彼女は何処に
「和葉ちゃん……」
美里は和葉の名を呻くように呟きながら、何度掛けたかわからない番号をまたタップしようとするも荘司に止められた。
「姉さん。もうやめよう」
「でも、荘司」
「絶望的な可能性に縋っていても、時間を浪費するだけだ」
けれど、美里の動揺も荘司は理解していた。組合員が邪気に攫われたのだ。しかも、通常の邪気とは異なる得体のしれない者に。動じるのも仕方ないというものだ。
精霊組合各支部には組合長から行方不明者がいた場合は必ず見つけ出して保護し、その者を捕らえていた邪気を確実に打ち祓えとの指示が出ている。感情の揺れに身を任せている暇はない。急がなければ、和葉の身が危険だ。
「立ち止まっていても、和葉ちゃんは帰ってこない。迎えに行くしかないだろう」
「……そうね。嘆いている時間なんてない」
この状況下でも荘司は冷静さを保っていた。不安といった一切の感情を自身の中から排除している。排除できている。
美里はいったん形態をデスクの上に置いて溜息を吐いた。弟がしっかりしているというのに、姉がこの
「駄目ね、私……荘司の方が余程しっかりしてる。感情を切り離して、目の前の現実だけを見てて……」
「いいや。俺は姉さんと兄さんの手足だから考える必要がないだけさ。思考は上の仕事だろう? 俺みたいな現場に出る下っ端は余計なことを考えず指示通りに動くのみ。……それに、姉さんが情のある人間だから、皆慕ってくれているんだろう?」
「荘司……」
荘司は日差しが差し込んでいる窓辺に視線を向けた。そこには誰もいないが、二人はそこに佇む気配を把握している。
「
「なんじゃ?
「お察しの通りだよ。楓雅がこのことを知っているか確かめてきてくれ。知っているなら、そのまま楓雅と和葉ちゃんの捜索に向かってくれ。知らないようなら、俺から説明する。ここに」
「連れてくれば良いのじゃな? まったく、
文句を言いながらも梅妃は応じて踵を返した。隠行して楓雅がいそうな場所を思い浮かべながら、梅妃は支部を後にした。
***
楓雅は西日を背に浴びながら目を閉じてしゃがみこみ、黙って手を合わせていた。その目の前には墓がある。
「俺が……」
あの娘をこちらに強く引き込んでしまった。
憎悪と復讐心を胸に抱いて此岸と彼岸の間に佇む和葉の後ろ姿が脳裏に浮かんでは消える。
「もう何度詫びたかわからねぇ。けど、俺はこれからも詫び続けなきゃならねぇ……」
あの日、自分が彼女の妹を救っていれば、彼女は今頃木刀を手に持ってはいなかっただろう。自分の失態が一人の若い娘の一度きりの人生を復讐の道へと変えてしまったのだ。
このことは、共に行動するようになってから常に楓雅の心に重くのしかかっている。自責の念に駆られて彼女を止めても、彼女は楓雅の言うことなど聞かない。肉親を奪った者への怒りの炎は、いつも彼女の胸の奥で静かに燃えていた。
「本当に、すまねぇ……」
謝ったとしても、死者は赦してくれない。逆に糾弾することもない。死者からは何も与えられない。これこそが失態を繰り返す自身への罰なのだろうと楓雅は思っていた。
不意に風が優しく楓雅の頬を撫でた。
「……慰めてくれるなよ」
彼岸からこっちを覗いているとしても、そんなことをされる理由はないのだから。
楓雅が立ち上がると同時に、背後に気配が降り立った。
「どうした?」
「……ぬし、ここにはよく来るのかえ?」
「ああ。和葉と知り合ってからはよく日常報告をな」
「……それは謝罪のつもりかえ?」
「そのつもりはあるが、赦されるつもりはない。俺が下手を打っていなきゃ、彼奴は今でも妹と暮らせてたんだからな。せめてもの償い……か。いや、ただの自己満足だな。死人に何を言っても、向こうは言葉を返してくれやしない。……で、今日は何の用だ? いつもの気まぐれか、理由あっての訪問か」
「今宵は後者じゃよ。ぬしは……知らぬようじゃな。知っておれば、今ここにおるまい」
梅妃の言葉に楓雅は眉を寄せた。
「何のことだ? ……いや、何が起こった」
