♪69 The day of decision
何となく、
それでも、『飯食ったかTEL』だけは欠かさなかったが、1日3回、数秒だけのコミュニケーションである。これが付き合いたての恋人同士のやり取りかと思うと、かなり味気ない。
帰宅後もリビングに晶の姿はなく、ギターの音が聞こえる時は自室、聞こえない時は寝ているか地下室にいるのだろうということくらいしかわからない。
本当にこれで良いんだろうかと、
とうとう金曜日を迎え、今日は『急な飲み会でどうしても』と嘘をつかなくて良いことに安堵しながらも、その足取りは重い。
相変わらず駐車スペースには自分と晶の車しかない。
「ただいま――……」
玄関を見ても、やはりあの2人の靴はなく、自然とため息が漏れた。吐き出したため息を吸い込むように深呼吸をすると、夕飯は揚げ物らしく、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
リビングのドアを開けると、その香りはいっそう強く、空腹感を刺激する。
「お帰りなさい、章灯さん」
コンロの前に立っている晶がちらりとこちらを見た。
「おう、ただいま」
そう言って、指摘される前にまっすぐ洗面所に向かいうがいと手洗いを済ませると、再びリビングを通過して自分の部屋へ向かう。はぁ、と大きくため息をつき、部屋着に着替えてベッドにごろりと横になった。
まだ揺らいでいる。
自問の答えはまだ出ていない。
そうした方が良いのだという気持ちもある。こんなに悶々とした毎日を送るくらいなら、いっそそうした方が良いのかもしれない。
でも、本当にそれで万事うまくいくのだろうか。
逆に晶を傷つける結果となってしまわないだろうか。
「章灯さん?」
コンコン、と控えめなノックの音がする。
「夕飯、出来ましたけど」
「ああ、いま行く」
ぶっきらぼうにそう言って、身体を起こした。
――気合入れろ、俺、と。
リビングのテーブルには既に料理が並べられている。今日は章灯の好物であるヒレカツだった。たまたまヒレ肉が安かったとか、そういう理由かもしれないが、久し振りに一緒に食べられるということで、晶の方でも気合を入れたのだろう。うまそ~、とわざとおどけた声を発して、席に着いた。
適当なバラエティ番組を垂れ流して、時折、その話題に乗っかりながら『普段通り』の夕飯は終わった。
いつものように黙々と洗い物を済ませつつも頭の中は『これからのこと』でいっぱいである。
どう切り出そう。さすがに今日はアルコールの力を借りるわけにはいかない。
「章灯さん」
いつの間にか背後に立っていた晶が、水音が止まったタイミングで声をかける。
「――うわっ、いたのか、アキ。全然気付かなかった。忍者かよ、お前」
普段から存在感があるタイプではないのだが、今日はいつにも増して忍び感がある。いや、今日は章灯が考えごとに夢中だっただけなのだが。
「章灯さん、ちょっとお話があります。終わったら、お時間いただけますか」
「え? あー……、俺も、ちょうどアキに話があったんだ。待ってろ、もう終わるから」
「そうですか。では、リビングに戻ってます。お酒、飲みますか」
「いや、今日は止めとく、かな」
「わかりました」
晶はそう言ってすたすたとリビングへ向かった。
「――さて」
テーブルの上には赤と青のコーヒーカップが並べられている。酒は飲まないと言ったが、さすがに何か飲むものは欲しかった。
「どっちから話す」
章灯はふわふわと立ち上る湯気を見つめた。3人掛けのソファに並んで座ったが、いつもより2人の間の空間が広い。
「ああ、やっぱり俺から話すわ」
どっちから、と提案したものの、こういう時はばしっと男からいくべきかと思い直した。
2人とも、まっすぐ前を見ている。
目の前には40型のテレビと、まだ『歌う! 応援団!』しか入っていない本棚がある。あまりの殺風景ぶりに、大型の観葉植物でも置けば良かったかな、などと思ってみる。
「あのさぁ、アキ。ここ最近ずっと考えてたんだけどな」
