。だったら何で晶様のお家に行ったってだけでこんなに怒られるのよぅ……」


 涙混じりの声でそう言って、がくりと頭を垂れる。滅多に見られない消沈振りである。兼定は、仕方ない、といった表情で小さく息を吐いた。


「あなたは確かにそこらの一般人と比べれば恵まれた容姿をしています。スタイルだって良い。アイドルにしては珍しく生歌で勝負出来るほどの歌唱力もある……」


 兼定にしては珍しい称賛の言葉にカメラの耳はぴくりと動いた。でも、ここで顔を上げたら止めてしまうかもしれない。せっかくの機会だ、もっとしゃべらせてやれ。もっとあたしを持ち上げなさいよ。そんな彼女の思惑はもちろん賢し過ぎるマネージャーには丸見えである。


「ただ、それは比べる対象が低すぎるからこそです。トップアイドルと比べれば見劣りする容姿、本職の歌手と比べれば足元にも及ばない歌唱力」

「え? え? ちょっと………?」


 思わず顔を上げた彼女に、兼定はとびきりの笑顔を向けた。


「でもそんな中途半端なあなたがちょうど良いのです」

「な……何よ……それぇ……」

「それから」


 ぽかんと口を開けたカメラに向かって、兼定は尚も続けた。


「私が恐れているのは、あなたのスキャンダルではありません。AKIさんのスキャンダルです」

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