因縁

 和葉が邪気を祓うといっても、そのための得物がない。使っていた木刀は既に邪気によって既に吸収されてしまった。


「今は木刀がないし、まあ霊力の塊をぶつけることもできなくはないけど……」


 和葉は得物を通すことによって、自らの霊力を操ってきた。霊術や呪術といった、媒介なしの方法で霊力を扱ったことはあまりない。だから、得物がないこの状況は、あまり芳しいものではなかった。


「それは大丈夫。私たちに任せて」


 巫女が微笑みをもって告げると、琴乃がバッと手を広げた。


「お姉ちゃん、手を出して」


 一体、何をするというのだろうか。

 和葉は首を傾げながら、両手を二人に差し出した。

 すると、巫女と琴乃が少し悲しげに笑う。


「私たちは既に霊力の集合体に過ぎないから。私たちをそのまま貴女の得物にすればいいわ」

「お別れだよ、お姉ちゃん」


 和葉は目を見開いて、まじまじと二人を見た。

 信じられなかった。

 何が信じられないって、二人がこれほどにあっさりしていることが何よりも信じられなかった。

 要するに、二人はこれから死ぬのだ。死を直前にしているというのに、二人は日常の一幕であるような態度で、死に対する動揺を全く見せない。


「なんで、そんなに落ち着いているの……」

「私たちは既に死んでいますから」

「それに、ずっと待ってたから」


 このときが来る日を。


「どうして……」


 まるで、和葉がこの邪気を祓うと決まっているかのように。

 もしかしたら、和葉以外の誰かが偶発的に祓っていたかもしれなかったのに。そんな可能性だってあったのに。

 琴乃が無邪気に笑う。


「お姉ちゃんのこと、信じてたから」


 ツン、と鼻の奥が痛んだ。

 この笑顔を見ることは、もう二度とない。

 その前に、もう一度見れると思っていなかった。今この瞬間も、十分に奇跡と言えるのだろう。


「琴乃……」

「和葉さん。向こうで楓雅が貴女を待っていますから、そろそろ」

「巫女、本当に貴女は」


 楓雅に会わなくていいのですか?

