♪68 無理難題
件名:お疲れ
本文:仕事、何時に終わる?
終わったら連絡しろ。
勤務中に
今晩も飯を食いに来るのだろうか。いや、だとしても、いつもならいちいちこんなメールは寄越さない。
業務を終えてデスク回りを整頓してから、
「おぉ、悪いな。もう終わりか?」
「はい。もうぼちぼち出ます。どうしました?」
「ちょっとお前に話があるからさぁ、オッさんと良く行く喫茶店あるだろ、オセロ。あそこで待ってっからよ」
「――え? 話だったら別にウチで良いじゃないですか。アキにだって会いたいでしょうに」
「んー、まぁ、察しろよ。俺がわざわざお前ん家を外した理由をよ」
「――てことはアキ関連ですか。わかりました。電車なんで、3~40分はかかると思いますけど」
「良い、良い。軽く食ってるからゆっくり来いや」
そう言うと電話はぷつりと切れた。
家では話せない、晶関連の話とは、と気難しい顔でデスクに戻ると、隣の席の
「先輩、どうしたんですか? そんな顔して」
「――え? ああ、何でもないよ」
「そんな風には見えませんけど……。もしかして、昨日の
明花は声を潜めて佐伯の名前を出した。そう言いながらデスクの上に置いたスマートフォンのスリープ機能を解除し、ホーム画面に貼りつけられている
「汀も知ってるのか?」
それにつられて章灯の声も小さくなる。
「もちろんです。ていうか、局内では皆知ってますよ」
「皆って、佐伯も?」
「もちろん。局の公式がクレームですごいことになってましたし、ネット掲示板でも炎上祭りだったみたいで」
「マジかよ」
章灯は椅子に深く腰掛け、両手で顔を覆った。
「先輩がそんなに気落ちしないでくださいよ。佐伯さんは、こういうことがあった方が、名前が売れて良いんだって笑ってましたし。強がってるだけかもしれませんけど」
「アイツなら言いそうだな」
「先輩がそんな顔してる方が佐伯さん辛いと思いますよ? ――そうだ、先輩、ご飯でも行きませんか? 私、あともう少しで上がりなんで」
明花は章灯の顔を覗き込みながらにこりと笑った。本当に、名前の通り、『明るい花』のような女性である。
「いや……、ごめん、今日はちょっと先約があって」
「なーんだ。また『晶君』ですかぁ?」
明花はわざとらしく頬を膨らませてみせる。
「いや、今日は『湖上さん』だよ。覚えてるか? クリスマスライブの、金髪のおっさん」
「ああ、湖上さん! 覚えてますよ~。良いなぁ~。今度私も誘ってくださいね」
「良いけど、あの人、手ェ早いから気を付けろよ」
本当に早いのかは知らないが、長田がそう言うのだから、恐らくそうなのだろう。
「じゃ、お疲れ」
「すみません、お待たせして……」
喫茶オセロに着くと、湖上はどうやら指定席らしい角の窓側の席でナポリタンを食べている。
「おう、すまんな。まぁ座れや。何か食うか?」
「いえ、アキの飯があるんで」
「だろうな」
良いよなぁ、お前は毎晩アキの飯でさぁ、と恨めしそうに言いながら、湖上はウーロン茶を飲んだ。
章灯は注文を取りに来たウェイトレスにホットコーヒーを頼んでから切り出す。
「で、話って何ですか」
湖上はペーパーナプキンで口の周りを丁寧に拭き、再度ウーロン茶で喉を潤した。
「とりあえずさ、コレ聞いてくれ」
そう言って鞄から取り出したのはかなり使い込まれたテープデッキとイヤホンである。
「何すか」
それを受け取り、イヤホンを差して再生ボタンを押す。流れてきたのはギターのメロディだ。おそらく
「新曲……?」
そう呟くと、湖上はゆっくりと頷いた。
「――ううん? うん……、ううん」
短くそう発して眉をしかめたままじっと耳を傾けている章灯を、湖上は頬杖をついて眺めている。
聞き終わり、停止ボタンを押しイヤホンを外すと、デッキを湖上の前に置いた。湖上はそれを受け取りながら、一言、どうだ? と聞いた。
「どうって……。まぁ、変わった曲だな、と」
章灯は聞いている途中で運ばれて来たコーヒーに口をつけた。
「そんだけか?」
「え? だって、コガさん、似たような曲ばっかり作ったって仕方ないって前言ってたじゃないですか」
「そりゃ言ったけどよぉ。ああ、そうか、お前まだアキと付き合いが短いからわかんねぇんだな」
「まぁ……、まだ3ヶ月ですからね。でも、こないだアキのCDは2枚ほど買ってきましたよ」
「お? マジか。どれだ?」
「えーっと、『
「聞いてねぇのかよ! ……ていうか、まさか、『SUPERNOVA』を選ぶとはなぁ」
「――へ?」
