♪79 『START !』
日の出テレビ第1スタジオに設置された赤とオレンジをテーマカラーにしたセットを一瞥すると、
あともう数分で本番が始まる。
隣を見ると、何度も深呼吸を繰り返す
明日からは奥にある席に座ってのスタートとなるが、初回の今日はメインMCの2人は立った状態で挨拶やコメンテーター達の紹介をすることになっている。
「ミスしても俺が全部フォローしてやるから、汀はどーんと構えてな」
カメラに視線を固定したまま明花の背中を軽く叩くと、キャッと小さく叫んだ後で「頼りにしてます」という明るい声が聞こえた。
隣の第2スタジオではメディア初登場となる『ORANGE ROD』のメンバーが待機している。
終了15分前に、この番組のエンディングテーマである『ORANGE morning』を生演奏することになっているのだが、章灯以外の出演者のみならず番組スタッフさえもこのユニットが何者であるのかを知らされていない。20分前になったら、章灯が第2スタジオにカメラを引き連れて行くという段取りになっているため、さすがに衣装に着替える時間はなく、せいぜい眼鏡を外してジャケットを脱ぐくらいだろう。
章灯は正直なところ、番組自体はそんなに心配していない。これでも3年間『WAKE!』でコーナーを任されてきたのである。それに、進行だって間近でずっと見てきている。頭の中にしっかりとイメージもある。
それよりも心配なのは、エンディングだった。この『アナウンサー
章灯はポケットの中に忍ばせた『お守り』を服の上から軽く握った。
「本番入りまーす。10秒前ー。……4、3、2……」
晶の作曲したオープニングテーマ『START!』が流れる。心の中で3、2、1とカウントして明花と共に丁寧に頭を下げ、顔を上げると同時に得意の爽やかな笑顔を浮かべる。メンバーはこの姿をモニターで見ているだろうか。
「おはようございます! 新番組『シャキッと!』スタートです!」
「――お、始まったぞ。こうやって章灯の姿見んの新鮮だな」
機材のセッティングを終えたメンバーは小さいモニターを囲んで座っている。
「だな。こうやって見ると、章灯って結構男前じゃねぇか、なぁ、アキ」
「そうですね」
「つれねぇなぁ」
不満気にそう漏らす
画面の向こうにはビシッとスーツを着て、黒縁の伊達眼鏡をかけた爽やか好青年がいる。
家にいる時とはやはり別人だ、と晶は思った。しかし、共演者にはこれがいつもの章灯なのである。そしてこの数時間後には、共演者も視聴者も知らない彼が現れるのだ。
――見てろ。
晶は赤いギターのネックを握りしめてニヤリと笑った。
「さて、そろそろエンディングのお時間、なん、です、が……」
もったいつけるようにそう言い、ちらりと隣を見てからにこりと笑顔を浮かべると、そのバトンを受け取った明花がその続きを述べる。
「本日は、初回ということで、この『シャキッと!』のエンディングテーマを生演奏していただけるんですよね?」
「そうなんです!」
「実は、私達も、一体どんな方々かって名前すら一切知らされてないんですよね」
明花が笑顔でコメンテーター達に振る。
「そうなんですわ~。日のテレさんケチケチしすぎやで」
お笑いコンビ松竹の松ヶ谷俊樹はホンマかなわんで、と笑った。
「では、山海さん、第2スタジオの方へお願いします!」
明花に促され、「わっかりましたぁ!」とわざとらしく敬礼をしてカメラマンと共に第1スタジオを出る。
ここで一度CMが入る予定だ。第2スタジオの扉の前で立ち止まり、CMが明けるのを待つ。
イヤーモニターからCM明けのカウントダウンを聞き、タイミングを合わせて扉を開いた。
第2スタジオの中央には、無愛想な晶とそのやや後ろにニヤニヤと笑っているサポートメンバーがいる。2人は明らかに視聴者にではなく章灯に向けて笑いかけていた。その目は『いつ変わるんだ』と問いかけているようだ。