 そう尋ねようとしたが、その前に巫女が一歩前に出て、和葉の唇を揃えた人差し指と中指で押さえて留める。


「それ以上は」

「しかし……」

「私は彼の思い出となる。彼とこれから共に在るのは貴女」


 和葉は瞬きした。

 そういえば、自分は妹の仇を討つために邪気祓いを始めた。この一戦が終われば、和葉が邪気祓いをする理由はなくなるのだ。

 思わず黙り込む和葉に、巫女は悪戯っぽく笑った。


「妹さんを救ったら、邪気祓いは引退するの?」

「っ……」

「お姉ちゃん……」


 一瞬、言葉に詰まったものの、不安そうな顔をしている琴乃の顔を見て腹を括った。


「いえ。これからも続けます」

「貴女のような才能ある人がいるなら、これからの此岸も安心ね」


 ただし、と巫女は最後に付け加えた。


「もう邪気祓いを理由に、自分を蔑ろにしたらいけませんよ?」


 もし母が生きていたら、巫女と同じように言ったのだろうか。

 そう思わずにはいられないくらい、巫女の微笑みは母性と愛情で満ちていた。

 和葉は少し照れ臭くなって、頬を染めながら頷いた。


「……はい」

「これから、頑張ってね」


 ***


 和葉が掌を上に両腕を差し出すと、巫女と琴乃は瞼を落とした。

 二人の肉体が眩い光に包まれて、その中で人の形が崩れていく。二人が霊力にその姿を変えるまで、さほど時間はかからなかった。

 人の殻を脱いだ二人は強大な霊力へと昇華し、和葉の手の中に飛び込んだ。

 手の中に激しい霊力の奔流が叩き付けられて、和葉は堪えきれずに一歩退いたが、そんなことはお構いなしに、霊力の渦は和葉の手の中で荒れ狂う。

 結わえずに下ろしていた金髪が音を立てて乱れ、目の前で荒ぶる霊力が発する光はあまりにも眩しい。目を開けていられない。

 それでも、その勢いは少しずつ落ち着いていった。徐々に光が収まっていき、髪を弄んでいた霊圧も静まってきた。手中に残ったのは、ずしりと重い質量だけ。

 完全に落ち着いたことを確認してから和葉はそっと目を開けた。

 巫女が消えたことに伴い、光の結界も同様に消えている。このまま、のんびりしていれば、また自分はこの霊体を失って、ただの霊気に成り下がるだろう。

 この姿でいるうちに、ここから脱出しなければ。

 そう思って手元に視線を落とし、和葉は瞠目した。


「これは……」


 霊力が鈍く光る得物に姿を変えている。冷えた刃の光も、和葉には何だか温かいものに見える。

 和葉は唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。いつもの臨戦態勢のときと変わらない、自信と誇りに満ちた表情だ。和葉は、しっかりと新たな得物の柄を握って霊力を注ぎ、次いで横一文字に薙ぎ払った。


 ***


 楓雅の体力も底なしではない。邪気と何度もぶつかり合って、霊力も体力も精神力もかなり消耗していた。

 何度もその無駄に大きな巨体へ霊圧と剣戟を叩き込んでいるというのに、奴は弱りや疲弊を見せることはない。此奴は霊力の高い人間を食い漁って、長い時を生きてきている。巫女に琴乃、さらに和葉の霊力まで喰ったのだ。簡単に斃れるわけがない。


「くそっ……」


 悪態をついて何とかなるわけでもないが、つかずにはいられなかった。あまりにも劣勢すぎる。桜緋たちに向かって、あんな大口を叩いておいて敗北したとあっては面子どころの話では済まないだろう。邪気に殺されなくても、あの小柄で可愛らしい見た目に反した圧倒的な強さを有する精霊に消滅させられかねない。彼女は何だかんだで義理堅く、お人好しな一面もある。けれど、怒りに呑まれた結果、勢い余って止めまで刺してしまいました、なんてことは大いにあり得る。いや、確実にそうなる。

 それに、和葉までをも救えなかったという罪を背負うのだ。自分は、これ以上堕ちるわけにはいかない。もう、これ以上誰も犠牲にはしたくない。精霊として、この邪気をこの場で祓わなければ。


「けどな……」


 どうすればいい。

 もうあらゆる手を尽くした。

 これ以上、何をすればいい。突破口など存在するのか。

 楓雅が唇を噛み締める。

 諦める気は毛頭ない。だが、もう方法が……


「楓雅ッ!」


 叫びとともに邪気の大きく膨らんだ腹が横一文字に切り裂かれた。

 放たれた霊力による閃光が迸ると同時に、腹の傷口から邪気のどす黒い体液が噴出する。

 どろりとした気色の悪い触感の体液にまみれながらも体を丸めて、受け身の体勢をとっている少女の金髪が、きらきらと輝いて見えた。そして、少女がなぜ着地の体勢ではなく、体を丸めているのかわからない楓雅ではない。

 楓雅は一旦大剣を霊気に戻し、腕を伸ばして跳躍した。


「和葉!」


 小さく丸まった和葉の体躯をしっかりと抱き留め、一度地面に足を着いてバランスを整えてから、再び跳躍して邪気から距離を取った。

 邪気の腹を破ることに霊力を集中させていたため、体液を防ぐための結界を張ることができなかった。そのせいで、身体の至るところに瘴気を含んだ邪気の体液が付着している。体液でも邪気の一部であることには変わりない。肌から容赦なく和葉の霊気を奪っていく。体液の付いた箇所から霊力を吸われて、ひんやりと冷たくなっていく感触に和葉は顔を顰めた。


「大丈夫だ、すぐ祓う」

「ありがとう」


 楓雅が和葉の肌の上で疼く体液を払いのける。ただ払ったわけではない、楓雅の霊気に触れた体液は跡形もなく消えていく。

 拉致されたときのまま、ラフな格好をしている和葉は、楓雅に短く礼を言うとすぐに邪気を睨みつけた。楓雅も邪気に目をやると、先程までと少し様子が変わっていることに気づき、軽く目を見開いた。


