♪35 moimoiz

「ちょっと待ってくださいよ……」


 新宿にある『STAR FLASH スタジオ』のメイクルームでメイクが完了した章灯しょうとは、変わり果てた自分の顔を見つめて唖然とした。アメリカのハードロックバンド『ONE'Sワンズ KISSキッス』も顔負けの白塗りメイクである。目の周りはぐるりと黒く塗られ、まるで凶悪なパンダだ。


 メイクを担当したのは新宿のゲイバー『STUPID』の店長ローズである。どうやら渡辺社長とは懇意らしく、「口が軽けりゃ新宿でゲイバーやれないわよ」と言って、この役を引き受けてくれたらしい。


「良いじゃないのよぅ。パンダちゃんみたいでとーっても素敵よ。それに、ここまでやんなきゃスタッフさん達にバレちゃうわよぉ~?」


 くねくねと身をよじらせ、鏡越しに熱い視線を向ける。ちらりとメイク済みのあきらを見ると、こちらはもう反論する気力もないらしく、真っ赤なウィッグに白塗りメイクを施され、ぐったりとソファにもたれていた。そんな状態でもギターは手放さない。本番テストが控えているというのもあるのだろうが、それが心のよりどころなのかもしれない。


 俺も気合入れないとな。


 目を瞑ってそう決意し、カッと見開く。


 鏡の前には凶悪パンダ男がこちらをまっすぐに見つめていた。いつの間に被せられていたのだろう。もはや神業としか言いようがないテクニックである。


「――ろ、ローズさんっ? この髪……っ!?」

「大丈夫、ただのウィッグよん」


 そう言ってバサバサと長い睫毛で鏡越しにウィンクする。


「そういうことじゃなくて!」


 ……俺、大丈夫かなぁ……。


 我が目を疑うほどに変わり果てたその姿を見て、章灯はローズに気付かれないよう、小さくため息をついた。



「まったく……。何が『海山透と愉快な仲間たち』だよ。ふざけたバンド名つけやがって」


 こぢんまりとした控室のソファにだらしなく座ってmoimoizモイモイズのヴォーカル松崎孝二は忙しなく煙草をふかしている。


「どうせ新人だろ? こっちはもう7年もやってる大先輩だぜ? 完膚なきまでにがっつり叩きのめしてやるっつーの」


 小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座ったギターの三沢宗太がへらへらと笑う。


「あーあー、カナレコの社長さんもなぁーに考えてんだろうなぁ……。『歌う!~』のタイアップは俺らで決まりだったのによぉ」

「ま、ぺーぺーの新人がどんなに足掻こうと俺らにゃ勝てねぇって。何たって俺らは『passion期待のアニソンユニット・moimoiz』様だからなぁ」

「だよな! 新人君達、かっわいそぉ~お。ショック受けて解散しなきゃ良いけど」

解散それなら解散それで良いんじゃね? ふざけたバンド名付けるような生意気野郎共だし」

「確かに!」



 『海山透と愉快な仲間たち』のメンバーが挨拶にやって来たのは、moimoizの2人がそんな話をしていた時のことである。フレッシュな新人らしく「失礼しまーすっ!!」というわざとらしいまでにハキハキとした声とは裏腹に、ドアのノックはまるで殴りつけるかのような激しさだった。


「おはようございますっ! 『海山透と愉快な仲間たち』ですっ! 本日は勉強させていただきますっ!」


 リーダーらしき長身の男が、長い金髪をばさりと垂らし、腰を90度に曲げ、大きな声でハキハキと挨拶をする。ドアは開けたままで、その男だけが控室の中に一歩踏み出している状態だ。新人のはずなのに何だか新人らしさがない、と松崎は思った。年齢についても、少なくともこの長身は、自分よりも上のように思えた。ちらりと三沢の方を見やると、彼はただただ圧倒されているようで口をあんぐりと開けていた。


 金髪男の後ろには、彼よりさらにでかい黒髪の男、それよりはやや小さめの青髪の男、そして彼らと比較するとかなり小さい赤髪の男が控えており、おそらくウィッグであろうその髪の色は皆バラバラであるが、一様に白塗りで隈取りともパンダともとれるようなメイクをしている。


 確かにこれはこれで愉快ではあるけど……。


 メンバー4人中3人が確実に自分達よりもでかく、かつ奇抜な衣装とメイクの集団にやや圧倒されながらも、松崎は先輩風を吹かしてやろうと胸を張った。


「ま、まぁ、気楽にやんなよ。堅苦しい挨拶とかいらねぇしさ。なぁ、宗太」

「そ、そうそう。こういうの初めてなんだろ? 肩の力抜いてさ」

「ありがとうございますっ! moimoizさんの演奏、超楽しみにしてますっ! 俺達、ずっとずーっとファンだったんですっ! なぁ、康一?」


 そう言って金髪の男は後ろの黒髪に声をかけた。康一と呼ばれた黒髪の男が、ぬぅ、と一歩前に進み出た。この2人が並ぶとえらい迫力である。長身の2人が壁の役割を果たし、後ろの2人が完全に見えなくなったところでぱたりと扉が閉まった。どうやら後ろの2人は中に入らなかったらしく、室内には4人だけである。


