真相

 千尋は桜緋と梅妃に追いつこうと慌てて部屋を出て階段を駆け下り、ビルを飛び出した。無論、外に出ても二人の姿は見えない。もう先に黒いものを追跡しているのだ。


「二人はどっちに向かった……?」


 隠形している可能性も高いため、目視で見つけることは難しいだろう。

 千尋は周囲をきょろきょろと見渡しながら息を整え、胸の前で刀印を組んで神経を集中させた。


 ***


「私とはぐれたときや、邪気を追うときに有効な技を教える」


 霊力を操る練習をしていたときに桜緋から習った。


「私は精霊だから小細工は必要ない。直に霊気の流れ、霊気の層が見えている。けれど、人間は霊気を目視できないからな。まあ、術者のような慣れている者は別だろうが。……いいか。神経を霊気の流れを読むことに集中させるんだ。印を組むと読みやすいだろう。周囲の霊気を詳細に読め。自らの能力を最大限発揮してみろ」


 そう言って桜緋は隠形した。隠形した私を見つけてみろ。何となくではなく、確実な位置を押さえて私の腕を掴め。三十秒で見つけられなければ、後頭部を竹刀で殴ってやるから覚悟しろ。

 こんな無茶苦茶なペナルティを言い残されてはやるしかない。桜緋の修行は容赦がなかった。

 千尋は急いで印を組み、桜緋の霊気を探り始めた。


 ***


「……今日も三十秒、いや今日は十秒で見つけないとか」


 きっとまた、しこたま叱られる。少しでも遅く追いつけば、きっと桜緋は顔を顰めてこう言うのだ。


「遅いぞ、この戯け」


 あの時は何度挑戦し直しても上手くできず、桜緋に散々小言を言われながら竹刀でぺしぺしと叩かれてしまった。今回も同じ失敗を繰り返す訳にはいかない。


「……」


 目を閉じると、目の前に無数の筋と波、模様が映った。この辺りの霊気が、瞼の裏にくっきりと映っている。蛍のような淡い光が、この世界のもうひとつの形を成している。

 集中しろ。戸惑うな。見通せ。

 自分にそう言い聞かせる。桜緋の霊気、梅妃の霊気、影の姿を捉えるのだ。


「……」


 千尋が印を組んでいたのは実際のところ、ほんの数瞬のことだった。

 瞼を上げた千尋の瞳に迷いはない。まっすぐ、自分が向かうべき方向を見据え、間髪入れずに地面を蹴った。いつも絵ばかり描いて、あまり運動をしないため、千尋の運動能力は同年代の中ではかなり劣っている。

 しかし、そんなことを気にしている場合ではない。それに、桜緋にしごかれまくっているおかげで、前よりは体力がついてきた方だ。

 道を行く人々の間をすり抜けるようにして、千尋は霊気の筋が指し示す場所へ駆けていく。組合のある裏路地から出て、近くの商店街に入った。国籍を問わず、様々な人々が行き交う三笠通り。親子連れや制服姿の学生、米軍基地に勤めてると思しき外国人の若者が千尋と擦れ違う。普段なら一度くらい誰かとぶつかっているだろうが、今日の千尋は霊気を瞬時に霊気を読んで、ぶつからないよう素早く身体を捻って避けていた。ここに桜緋がいたなら、感心して目を見開いていただろう。


「っ……ここだ」


 間口がやたら狭く、わかりにくい入口をしている漫画喫茶。地下に下る階段の脇に、『入口はこちら』と書かれた看板が置かれている。


「ここ、漫画喫茶じゃないか」


 訝しげに呟く。しかし、階段に足を置いた刹那、千尋は悟った。

 ここだ。

 足元がぐらつくような違和感。一歩下るごとに、どこかへ連れ去られていくような、ざらついた恐怖。

 暗くて視界が及ばない前方から生暖かい風が漂ってきた。


「……来る」


 不穏な風が千尋を異空間へと呑み込んだ。


 ***


「逃がさん!」


 人目につかないよう霊体化した桜緋とそれを追う梅妃は、黒い影が逃げ込んだ異空間にすかさず切り込む。


「異空間か、やはり邪気……!」

「桜緋よ、ちと落ち着かぬか!」


 殺気を漲らせる桜緋の肩を、ようやく追いついた梅妃が掴む。


「先程まで己がどのような状態だったか忘れたか、戯け者!」

「問題ない、このくらい」

「ほう?」


 梅妃が瞳を細めた。


「そのような微弱な霊気で問題ない……世迷言も甚だしいのぅ」

「それ以上、私を愚弄してみろ。斬るぞ」

「ほれ見たことか。普段のぬしなら、そのような戯言は吐かぬじゃろうて」


 梅妃は仕方ないと瞼を伏せて、手の中に扇を具現化させた。そして、容赦なく桜緋の後頭部を叩いた。


「……すまん」

「落ち着いたかの」


 不安定だった桜緋の霊気が弱々しく安定を取り戻し、先程と変わらない状態に戻った。桜緋が大きく息を吐き、安定しない自らの霊気を辛うじて制御する。そして、警戒を滲ませながら辺りを見渡した。


「あの影はどこに行った?」

「ここが彼奴の縄張りならば、探し回るうちに見つかるじゃろう」

「そうだな……二手に分かれた方が効率的だが」

「それは止めておいた方が良いと思うがの。今の桜緋に修祓は手に余るじゃろうて」

「ああ……じゃあ、二人で探すとしよう」

「うむ」


 桜緋と梅妃。この組み合わせで邪気祓い。何十年ぶりだろうか。

 そう思って桜緋は微かに笑みを浮かべた。


「懐かしいものじゃのぅ」

「ああ」


 精霊最強の二人組。桜と梅に祓えぬ邪気はない。仲はともかく、組ませれば絶大な力を発揮する。

 そんな逸話を知る者も、この時代には少ない。


「桜緋や」

「ん?」

「得物、出した方が良いのではないか?」

「……そうだな」


 体調が優れず、戦闘に支障が出るときは得物を使う。昔からの古馴染みは、本人が気づく前に促してくる。最近、千尋と行動していたせいか、この緊張の中にもどこか余裕のある感覚は久し振りだった。千尋がいるときは、僅かな油断も命取りだ。


「よっ……と」

「今日は槍かや」

「接近戦は任せる」

「懐に入られたらどうするつもりじゃ」

「そうなったら霊気を爆発させて祓う」

「……今のぬしにとって、それは自爆ではないかや?」

「お。よくわかったじゃない」

「冗談になっておらぬ……」


 目を片手で覆う梅妃を見て、桜緋は袖を襷掛けにして槍を担ぎながら思わず吹き出した。そんな桜緋につられて梅妃も扇で口元を覆い、くっくっくっと笑いを堪える。

 そんな二人を遥か後方から静かに見つめる黒いものは、瞬きして二人の向かう反対方向へ跳躍した。

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