隣から晶の視線を痛いほど感じながら話し始める。首筋にチリチリと刺さるその視線で、彼女がこちらを向いていることはわかっていた。けれど相槌は打っていない。彼が話すのを、じっと見守っている、というのが正しいのかもしれない。
「どうするのが俺らにとって一番良いのか、っていうかさぁ」
そこまで言うと、章灯は自分の膝に肘をつき、両手で顔を覆った。
泣いているわけでもないのに、喉が詰まって、それ以上続けることが出来ない。
「章灯さん?」
顔を覆ったまま動かない章灯を晶は心配そうに見つめ、ゆっくりとその背中を擦る。
「ごめんなぁ、アキ。俺、ほんと情けねぇやつで」
「情けなくなんてないですよ。辛いようでしたら、話すの交代しましょうか」
「いや、良い。最後まで話す」
そう言って、手を離し、姿勢を正す。ふぅ、と大きく息を吐いた。
逃げるな、俺。ちゃんと目を見て話せ。
「――アキ、俺、しばらくココ出るわ」
晶の目を見て一気に言い放った。
晶は目を丸くしている。
「……どうしてですか?」
数秒の沈黙の後、晶は俯き、震えた声でそう言った。
ああ、これはきっと直に泣いてしまうだろう。
章灯の予想通りに程なくして晶の身体は小刻みに震え始めた。その姿を見るのが辛く、テーブルの上の箱ティッシュを晶の膝の上に乗せると、視線を逸らす。
「お前、最近スランプなんだろ? 幸い、俺の部屋はまだ解約してねぇし、しばらく俺の顔見ない方が集中出来るんじゃないかと思ってさ。別に解散するとかじゃねぇし、まぁ、デビュー前に解散ってのもおかしな話だけど。はは……」
最後は少しだけおどけたように話してみる。
「それは……」
絞り出すような晶の声が聞こえた。章灯はその声を逃さないように身を屈めた。
「コガさんですか。それともオッさんですか」
「……提案してきたのはコガさんだけど。でも、結論を出したのは俺だ」
――本当か?
本当にこれが俺の結論なのか?
お前、アキと離れたくねぇんじゃなかったのかよ。
それはいまでも思っている。
けれども。
「でも、アキがスランプ脱出したら、戻ってくるし」
「……いつですか」
さっきまでの弱弱しい声ではなかった。
「――え?」
「いつここを出るんですか。いまですか。明日ですか。明後日ですか」
はっきりとした声で、畳み掛けるように問いかけてくる。
「いや、予定では、明後日……とか」
「わかりました」
そう言うと、晶は立ち上がってすたすたと自分の部屋に向かった。
「――え? アキ? ちょっと……」
バタンとドアが閉まったかと思うと、またすぐに開いた。晶は真っ赤なギターを担ぎ、紙の束を持っている。
「アキ?」
晶はちらりと章灯を見ると、悔しそうに下唇を噛んだ。そして無言で地下室の方へと歩き出す。
「おい、ちょっと、アキ!」
慌てて追いかけ、その肩をつかんだ。
「どうしたんだよ、いきなり」
晶はしばらく無言を貫いていたが、目に涙を溜めた状態でキッと章灯をにらんだ。
「章灯さんが出した結論なら、私に反対する権利はありません」
しゃべるうちにその涙はほろりと頬を伝った。けれど、それを拭うこともしない。
「だったら、明後日までに脱出すれば良いんですよね」
「え……?」
「スランプ脱出したら、さっきの話は無効ですよね」
「そう……だけど……。そんなに簡単なもんじゃねぇだろ。まさか地下室に缶詰めする気じゃねぇだろうな。ただでさえ作曲中は倒れやすいのに」
「私を見くびらないでください」
涙は、その一粒零れただけだった。
晶はまっすぐ章灯を見つめ、凛とした表情でそう言い切った。
「この程度の壁を乗り越えられないようでは、プロではありません」
そう言って、地下室へのドアを開き、階段を下りていく。
章灯はただ唖然としてその様子を見守っていたが、ドアが閉まると、その場にへたり込んだ。
何も言い返せなかった。
止めることも出来なかった。
ああ俺は、こんな時までヘタレなのかよ、と。
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