♪77 晶と皐月

「コガさん、ベースを教えてください」


 中学に上がる頃、あきら湖上こがみに対して敬語で話しかけるようになった。

 湖上はそれを他人行儀で嫌だと言ったが、晶は「学校で尊敬する人には敬語を使うと習いましたから」と頑なにそれを止めようとしなかった。ただ、自分が晶の『尊敬の対象』となっていることに関しては飛び上がるほど嬉しかったが。


 可愛い娘のお願いとあっては断るわけにはいかず、湖上は晶にベースを教えた。思った以上に晶の飲み込みは早く、あっという間に弾きこなせるようになってしまう。


「この分だと、アキと一緒に仕事が出来る日も近いな」


 そう言って笑うと、晶も照れたように笑った。

 


 思い詰めたような顔をした晶から、コガさん、ギターは弾けますか、と聞かれたのは、彼女がそこらのプロと遜色ないほどにベースを弾きこなせるようになった頃のことだった。


「弾けるけど……。どうした? ベースはもう辞めちまうのか?」


 湖上は少し残念な気持ちで答える。


「ベースじゃコガさんと同じバンドに入れないから、ギターにします」


 晶は俯きながらそう言った。

 その言葉に胸が締め付けられそうになった。


 一緒に仕事をする、なんて何気なく言った言葉だったのに。お前はそれを夢にしてくれるのか、と。


「よっしゃ、その言葉忘れんなよ。一緒に組もうな」


 晶の小さな背中を軽く叩いてガハハと笑った。

 

 


「――ま、まぁ~、俺の本業はベースだから、な!」


 晶にギターを教え始めて数ヶ月、湖上の口からそんな言葉が漏れた。


「俺からお前に教えることはも――――ねぇっ。あとはこれでも見て研究しろ」


 そう言って、自分が持っているDVDを何枚か貸した。


「それに飽きたら俺の部屋にあるやつ勝手に持ってって良いからな」という言葉を付け加えて。


 その日から晶は学校から戻ると部屋にこもってひたすらDVDを見ながらギターを弾くようになった。

 母親譲りの才能でどんどん吸収し、次々と湖上の部屋からDVDを持ちだしていく。

 たまに適当な曲を弾かせてみると、もう立派に弾きこなせるようになっていた。



「コガさん、この人のはもうないんですか」


 ある時、そう言って、晶は1枚のDVDを渡してきた。それは、VHSをDVDにダビングしたものだった。


「お前……、コレ、見たのか?」

「見ちゃダメなやつでしたか?」


 すまなそうな顔をする晶に湖上は首を振った。ラベルには『SUPERNOVAスーパーノヴァ』と書かれている。


「いや、そんなこたぁねぇけど。アキ、見てて何か気付かなかったか?」

「ちょっと画像が荒かったので、細かいところは。でも、いままで見た中でいちばんこの女の人が上手だと思いました」

「ま、まぁ、昔のVHSだからなぁ」


 そう言いながら、居間のデッキに入れ、再生させてみる。


「あー、やっぱり顔までは良く見えねぇか……。俺にはコレで充分なんだけど」


 そんな独り言を呟いてみる。


「あのなぁ、アキ、この女の人はな、俺が世界で最も尊敬するギタリストだ」

「え……?」

「この人を目標にしろ。この人を超えられたら、間違いなくトップクラスだ」


 そう言って頭を撫でる。


「ただ、残念ながら、ウチにはこれしかねぇんだ。会社にないか探しといてやるよ」


 後日、会社に保管されていた『SUPERNOVA』の映像をすべてDVDにダビングして渡すと、前にも増して晶はギターにのめり込んで入った。

 娘達の前では頑なにギターを弾かなかった皐月を思い出し、このギタリストが母親であることは黙っていようと思った。



 高校に上がる頃、晶の演奏を録音したものを社長の渡辺に聞かせると、ぜひ直接会ってみたいと言われた。


 翌日の放課後、会社に連れて行くと、渡辺は晶の姿を見るなり、はらはらと涙を流した。恐らく分かったのだ、晶が誰の子であるかを。その様子を晶は訝しげに眺める。

 演奏中も渡辺は時折声を詰まらせ、何度かハンカチで目頭を押さえていた。

 演奏が終わると彼は晶に、生年月日とプロになる気はあるのかと2つだけ質問をした。

 晶は素っ気なく生年月日を答えた後で、プロになって、コガさんと一緒に仕事がしたいです、と言った。



 その日の夜、渡辺から呼び出され、いますぐにでもデビューさせたいことと、晶が皐月の娘であるなら、おそらく自分が父親であることを告げられた。



 ユニットの解散後、急に別れ話をされ、会社も辞めて、その後連絡がつかなくなってしまった。

 でも、時期的に、俺の子で間違いはない。

 ただ、俺はそれを知らずに家庭を築いてしまった。

 晶がウチに入るなら、あれだけの腕だ。援助は惜しまない。

 お前もいるし、この先、父親だと名乗ったりは絶対にしない。



 渡辺は右手で瞼を覆って、苦しそうな声でそう言った。


 それを聞いた湖上は、絞り出すような声で「晶のデビューはアイツの実力ですよね?」と尋ねた。


 アンタの子だからじゃないですよね?


