賑わい
三笠高校の生徒たちは浮き足立っていた。
もうすぐ、年に一度の文化祭があるのだ。
夏休み前から生徒会と実行委員会が動き、準備に準備を重ねてきた。毎年のことだが、生徒会の面々はこの時期になると疲弊し切って、顔色が悪くなっている。可哀想だが、皆が感謝していることは確かだ。
千尋も暇という訳ではなく、任された仕事に追われる日々を過ごしている。ちなみに、千尋のクラスの出し物は劇だ。
「で、お前は何役で出るんだ?」
自宅を訪ねた桜緋が机の上に置いてあった脚本を勝手に読みながら顔を上げた。小道具作りをしていた千尋は手を止めて苦笑する。
「残念。僕は照明係だから。キャストじゃないよ」
「つまらん」
「そう言わないでよ。キャストをやるのはもっと華のある人で、僕みたいな大人しい人間は準備や裏方で頑張る。劇ってそういうものだよ」
「そういえば、魁斗辺りは見に来るのか?」
桜緋の問いかけに千尋は天井を仰いで唸った。
「んー……どうだろ。確かに魁斗は、うちの卒業生だし、来たいとは言ってたけど、今ちょうど大学の方が忙しいみたいで。正直何とも言えないって」
「千歳は?」
「魁斗が来るなら一緒に来ると思うけど、魁斗が来ないなら多分来ない」
そう答えたところで、傍らに置いておいたスマホが鳴った。軽快な着信音が流れる中、千尋はディスプレイをタップして発信者を確認する。
噂をすれば、であった。
「魁斗か?」
「ご明察」
通話に出ると、聞き取りにくいものの魁斗の声が聞こえてきた。おそらく、外から電話をしてきているのだろう。なんだかガヤガヤとうるさい。
「もしもし」
「千尋、今いいか?」
「問題ないよ。家だし」
「そうか。よし……今度の土曜日、確か文化祭だろう。俺も千歳連れて見に行くから、そのつもりで」
「うん、わかった……って、それだけのために電話したの?」
「あと、もうひとつ。正直、こっちが本題だ。千尋、まだ桜緋とつるんでるんだろ?」
「そうだけど。……何かあった?」
「千歳の学校で少し話題になってるらしいんだが、中学生や高校生の運動部員――何の部に所属してるかは特に関係なく――が練習試合や公式試合が終わったあと、貧血を起こすことが多くなってるらしい」
「貧血?」
話の流れが変わったことを察したのか、桜緋がこちらを無言で見つめてくる。
「試合の疲れとか、終わって安心したからとかじゃなくて?」
「俺も最初聞いたときはそう思った。けど、どうもそうじゃないらしくてな……」
「というと?」
「数人の選手が一斉に倒れるらしい」
「貧血が同じタイミングで起こってるってこと?」
「らしい」
確かに、それは変だ。試合後に複数人が緊張から解放されたあまりその場で座り込んだとしても、全員一斉というのは、さすがにありえないものだろう。偶然とはとても言えない。
千尋はちらりと桜緋の方を見た。すると、その視線を受けた桜緋が手を出して、代わると言わんばかりに手招きした。
千尋は頷いて、通話口の向こうの魁斗に言う。
「桜緋が少し代わるって。いい?」
「ああ」
千尋がスマホを桜緋に渡す。
桜緋はスマホなど、ろくに使ったことないはずなのに、なぜか慣れた手つきで迷いなく渡されたスマホを耳にあてた。
「私だ」
「話は千尋にしたが……」
「ああ。聞いていたからな。私も察してはいる。お前の予感通り、それはただの貧血の症状ではないな」
「だと思った。多分これって、いつぞやの千歳に近いやつだよな?」
「そうだろうな。それは身体的には貧血の症状として出ているが、おそらく……」
桜緋が眉間に皺を寄せ、少し考えるような素振りを見せたが、すぐに小さく首を振って言い直した。
「……いや。詳しいことは会ったときに聞こう。文化祭に来るのなら、そのときにでも」
「わかった」
楽しい文化祭のはずが、胸の奥がざわつくような、嫌な予感がして、千尋は魁斗と通話をしている桜緋を見ながら、顔を曇らせた。