梅妃の表情からただならぬ事態が起こっていることを察した。
さっきまでは優しく心地よいものに感じられた風が、今はねっとりと肌に絡みつくような不快感を孕んだものになっている。梅妃も風の変化に気付いて空を仰いだ。
「嫌な風じゃな」
「ああ。まるで異空間にいるような気分だ」
沈みゆく日の光に照らされた梅妃の顔の半分は影になっていてよく見えない。それでも、照らし出された硬い面持ちは楓雅の胸をざわざわと不穏に騒がせるには十分過ぎる。
すると、一際強い西日が梅妃の顔の半分を橙色に照らした。
「和葉が消えたのじゃよ」
その言葉の意味を頭で理解するよりも先に楓雅の体は動いた。跳躍し、空を舞い、天へ飛び立とうとした楓雅は、次の瞬間地面に叩きつけられた。
楓雅の大きな体躯を上空から蹴落とした小柄で可愛らしい精霊は、地上に佇んだまま無言でこちらを見上げてくる同胞へ、その見た目に似合わない不敵な笑みを向けた。
「その話、私も混ぜてもらおうか」
***
「……で、これはいったいどういうことだい?」
日が沈んで夜の帳が降りた頃、荘司の指示通り楓雅を連れて戻ってきた梅妃。
しかし、荘司と美里は少し想定外な事態に困惑を隠しきれなかった。
楓雅を連れて来たことはいい。だが、その楓雅は気絶して伸びている。そして、意識のない楓雅を何故か桜緋が担いでいるのだ。桜緋がここに来たことも確かに意外だが、それよりも二人は小柄な桜緋が両肩と首を使って、器用に楓雅の大きな体躯を運んできたことが不可解だった。線が細いというのに、よく大の男を担いで来たものだ。桜緋も精霊であり、可愛らしい見た目に惑わされてはいけないことはわかっている。わかっているのだが、これはさすがに説明が欲しい状況だ。何がどうなったらこうなった。
「妃、これはちょっと説明してくれないかしら……」
「わかっておる。
梅妃曰く。
和葉失踪を梅妃によって知らされた楓雅は我を忘れて飛び出して行こうとした。しかし、そんな楓雅を突然姿を見せた桜緋が蹴りを叩きこんで止めたという。
衝撃で気絶した楓雅を梅妃が運ぼうとしたところ、桜緋が和葉の詳しい話を聞きたいから自分が運ぶと言って軽々と楓雅を担いだ。人手は多い方が人探しには良いと判断した梅妃は桜緋を拒むことなく、ここまで連れて来たらしい。
「まあ大体の状況はわかったけど……」
美里はソファの上にまだ意識を取り戻さない楓雅を転がして、凝ってしまった肩を解している桜緋に問いかけた。
「桜緋はどうしてこの件に自ら関わろうと思ったの? 今回は千尋君が絡んでいるわけでもなく、千尋君にとって大切な間柄の人間が巻き込まれたわけでもない。いったい、何故……?」
桜緋は美里の問いかけにすぐ答えようとはしなかった。
ソファの前に膝をつき、未だ目を覚まさない同胞の呼吸や霊気を確かめている。
「少しは手加減すべきだったか……けど楓雅相手で手加減した場合、此奴は絶対落ちないだろうから、これが最善のはずなんだが……まったく、早く目を覚ませ。このまま昏睡されたら私の非で、私の責任になるだろう。それは勘弁だ。ほら起きろ」
桜緋という精霊は長命で余裕綽々とした貫禄のある印象があるのだが、こういうところを見ると意外と抜けているというか、見た目相応の性格をしている気がする。
美里が盛んに瞬きしてそんな桜緋を見ていると、桜緋が振り返った。
「あの娘が行方不明と千尋が知れば、また首を突っ込もうとすることは目に見えている。千尋にこの情報が伝わる前に解決しておきたいだけだ」
「なるほど。確かにそれは尤もだ」
質問した美里ではなく、その傍らに立っている荘司が納得した様子で頷く。
「桜緋にしてみれば、千尋君が知る前に自分の手で片づけて、何の事件もなかったかのようにしておきたいわけだ」
「そういうことだ。千尋は和葉のことを先輩としてそれなりに慕っている。知れば心配するだろう。なんせ、千尋は最近の和葉が危うくなっていることを知っていて、それを案じている。この事態を知ったりなどすれば……」