 そう続けたいのをこらえて。


「もちろんだ。お前も認めてるんだろ」


 渡辺は深く頷いた。


「そりゃもう。でも、出来れば高校だけは卒業させてやってください」

「それはもちろんだ。ただ……、1つ条件がある」



 デビューさせたいと言っておいて、何が条件だ。

 


 そう思いながらも「何でしょう」と尋ねる。何せ相手は自分の雇い主だ。


「晶は、性別を隠してデビューさせる」

「――は? ……それは、どういう……」

「ウチは一度『女性ギタリスト』で目を付けられている。さすがに『男』と言うのはまずいが、性別そのものを非公表として、晶には男のように振る舞ってもらいたい」

「そんな……」

「晶を守るためだ。俺は皐月のようにはなって欲しくないんだ……」


 そう言って渡辺は両手で顔を覆い、肩を震わせた。



 かおるが友達の家へ泊まりに行くと言って家を空けた日、湖上は晶と2人きりの夕食の席で渡辺との話を打ち明けた。


「わかりました」


 晶はほとんど表情を変えずに一言、そう言った。


「わかりましたって……、お前、性別隠すんだぞ? 隠すっつーか、何なら男の振りをしろって話だぞ?」

「女らしくしろと言われるより気が楽です」

「そう……かもしれねぇけどさぁ」

「女性ギタリストで一度目を付けられてるというのは、あの『SUPERNOVA』の女性のことですか」

「……そうだ」

「その人は、まだカナリヤレコードにいるんですか?」

「え?」

「まだいるのでしたら、先輩になりますし、会ってみたいです」


 そうだよな。そうなるよな。


「あの人は……、もういないんだ」

「別の会社に移ったんですか」

「そういうことじゃなくてな」

「じゃ、引退しちゃったとか」

「そ、そう、引退したんだ。解散してすぐにさ、寿退社ってやつ? いや~、あの腕は惜しかったなぁ~」


 無理やり明るく笑ってそう言ってみる。


 そう、引退しちまったんだよ、この世からな。


「寿退社ですか……。お子さんはいらっしゃるんですか」

「え? お、おう、いるいる。めちゃくちゃ可愛い女の子がな」


 そこは嘘をつけなかった。だって、その子達は存在しているんだから。


「2人ですよね?」

「――ん?」

「そのお子さんって」

「え? おう、良く……わかったな」

「名前は、郁と晶」

「アキお前……知って……?」


 湖上は腰を浮かせ、前のめりになった。晶の表情は変わらない。


「コガさん、夜中にあのDVD見て泣いてましたよね」

「起きてたのか……?」


 晶に会社でダビングした『SUPERNOVA』のDVDを渡した日。最初に見せたDVDを居間に残していったので、彼は夜中に1人でそれを見たのである。薄暗い居間で見ると、楽しかった日々が蘇ってきて、涙が止まらなかった。


「コガさんがあんなに泣くのはおかしいと思って、調べました」

「マジか」

「女性ギタリストだったから、解散した」

「それは」

「だったら、男になります」

「アキ」

「きっと、母もそれを望んでいるはずです」

「そんなわけ」


 ない、とは言い切れなかった。皐月は自分の子が同じように音楽の道に進むかもしれないと考えたのかもしれない。その時に性別が邪魔をしないように、わざと中性的な名前をつけたのではないかと思ったことがある。


 晶もそれを言っているのだろう。



 何でアキのくせにそういうのに気付いちゃうんだよ。



「それでギターが弾けるのなら、喜んで男になります」


 晶はそこでにこりと笑った。

 湖上は俯いて、次の言葉を探していた。


 

 違うんだ。違うんだよ、アキ。

 例えそうだとしても、お前には女でいてほしいんだ。

 すげぇ女のギタリストがいるんだっていう事実を隠さないでくれよ。



「だからコガさん、ボロが出そうになったら助けてくださいね」


 その言葉に湖上はただ頷くことしかできなかった。


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