まだですよ。もう少しだけ俺は『山海章灯』です。
心の中でそう返す。
「本日はよろしくお願いします!」
アナウンサーらしく丁寧に頭を下げると、それにつられて3人も軽く頭を下げる。
章灯はカメラの方を向き、笑顔を浮かべて言った。
「随分寡黙な皆さんですね。さて、このユニット名やエンディングテーマのタイトルですが、一体どなたが紹介してくださるんでしょうか……?」
そう言いながら、絶対に答えてくれないことをわかっててあえて晶にマイクを向けてみる。
案の定、晶は困った顔をして首を振り、顔を背けた。
「では、こちらの方が……?」
そう言って湖上と長田にも同様に振るが、章灯の意図を読み取った2人は、晶の真似をして首を振り、顔を背ける。
「困りましたねぇ」
カメラに背を向けた状態で3人を見回し、ニヤリと笑ってそう呟いた。
ジャケットを脱ぎながら無言でマイクスタンドの前に立つと、不思議そうな顔をしているカメラマンにそれを渡し、伊達眼鏡を外してYシャツの胸ポケットに入れる。ポケットから『お守り』を取り出し、装着した。
「では、自分から紹介させていただきます。どうもこんにちは、【ORANGE ROD】ヴォーカルのSHOWです」
第1スタジオにつながっているイヤーモニターからは明花の「えぇっ?」という声が聞こえた。
「そして、メンバーはギターのAKI、ベースとドラムはサポートなので、2人組のユニットです」
湖上と長田の名前を出さないのは打ち合わせ済みである。
「それでは、時間もないので聞いてください。『シャキッと!』エンディングテーマ『ORANGE morning』!」
遡ること、十数分前、章灯が去った後の第1スタジオである。
まだ気を抜いてはいけない、と明花は思った。何せこのスタジオの様子はテレビ画面の左下に常に表示されているのだ。
CMに入り、明花は目の前のモニターで章灯が第2スタジオのドアの前で立ち止まっているのを見た。このCMが空けたら、このドアを開けるという段取りになっている。
どんな人達なんだろう。ここまで完全シークレットってことは、余程の大物なのかもしれない。
そう思うと、手が震えてくる。
CMが空け、モニターの中の章灯が勢いよく第2スタジオのドアを開けた。
「あれ……、晶君……? 湖上さんに、長田さんも……」
第2スタジオにいたのは、『
この人達、一緒のバンドだったんだ。もしかして、先輩、コレつながりで知り合ったのかな。でもそうなると、先輩はエンディングをこの人達が担当するって知ってたってことに……?
混乱しながらも、明花は章灯と3人のやり取りに注目する。
章灯は晶にマイクを向けるが、素気無く断られてしまった。
晶君、無口だったもんなぁ……。きっと湖上さんが答えてくれるだろう。ていうか、このバンドって誰が歌うんだろう。
マイクスタンドは3本ある。1本は晶の前に。もう1本は湖上の前に。そして最後の1本は中央にぽつんと立っている。
『困りましたねぇ』
モニターの中の章灯がそう言いながらそのマイクスタンドの前に立った。
『では、自分から紹介させていただきます。どうもこんにちは、【ORANGE ROD】ヴォーカルのSHOWです』
「――えぇっ?」
明花の声は第1スタジオ内に響いた。それにつられてコメンテーター達もざわつき始める。
「汀さん、聞いてた?」
離れた位置からママタレントの笹原みどりが身を乗り出して尋ねてきた。
「いえ、まったく……」
目を真ん丸にして驚いている顔を見て、笹原はどうやら本当らしいと納得したようで、すとんと椅子に座りなおした。
呆気にとられている第1スタジオの出演者の顔をカメラは順々に映していく。おそらくこの顔は余すところなく視聴者に伝えられているだろう。
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