「……さっきよりも弱っている」

「祓うなら今ね」

「和葉を喰らい損ねたからか……?」

「違うわ」


 答えなど求めていない、何気ない呟きだったのだが、それを聞いた和葉はきっぱりと首を振った。

 その即答に楓雅は瞬きした。


「確証があるのか?」

「琴乃もも、あれの糧にはなっていないもの」


 それを聞いて、また楓雅が瞠目する。和葉から巫女という言葉が出るとは思っていなかった。けれど、動揺はしなかった。ただ、腑に落ちただけだ。


「……会ったのか?」

「ええ」

「どうだった」

「印象ってこと?」

「ああ」


 和葉は瞼を伏せて言葉を選びながらも、思ったことを素直に告げた。


「……とても、綺麗な人だったわ」

「そうか」

「それに、とても……優しい人だった」

「そうか……」

「楓雅」


 和葉は表情のない、無感情な顔で楓雅を見上げた。


「私は巫女ではない」


 そして、息を吸ってからまた言葉を続けた。


「巫女の代わりにはなれないわ。だから、私の傍にいても貴方の気持ちが報われることは……」

「何言ってんだ?」


 予想外にも苦笑交じりの優しい響きを持った言葉が返ってきて、和葉はぽかんと楓雅を見上げた。


「え?」

「お前はお前だ。巫女になれないのは当たり前だろう」

「けど、貴方は昔巫女のことを……」

「あのなぁ」


 がりがりと頭を掻きながら、楓雅は半ば呆れ気味に言う。


「例えばだ。お前に幼稚園の頃すごく好きだった子がいたとする。今、その歳になってその話を蒸し返されたらどうだ?」

「……何とも言えない、けど」

「だろ? お前が今俺に言ってるのはそういうことだ」


 しかもよ、と楓雅は続けた。


「巫女に惚れてたのはもう数百年前の話だ。昔過ぎて引っ張り出されても反応に困るっての」

「けど、貴方いつも私を見るとき懐かしそうな顔して……!」

「和葉」


 落ち着け、と言うように和葉の頭をぽんぽんと優しく叩く。


「確かに巫女と似ているところもあったし、懐かしく思うこともあった、重ねることもあった。けどな、和葉は和葉だ。俺はお前に巫女の代わりになれなんて言わない。俺も、いい加減ちゃんと現実を見ないといけねぇ」


 決して巫女は還ってこない。

 和葉は手を伸ばし、それでもどこか傷ついたような面持ちをしている楓雅の頬にそっと触れた。


「巫女は還ってこない。でも、傍にいるわ」

「……?」


 和葉は楓雅の腕の中から出て立ち上がった。

 霊力を掌に集中させることを意識しながら、素早く右手を振る。

 霊力の光が一本の筋を描き、そしてそれは消えることなく、そのまま実体化した。

 和葉はその柄を握り、楓雅にその刀身を見せる。


「それは」

「巫女と琴乃、二人の霊力によって生まれた太刀よ。木刀よりもずっと霊力を扱いやすい。私の体内に霊気として保管できるから、普段持ち歩いて警察に職質されることもない。二人は、いつも私たちを見守ってるってところね」

「……なるほどな」

「さ、早くあれを片付けないと」

「そうだな」


 和葉が早く斬りたくて堪らないと言わんばかりに刀を振るうと、楓雅は苦笑しながらそれに応じた。

 和葉が邪気に向き合う。だが、楓雅はまだ話しかけてきた。


「なぁ」

「なに? 終わった後じゃだめなの? これ以上話してる暇は……」

「一言だ。耳を貸してくれ」

「なによ」


 楓雅がその傍らへ歩み寄り、眉を寄せている和葉にそっと告げる。


「俺はこれからも、お前の傍にいる」


 この一戦が終わった後も、お前が生きていく姿を見守らせてくれ。

 その温かくて優しい響きに、和葉は微かに苦笑した。

 下手したら、それってストーカーみたいじゃない。

 そんなことを思ったが、少し鬱陶しく思うことがあっても、楓雅が傍らにいる生活というものは、和葉にとって楽しさと安らぎを与えてくれるのだ。この数年間、共に行動してきて、それはよくわかっている。

 和葉は淡く微笑んで、それでも唇を尖らせながら努めて生意気に。


「今後、受験が終わるまで祓い屋はお休みだから。それでもいいなら、好きにすればいいわ」


 と、言ってやる。

 楓雅も苦笑気味に肩を竦めて、小生意気に素直にならない和葉に応じた。


「ああ。好きにさせてもらうぜ」

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