「邪気に襲われようが異空間に引き摺り込まれて迷子になろうがお構いなしに和葉ちゃんを探す、か。……そうだね。千尋君ならきっとそうなる。桜緋が危惧するのもわかる。俺も何の抵抗の術も持たない千尋君に気遣いながら、和葉ちゃんの捜索をするっていうのはちょっと厳しいな」
「お前と意見が一致するなど嬉しくもないがな、荘司」
「えぇ……千尋君を巻き込まないなら、今回は俺と組んでやるしかないのにそんな嫌われると……」
桜緋はツンと横を向いて荘司の言い分を一蹴した。
「ふん。お前の霊力など与えられなくとも十分やっていける。私を舐めるな」
「ほんと、嫌われちゃってるなぁ……」
そんな会話を聞いていた美里は梅妃に二人には聞こえないよう小さく訊いてみる。
「いったい荘司は桜緋に何をやらかしたの? あんなに毛嫌いされてるなんて」
「
桜緋の能力に惹かれたための愚行。といっても、桜緋は本気で荘司を嫌っているわけではない。荘司の実力は認めているし、状況によっては共闘もするだろう。ただ、
「う……? んぁ……おい、こりゃいったいどういうことだ?」
「やっと目覚めたか、楓雅」
桜緋と荘司の言い合いを耳元で聞かされていたからか、ずっと気絶していた楓雅がようやく意識を取り戻し、むくりと起き上がった。
「いってぇ……腹が重い……何があった……?」
「ぬし、まさか気絶前のことを衝撃で忘れたのかや?」
「気絶前ぇ?」
桜緋が食らわせた一撃はかなりのものだったらしい。楓雅に記憶の混乱が見られる。
楓雅は鈍痛に顔を顰めつつ、頭の中を整理していく。
そして、痛みが引いていくのにつれて自分の状況を思い出してきた。痛みと共に血の気まで引いていくのを楓雅は嫌でも感じた。
「……思い出したようじゃの」
「っ、和葉! おい、和葉は!?」
飛び起きようとする楓雅を桜緋が細い腕で押さえつける。
そして、美里がそっと首を振って答えた。
「得体のしれない邪気に攫われて行方がわからないままよ。かなり異質な邪気が相手のようだから、こうやって一旦ここに来てもらいました」
「……そう、か。要するに、相手の特殊性に気を付けつつ、協力して和葉を探し出せってことだな。そんで、その邪気を見つけたら」
「問答無用で祓えと」
桜緋が瞳を爛々と光らせながら、楓雅の言うはずだった言葉を口にする。
荘司は頷いて楓雅、梅妃、桜緋の順に三人の顔を見た。
「今回の相手は精霊組合組合長が自ら警戒を促し、殲滅を指示するような奴だ。心して対峙するように」
「水黎や石哉も投入するのかえ?」
「いや、事情が事情だからな。少しこちらにも残しておきたい」
「うむ。そうじゃな。その方が良かろうて。それならば
和葉を無事に見つけたとしても、不在の間に他の者が似たような状況に陥ったら意味がない。少し手元に残しておいた方が安全だろう。
「とりあえず和葉を見つけて、捕らえている邪気を祓えばいいんだな?」
「そういうこと」
「わかった。楓雅、妃、行くぞ」
桜緋を先頭にして三人の精霊が夜の横須賀に消えて行った。
楓雅の鬼気迫った表情が気になるが、桜緋が傍にいるのだから下手に暴走することはないだろう。暴走しそうになったら、きっと一撃食らわせてでも桜緋は楓雅を止めるはずだ。
「和葉ちゃん……」
美里が窓から夜空を見上げながら、不安そうに呟く。組合支部長として気丈に振る舞っていても、内心は心配で仕方ないのだ。
「妃だけじゃなく桜緋もいるんだ。必ず見つけ出すさ。それに……」
楓雅はすべてを賭けて、和葉を救い出そうとするだろう。
「荘司」
「いいのか? 僕らは行かなくて」
顕現した水黎と石哉が荘司の指示を仰ぐ。
「いいよ。水黎たちはここで待機だ」
「でも」
それでも何か言おうとする水黎を荘司は遮った。
「いいから。ここの守備にあたってくれ。何が起こるかわかったものじゃない」
「……わかったわ」
「任せておけ」
再び二人が隠行するのを見届けてから、荘司も小さく呟いた。
「……皆、無事に戻って来てくれ」
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