「そうっす! 俺ら、moimoizさんが『萌え萌え~ズ☆』だったころからのファンなんです! なぁ、正義せいぎ?」

「そ……うなんだ……。ありがと……」


 三沢は完全に威圧された形らしく、それだけ言うのがやっとの様子だ。


「なっつかしいなぁ~、chickenチキン edgeエッジ


 正義と呼ばれた金髪男が目を細めて口にした『chicken edge』とは、かつて下北沢にあった小さなライブハウスである。ちなみに、現在はレトロな大正メイド姿の女性店員が人気の漫画喫茶になっている。


「ち、chicken edge……」


 その名前でが想起され、松崎は冷や汗を垂らした。手に持っていた煙草から、ぽとりと灰が落ちる。


「こないだ出した『Get the Chance!』も超カッコ良かったっすけど、俺はやっぱり初期のやつが好きっす!」


 正義は軽く身を屈め両手を強く握りしめて熱弁する。「俺も俺も!」と康一が威勢の良い挙手でそれに続く。


「しょ、初期……の……?」


 松崎は、ジーンズの上に落ちた灰を払うことも出来なかった。視線は目の前の大男達にがっちりと固定されてしまい、その上、金縛りにでもあったかのように身体も動かすことが出来ない。それはどうやら三沢も同様のようで、2人そろって正に『蛇ににらまれた蛙』状態であった。とはいえ、その蛇の方はというと、ただひたすらニコニコと笑っているだけだったのだが。


 そんな松崎と三沢を気に留めもせず、正義と康一は顔を見合わせると、示し合わせたかのようなタイミングでハイタッチを決め、正義の「せーの」に合わせてその曲名を叫んだ。


「『ドッキュン! パンチラ革命!』!!」


 顔面蒼白の状態で固まっているmoimoizの目の前で、2人は軽快に歌い出した。メインヴォーカルが正義、コーラスが康一という分担である。そういう振り付けでもあるのか、向かい合って手の平や拳を打ち合わせている。


「♪ドッキュン!」「♪あの娘も!」

「♪ドッキュン!」「♪この娘も!」


「ちょ、ちょっと……」


 やっとの思いで三沢が口を開いたがあまりに弱弱しく、2人の歌声にかき消されてしまう。


「♪見たい見せたい!」「♪パンチラ革命!」


「ちょ、やめ……」


 松崎も泣きそうな顔で腰を浮かせ2人を止めようとするのだが、その手はまったく彼らに届かない。


「♪縞パン!」

「♪白パン!」

「♪いーちーごーパンっ!」

「♪ヘイっ!」


 正義と康一はやりきった顔でハイタッチをし、完全に撃沈しているmoimoizの2人に笑顔を見せた。


「いや~、やっぱり最高っすね! 演奏前に何かテンション上がっちゃいましたぁ」


 悪魔のようなメイクと出で立ちで純真な笑顔を向ける『愉快な仲間たち』に、2人はもう何も言えなくなっていた。


「でもでも、やっぱり『ドッキュン!~』やる時は、コレっすよね。もしよろしかったら、どうぞ! 敬愛する大先輩へのご挨拶ってことで、一応用意して来たんです!」


 康一はそう言うと衣装のポケットからくしゃくしゃに丸められた白い布を取り出し、青い顔でぐったりとしている2人に握らせた。

 2人が力なくそれを広げてみると、レースの付いたショーツである。


「ちょ、ちょっと、コレ……」


 三沢が驚いた顔で目の前にそびえる男達を見上げると、2人は奇抜なメイクの上からでもわかるほどの満面の笑みで彼らを見つめ返す。


「やぁーっぱ、『萌え萌え~ズ☆』といえば、頭に被った純白パンティーっすよねぇ~? さ、さ、遠慮なさらずに! どうぞどうぞ!」


 正義はそう言うと、三沢からの手からサッとショーツを奪い取り、手早く彼の頭にそれを被せた。松崎の方はというと、既に康一の手によって装着済みであった。 


「いやぁ~、なっつかしーい! 『萌え萌え~ズ☆』復活ですね! そんじゃ記念にい~ちまいっ! 透ちゃーん! カモーン!」


 最早抵抗する気も起きず呆けていたところにまばゆいフラッシュを浴びせられ、ハッと我に返る。


「ちょ、何……?」


 気付くと彼らの背後にはそれぞれ金髪と黒髪が立ち、頬をぴたりとくっつけていた。おまけにピースサインまでしている。頬と頬が密着する温かな感触と首の辺りをさわさわとくすぐる人工毛にぶるりと身を震わせ、不意を突かれた閃光でチカチカしている目をこすると、目の前にはいつの間にか入って来ていた真っ青なウィッグの男がデジカメを構えていた。


