♭20 言葉の塊 (終)

 心地よい時間というのはあっという間に終わってしまう。

 アドリブ満載の『ORANGE morning』が終わり、話題はリビングの続きに戻った。


 どうやら章灯しょうとさんはコガさんに焼きもちを焼いたらしい。


 どうしてだろう。

 あの人は、コガさんは、自分の『親代わり』だ。

 いや、最早、『親』と断言しても良いだろう。自分達を育ててくれたのは間違いなく、この人なのだから。


「それは俺だって知ってるよ。でもさ、仕方ねぇだろ、焼いちまったもんはさ」

「コガさんの方が何かと頼りになるし、この道のプロだし、身長もあって、ガタイも良いし……」


 章灯さんは顔を背けて背中を少し丸めている。こういうのをいじけている、というのだろう。


 確かに、コガさんはキャリアも長いし、普段はだらしなくしているけどいざという時にはすごく頼りになる。

 身長や体型については……、章灯さんだって悪くないと思うのだが。やはり男の人というのは、自分より身体が大きい人に対してコンプレックスを抱くものなのかもしれない。


 それに、章灯さんには、コガさんにないものがある。その声。そして、テクニックやセンス。キャリアは続けていけばどうにかなる。身長は無理だとしても、身体の厚みについては鍛え方次第だろう。

 でも、章灯さんの声だけは絶対に真似出来ない。コガさんが努力をしてテクニックやセンスを身に着けたとしても、声質だけはどうにもならないのだ。


 その点を伝えても、章灯さんはまだ納得出来ないらしい。

 どう伝えればわかってもらえるのだろうか。


「コガさんの声は、好きな声ではありません」

 

 そんなに章灯さんがコガさんに固執するというのなら、これを言うしかないと思った。

 さすがに体調を崩すほどショックを受けたことまでは言わなかったが。


 しかし、章灯さんの表情は晴れない。

 それどころか、もう少しあると良いと言う。

 もう少しあると良い、ということは、いまの言葉でもそれなりに効果があったということなのだろう。

 ただ、もう少し、と言われても、どんな言葉をかければ章灯さんが元気になるのかがわからない。


 考えあぐねた末、自分が章灯さんに対して思っていることを言ってみることにした。


 しかし、それを口にしようと思うと、何だか喉が詰まるような感覚に陥った。言葉がそのまま大きな塊になって、引っかかっているようだ。動悸が速い。胸が苦しい。一体どうしたんだろう。

 膝の上に置いてあるギターの上に突っ伏す形になって、やっと絞り出すようにしゃべる。


「……章灯さんの声がいちばん好きです、私は」


 言葉の塊は吐き出したはずなのに、動悸は治まらず、胸の苦しさも晴れない。しかし、章灯さんはまだ無言だ。


 どうしよう。

 どうしたら良いんだ。どうしたらいつものように笑ってくれるんだろう。もしかして、朝のことをまだ気にしているんだろうか。


「別に……、朝だって……、びっくりしただけで……、嫌だったわけでは……」

 

 何とか次々と言葉を吐き出す。どんなに吐き出しても閊えは取れない。

 どうやらこの言葉で足りたのか、章灯さんはもう大丈夫と言った。しかし、笑ってはくれない。何だか焦っているような、困っているような表情だ。章灯さんには笑っていてほしいのに。


 丸めた背中に章灯さんの大きな手が乗る。ゆっくりさすられると胸の苦しさが少し治まったような気がした。魔法の手だ。そう思った。


「ありがとうな、アキ。すげぇ元気出た。嫌じゃないなら、今晩も一緒に寝るか? ……なーんて。ははは」


 一緒に寝るかという言葉に驚き、少しだけ聞こえた笑い声にホッとして、章灯さんの顔を見る。良かった、少しだけど笑っている。


 一緒に寝るのは構わない。

 ただ、何をするのか、何をされるのかがわからないのが怖い。それがわかるまでは、出来れば何もしないでほしい。もう少し待ってほしい。


 もし章灯さんが私を女として見てくれる、というのなら。


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