「それはアキの唯一のカバーアルバムだぞ。良くもまぁ引き当てやがって」
「マジすか」
「まぁ良いや、それは置いといて。で、さっきの曲だけどよ。聞いててどんなイメージだった? お前意外とそういうの読み取るの上手かっただろ」
湖上はテーブルに両肘を乗せ、ぐいっと身を乗り出して顔を近付いて来る。
「ちょ、近いっす……。まぁ、どんなイメージかって聞かれたら……、何ていうかもう、妖艶な大人の女性って感じですね。作った本人と180度違って。アイツ、こんな感じの書けちゃうんですね。さっすがプロだなぁ、ははは」
「ははは、じゃねぇんだよなぁ、それが……」
湖上は椅子に深く座り直した。テーブルに頬杖をついて、大げさにため息をつく。
「それが?」
「アキなぁ、どうも『これ系』しか作れなくなったみたいでな」
「これ系……って何すか?」
「さすがアキなだけあって、全部バラードとかそういうことはなかったんだけどな。どんなジャンルの曲を作っても、全部こんな感じになるらしい」
「あの、こんな感じって……? 俺、あんまり音楽のことわかんないんすけど」
「んー、だからなぁ、さっきお前も言ったろ『妖艶な大人の女性』って。だからまぁ、ざっくり言うと、あれだ、『エロい感じ』だ」
「はぁ?」
「何かな、アキがオッさんに相談したらしいんだけど、浮かんだイメージに雑念が入って、こうなるみたいなんだわ」
「……はぁ」
「はぁ、じゃねぇよ、この野郎! その雑念ってお前のことだからな!」
「はぁ?」
「……お前そういえば鈍感野郎だったな。だから、『恋する乙女』のアキちゃんはぁ、作曲中もぉ、『愛しの彼』のことでぇ、頭がいっぱいだっつーことだよ!」
湖上がわざとらしく語尾を伸ばしつつ、ため息混じりでそう言うと、やっと事情を飲み込めたらしい章灯は顔を真っ赤にして絶句した。
「おいおい、あっちでもこっちでもゆでダコかよ。お前ら何なの、マジで。中学生?」
「いえ、あの……、俺は別にアキほどでは……」
章灯は目の前のお冷を一気に飲み干した。
「いやいや、お前も大概だよ。んでさぁ、別に何曲かはあっても良いけどさ、こういうのは。飛び道具的に、っつーかな。ただ、さすがに今後全部これっつーのはきついわけよ」
「そうですね……。歌詞も似たような感じになっちゃいそうですし」
「だろうな。……てなわけでだ」
湖上は再度身を乗り出して顔を近づけてきた。そして、うんと低い声で章灯に耳打ちする。
「――いっ、いやいやいやいや! おかしいでしょう!」
湖上の提案に章灯は激しく首を振る。しかし湖上も無言で首を横に振り、『
「悪化しますって、絶ッ対!」
章灯も負けじと抗議するものの、湖上はなおも首を振った。
「デビュー前の大事な時期ですよ? こじらせたら大変ですって!」
身を乗り出し声を潜めて、章灯は必死の抵抗を試みる。
「じゃ、お前は何か良い案があるってのかよ」
湖上は頬杖をつき目を細めて章灯をにらむ。
「そ……れは、ないですけど」
「だったら、四の五の言わずに実行に移せよ。まぁ、さすがに平日は厳しいだろうから、金曜だな」
「そんな」
喫茶オセロを出て、とぼとぼと駅に向かう。
さっきのコガさんの提案は確かに効果があるのかもしれない。彼は人生経験も豊富だし、何より、アキの『親父』だ。
でも、本当にそれが正解なんだろうか。
アキのことだから、それが今後の楽曲のためだと言えば首を縦に振るだろう。
でも、俺はそれで良いのか?
もちろん、アキがそれを望んでいるのなら構わない。
――いや、そんなのは嘘だ。アキが望んでいても、俺が嫌だ。
電車に揺られながら章灯はそう考えた。
いつもより少しだけ遅い帰宅だったが、晶は特に気にしていないようだった。
赤いエプロンを着けて黙々と夕飯の支度をする晶は、章灯には普段と変わりがないように見える。
でも、実際のところはかなり深刻なスランプに陥っていて、それを恋人である章灯にではなく、長田に相談したのだ。
つくづく、音楽については全く頼りにされない自分が情けなくなる。いや、音楽以外でも、相談といえば、相手はやはり長田が選ばれる。これまでの実績があるからだろうか。まだそのポジジョンを代わることなど自分には出来ないのだろうかと、そう考えると胸が痛い。
精一杯平静を装って、『普段通り』を心がける。金曜日までは、晶に気取られるわけにはいかないのだ。
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