♭19 疑問と雑念

 恋人って、何をするんだろうか。

 道行くカップルは手を繋いで歩いている。それくらいなら、既に済ませた。ただ、それは、『繋いで歩く』というより『連行されている』という方がしっくりくる感じだったが。


 それから、キスだってした。これは相当恥ずかしい。

 どうしてこんなに顔を近付けなくてはならないのだろう。しかも、記憶にはないがどうやら、さらに一段上のキスまでしたのだという。


 一段上って何ですかと聞くと、章灯しょうとさんは何やら恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「その……舌をだな……」


 それだけ言うと、まぁ、それは追々、と濁してしまった。


 一体舌をどうするというのだろうか。

 そういえば映画等でも外国人のカップルがやけに長いキスをしていることがある。もぞもぞと唇も動いているので、おそらくこれのことなんだろう。あの中では一体何が行われているのか。


 考えても考えても自分の乏しい知識ではさっぱりわからない。


 ただ、昔、あれは高校生の頃だったが、近くに座っていたクラスメイトが彼との初体験の話をしていたのを小耳に挟んだことがある。

 何やらとても痛かったと、それだけは聞こえたが、具体的に何が痛かったのかはわからなかった。自分には無縁の話だと思っていたし、友人というわけでもなかったから、特に問いただしてみようとも思わなかった。


 しかし、いまになって、あの時、恥を忍んで聞いておけば良かったと後悔している。


 何だ? 何をするんだ?


 まさかかおるに聞くわけにはいかない。

 ましてや紗世さんに聞くだなんて。

 セクハラになるんだろうか、こういうのも。


「ダメだな、雑念が入ると」


 地下室でギターを弾いている。

 章灯さんの話でいまいち理解出来なかった箇所があって、そこを問いただすと、頭を整理する時間が欲しい、と言われたからだ。

 さっきから曲のイメージが下りかかっているのに、形にしようと弾いてみると雑念が邪魔をする。


「これのせいだろうか……」


 左手首から香ってくるシトラスの香り。

 時間が経ったからか、はたまた、自分の体臭と混ざったためか、つけたての新鮮な香りとはまた違っている。それでも、何だかぐっと『女』に近付いた気がして何だかくすぐったくなる。

 ギターを弾くとどうしても腕が動くので、その度に香りが上がってくるのだ。


 一旦新曲はあきらめて、『ORANGE morning』を弾くことにした。デビューしたらさまざまなインストアイベントにも呼ばれるだろう。場所によってはアコギしか持って行けなかったりもするし、それを見越して章灯さんも練習しておいた方が良いだろう。


 背後から、お待たせ、と章灯さんの声が聞こえる。頭の整理というのは終わったのだろうか。


 あらかじめ用意していた簡易椅子を勧めると、彼は大人しくそれに従って腰を落とした。


 いま弾いている曲は何だと尋ねられる。

 さすがにコードだけでは何の曲かわからないようだったが、イントロを弾いてみると、それに合わせて鼻歌で歌い出した。

 どうしてこの人の声はこんなにも落ち着くのだろう。


「歌いませんか、このまま。アコースティック・バージョンで」


 念のため、歌い出しの合図をすると、章灯さんはいつもより優しい声で歌い出した。思った以上にハマる。


 もう本当に何なんだ、この人は。

 どうしてこんなにもこちらの心をかき乱してくるのだろう。

 

 おや、珍しく、歌詞を間違えたようだ。

 どうしたんだろう。ここは一度も間違えたことがなかったのに。

 不思議に思ってちらりと隣を見ると、章灯さんはニヤリと笑ったまま歌い続けた。

 

 何だ、わざとじゃないか!

 この人は……!

 そっちがそう来るのなら、こっちだって。


 そう思って、原曲にはない箇所で声を重ねてやる。

 案の定、章灯さんは驚いた顔で見つめてきた。


 参ったか。お返しだ。

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