6-終 めでたし、めでたし
「まぁ、それは置いといてさ。白熊くんはその花売りに好きとかそういう気持ちはないんだろ?」
「え? うん、そうだね。別に好きでもないし、嫌いでもない。何も思ってないよ」
「何も?」
「うん。その辺に生えてる木みたいなものかな」
好きの反対は嫌いではなく『無関心』だと聞いたことがある。
成る程、こういうことを言うのだな、とブラッドはしみじみと思った。
「じゃあさ、次街に行った時にも似たようなことがあったら、はっきり言えば良いんだよ。『あなたに興味はありません』ってさ」
「そう言ったら、どうなるの」
「たぶん、もう付きまとわれなくなるんじゃないかな。その手のタイプは、相手が振り向かないとわかるとあっさり手を引くさ」
「そういうものなのね」
テナはすっかり感心したようにブラッドを見つめて深く頷いた。
「あなたも役に立つのね」
「何か引っかかる物言いだけど……。まぁ良いや。その子が美人なら、その街を去る前にぜひ一口ご馳走になっておかないとなぁ」
ブラッドは舌なめずりをしてニヤリと笑う。黙っていればなかなかの好青年に映るであろう彼がまさかドラキュラだとは誰も思わないらしく、いまのところは怪しまれずに『食事』を楽しんでいるらしい。
ブラッドは時計の針が二十一時を差す前に「次の満月の晩に」とだけ言って、また軟派な笑みと共に小屋を出て行った。
ペラペラとよくしゃべる男がいなくなると、小屋の中は途端に静かになった。
何となくまだ話し足りないような気がして、プーヴァはキッチンに向かうとやかんを火にかけた。
テナは編み物をしようかと手を伸ばしかけて、止めた。その代わりに椅子を窓の前へ移動させると、そこに膝を抱えて座り、ぼんやりと浮かぶ満月を眺める。
さっきのブラッドの言葉はよくわからないものが多かったが、ちょっと引っかかるところがあった。
『白熊くんの恋愛対象って、白熊なの?』
そういえば何となく忘れていた。プーヴァは白熊なのだ。もし、伴侶となる雌の白熊が現れたらどうなるんだろう。ここを出て行くのだろうか。プーヴァは人の言葉を話せるし、二足歩行するけれども、それと同じ白熊は存在しないだろう。ということは、まさかこの小屋では一緒に暮らせまい。
いつかやって来るであろうその日のことを考えると、ぽっかりと浮かんでいる月の輪郭がぼやけて見える。一体どうしたことかと目をこすってみて、その原因が自分の目に溢れている涙のせいだということに気付いた。
「テナ、どうしたの?」
背後からプーヴァののん気な声が聞こえる。それと共にふわりとコーヒーの香りが届き、危うく振り向きそうになったが、ぐっとこらえた。何となく異変を感じ取ったプーヴァは自分の椅子も近くに移動させるとそこに座り、膝の上にトレイを乗せた。その上には二人分のコーヒーカップが乗せられている。
テナはなるべくプーヴァの方を見ないようにして手を伸ばした。こぼさないようにゆっくりと手渡すと、まだ少しだけ残っている涙をごまかすように俯き加減でそれを飲む。
「何で泣いてるの?」
バレていないと思っていたのに、プーヴァにはしっかりバレてしまっていたようである。少々気まずい思いで、もう一口啜った。
「……プーヴァはさ、いつかお嫁さん見つけてここを出て行くんだなぁって思ったの」
「そしたら涙が出て来たの?」
「そうだよ。何? 悪い?」
「悪いなんて一言も言ってないじゃないか」
そう言ってプーヴァは少し笑った。
「僕、お嫁さんとか興味ないなぁ」
「何で? あたし、図鑑で読んだよ。白熊だってお嫁さんもらって子ども作るんだよ」
テナの声はほんの少し震えている。ずず、と鼻を啜る音も聞こえてきた。
「それなら僕も読んだ。だから、いつかそういう日が来るのかと思って生きてきたけど、まったくなんだよねぇ。たぶん、年齢的には良い頃だと思うんだけど」
「プーヴァ、野性をどこかに置いてきたの?」
さっきのブラッドの言葉を引用してみる。
「置いて来た……のかな。いや、もしかしたら、『副作用』なのかもしれない」
「副作用?」
「僕だってマァゴの作った薬を飲んでるからね。じゃなかったら、こんなにペラペラしゃべれないよ。人間みたいに歩くのだって」
そう言いながら、足を浮かせてバタバタと振った。
「じゃあ、ここにずっといてくれるの?」
テナは膝を抱えたまま、ちらりとプーヴァの方を見た。どうやら涙はすっかり乾いている。
「僕がいなかったら、テナは飢え死にしちゃうよ」
「それだけで済むと思う?」
「あとは……、埃まみれで窒息しちゃうかも。それから……、もしかしたら雪でこの小屋が潰れちゃうかもしれないね。そしたら圧死か。どれも魔女の最期としてはちょっと恰好がつかないんじゃない?」
「そうよ」
「だったらなおさら、ここにいるしかないじゃないか」
プーヴァがテナの顔を覗き込みながら笑うと、それにつられて彼女も笑った。
「あたし、これからも家事なんて一つも手伝わないわ」
「僕がいつ手伝ってって言った?」
「それから、絶対にこの小屋からは出ないから」
「もう街に一緒に行こうなんて言わないよ」
「それでも良いのね」
「テナはテナのままで良いよ」
テナはふぅ、と大きく息を吐くと、目を細めてニヤリと笑った。
「ねぇ、プーヴァ、ちょっと耳貸して」
「何だい? 誰もいないんだからひそひそ話さなくても……」
そう言いながらも身を屈めてテナの口元に耳を差し出す。
「あの『へんしん薬』作るわよ」
控えめなヴォリュームだが、その声は何だかとても楽しそうだ。
「良いけど……。お客さん来てないよ? 一体誰に飲ませるの、あんな薬」
「あの花屋の女に決まってるでしょ」
「えぇ? 別に何もお願いされてないじゃないか」
「されたようなもんよ。だってその人、白熊が好きなんでしょう?」
プーヴァの耳から口を離して、テナは楽しそうに笑った。
「白熊というか……、人間になった白熊、っていうのが正しいと思うけど」
「おんなじ、おんなじ。ほら、ちょうど材料も一つあるし。せっかく花をもらったんだから、お返ししないとね」
テナはくるりと振り向き、テーブルの上に飾られた一輪の花を見つめた。
「……そっか、お返しか。そうだね!」
プーヴァもまた、花を見つめた。
「明日から忙しくなるわよ」
そう言って笑うテナは何だか本当に楽しそうだ。頬にまで裂けそうなくらい口角を上げている。この調子なら、テナはきっと良い魔女になれる。
プーヴァは彼女のハチミツ色の髪が早く肩に届かないかと、そう思った。
――客人No 7 白雪姫の娘 に続く
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