***
文化祭当日は柔らかな日差しが心地よい秋晴れだった。澄み渡った青空が頭上に広がり、祭りの賑わいが地上を包んでいた。
千尋は自分が担当する午後の公演が開始されるまでは自由時間だ。よって、校門の近くに立って魁斗と千歳の二人を待った。
「あれ? 千尋君じゃないか」
魁斗とは異なる、落ち着いた男の声で名前を呼ばれ、千尋は驚いて少しビクッとしてしまった。慌てて振り返ると、隠形した石哉と梅妃を連れた荘司が笑顔で軽く手を挙げていた。
「久し振りだね。元気そうで何よりだよ」
「富士宮さん……! こんにちは」
いつものように苗字で呼ぶと、荘司は微苦笑を浮かべた。
「それだと姉さんや兄さんや美月を呼ぶときに困るだろう。うちは兄弟が多いから。……だから、千尋君が良ければなんだけど、名前で呼んでくれると嬉しいな」
「あ、そっか……わかりました。荘司さん」
「そうそう。それでいい」
満足げに頷く荘司の腕を、隠形しながら脇に立っている梅妃が肘で軽く小突いた。
『来たようじゃぞ』
「お。そうだった、そうだった」
荘司が校舎の方に目を向ける。つられるようにして千尋も同じ方を見た。
すると、校舎から人混みを掻き分けて和葉がこちらに歩いてくるのが見えた。
「志摩先輩?」
「あら、藤原君もいたの」
「たまたま会ってね」
軽く驚いて瞬きする和葉に荘司は肩を竦める。
千尋はそんな二人を見比べて首を傾げた。
「えっと……荘司さんは先輩に用事が……?」
どう聞いたらいいかわからず、何だか曖昧な聞き方になってしまった。
けれど、和葉はそんなことを気にする性格ではない。あっさりと、こう答えた。
「夏の一件で私、霊力を使い切ったでしょう? あれから結構時間が経ってるし、回復もしてきてはいるけど、やっぱりまだ本調子じゃないのよ。それで、この人混み。人が多いと霊気が荒れるし、周囲の霊気が乱れると霊体への影響が大きい。だから」
「俺が和葉ちゃんの傍について、霊体への影響を抑えることになった」
「なるほど。……ところで、先輩。その格好は何ですか?」
昔の女学生のような華のある袴姿。長い金髪をリボンでハーフアップにし、菊が描かれた水色の着物に紺色の袴を合わせ、足元は焦げ茶のブーツだ。
「うちのクラスの出し物、大正浪漫喫茶だから」
普段から木刀やら竹刀やらを振り回している和葉が着ていると、綺麗だとか可愛いだとか、そういった印象ではなく、様になっていると思ってしまった。木刀を握っていれば完璧だったと思う。……こんなことを思ったら失礼なのはわかっているけど、そう思わずにはいられない。
和葉のそういった姿を知らない人たちが見れば、単に学校一の美少女が可愛いコスプレをしているようにしか見えないのだろうが、色々と事情を知っている人間が見ると、そんな素直に考えられないものだろう。
そんなことを考えていたら、和葉が不意にニヤッと不敵な笑みを浮かべ、誰もいないところを見上げた。
誰もいないはずの空間が微かに揺れた。微弱な霊気の震えとともに、隠形したままの楓雅が溜め息をついた。
『へいへい。結界張ればいいんだよな』
楓雅は呆れつつも、仕方なく和葉の周囲に霊力の強い者しか彼女の姿が見えないようにする簡易的な結界を張った。和葉も本来その程度のことはできるのだが、今は霊力を使わないように生活しているため、こういったことは
和葉は隠形したままの楓雅に軽く礼を言って右腕を振った。霊力が一本の筋を描き、それがひと振りの太刀に変化した。
「おお……」
「ご期待に応えたつもりだけど?」
「和葉ちゃん、まだそういうことをしたら……」
「少しくらいリハビリしなきゃ、
ブンと太刀を振ってから斜に構え、楽しそうに挑戦的な笑みを浮かべる和葉。千尋と荘司は、目を見合わせてそっと苦笑した。やはり、和葉はただの美人では収まらない。
若者たちの賑わいが、秋の空に木霊していた。
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