「透ちゃん、撮れたぁ~?」


 背後にいた正義と康一は、透と呼ばれたその男の元へ駆け寄り、何やら楽し気にカメラを覗き込んでいる。


「moimoizさんっ! す――っごく綺麗に撮れてますっ! で――っかく引き伸ばして、宝物にしますねっ!」


 その大きな手のせいでやけに小さく見えるカメラを軽く振り、正義がこぼれんばかりの笑顔で言った。


「いや、ちょっと待って……」


 松崎が腰を上げ、デジカメに手を伸ばしたところで、「あーっ!!」と康一が大声を上げた。

 やっとの思いで上げた腰は、そんな声1つでいともたやすく崩れた。


「もうこんな時間じゃないっすかぁ~。リハ前の貴ッ重なお時間にすんませんっしたぁっ!」


 そう言うと、勢いよく腰を90度に曲げ、それ以上のヴォリュームで「失礼しましたぁっ!」と続け、あっという間に控室を出る。

 嵐が去った後の控室には、レース付の純白ショーツを被ったまま呆然としているmoimoizの2人が残された。


「――っはぁ~、愉快愉快!」


 自分達の控室で、ほくほく顔の湖上こがみがデジカメの画像を見つめている。


「ジャブで済んだかなぁ……」


 デジカメを覗き込みながら長田おさだが呟く。


「一体何なんすか……?」


 一部始終しか見ていない章灯は心配そうに尋ねた。挨拶の段階ではやや自分達に引いていたものの、それでも先輩然として振る舞っていたmoimoizの2人が、次に見た時にはすっかり生気をなくして頭に女性下着を被っていたのである。これはどう考えてもこの2人の仕業だ。


「え? お礼参り? みたいなぁ~」


 湖上は金髪のウィッグを指で弄びながら、語尾を甘ったるく伸ばして言った。何が何やらわからない章灯に補足を加えてくれるのはやはり長田である。


「昔さ、あいつらって『萌え萌え~ズ☆』って名前のユニットだったんだよな。んで、俺らも良く出入りするchicken edgeってライブハウスで活動してたんだけど……」


 長田がそこまで話すと、湖上が大きくため息をついて遠くを見た。


「1回だけ、まぁ何やかんやあってあいつらのサポートやったことがあんだよ。何だったかな、あいつらのサポートが俺らの知り合いだったんだっけか。で、都合つかなくなったとか言って頭下げられて……だったと思う。事務所ちげぇのに。アレどうやってごまかしたんだっけなぁ」

「そうそう。んで、サポートだから、いつも通りの恰好でやろうとしたらよぉ……、いっきなり頭にパンツ被せられてよぉ……」


 そう言うと、長田は両手で顔を覆った。


「――パンツぅ?」

「別にさ、変な曲でも、やるよ! コーラスだって、真面目にやるよ! それがプロってやつだろうがよ! でもよぉ、何でサポートにまでパンツ被せるんだよ! 頭おかしいだろ! サポートっつったって、俺ら先輩だぞ? 何の断りもなくいきなりガバッ、だぞ?」


 湖上は吐き捨てるようにそう言うと、長田と同様に顔を覆った。


「だからって……」


 あれはやりすぎなのではないのか、と章灯は思った。


「いや、コレは社長指示でもあるからな」


 パッと顔を上げた湖上が言う。


「――社長の?」

「ここ最近、アニソンのタイアップをpassionのところに取られまくりなんだよ。いや、それがなら良いんだけどよぉ……」


 『実力』を強調したところを見ると、おそらくそうではないのだろう。ただ、さすがの湖上もそれを言うのは憚られるようだった。


「社長は、曲の出来は申し分ねぇって言ってくれてたんだけど、それだけじゃ決まらなかったりするのがこの世界なんだよな。だったら、誰が聞いてもこっちの勝ちってくらいに差ぁつけてやんねーとよぉ」


 長田がガハハと笑って膝をポンと叩き、立ち上がる。


「――さて、リハ行くぞ。章灯、これがお前のデビュー戦だ。まぁ、演奏が始まったらもう大丈夫だとは思うけど、ここまでがらりと変えたんだ。別人になるつもりでやれよ」


 奇抜なメイクでニヤリと笑われると、中身が長田だとわかっていても、どきりとする。


「わかってます。次は俺があの2人を圧倒してやりますよ」

「――お? 言うじゃねぇか」


 湖上もメイクの上からにんまりと笑って章灯を指差した。

 無言で3人のやり取りを眺めていた晶は、ギターを持って静かに立ち上がると、章灯をじっと見つめて言った。


「頼りにしてます。暴れてください、章灯さん」

「任せろ。俺も頼りにしてっからな」


 そう言って顔の前に拳を上げると、その意図は正しく伝わったらしく、軽く拳を打ち付けてきた。


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