客人No 8 美女と野獣の娘
8-1 初夏晴れにやって来た客人
その日はからりと晴れていた。
季節が『暖かな冬』と『厳しい冬』の二種類しかないこの国では、六月のこのような晴天を『初夏晴れ』と呼んでいる。いつだって冬だというのに、『初夏』とはいささか皮肉交じりの表現である。
さて、そんな初夏晴れの午後のことである。
テナとプーヴァはリビングの中央にあるテーブルに向かい合って座り、のんびりとコーヒーを啜りながら、彼が作ったジンジャークッキーに舌鼓を打っていた。何せ風の無い日であったから、コンコン、というノックの音は実にはっきりと聞こえてきた。
テナがちらりとプーヴァに視線を送ると、彼はこくりと頷いて席を立つ。客を出迎えるのは専らプーヴァである。
どうせ用があるのは魔女のテナの方なんだから、たまには自分で出迎えれば良いのに、などと思うこともあったが、おとなしく、わかりましたなんて返事がもらえるわけがないことを彼はよく理解しているのだ。
「はいはい、いま出ますから」
ハキハキとそう言ってから、プーヴァは大きく深呼吸し、衣服が乱れていないか姿見で軽くチェックする。何事も第一印象が重要である。特に彼は、体長二メートル二十センチの白熊だ。精一杯感じよく、にこりと笑いながら「いらっしゃいませ」と言って扉を開けた。
扉の向こうに立っていたのは、若い女性であった。年の頃は二十代……後半くらいかもしれない。彼女は突如目の前に現れた巨大な白い獣に目を丸くしている。
ああ、やっぱり今回もダメだったか……。
プーヴァは彼女がいつ倒れ込んできても良いように身構えた。ごくまれに目を開け、立ったままの姿勢で失神する強者もいるので、念のため「もしもし、お嬢さん?」と声をかけてみる。
プーヴァのその言葉で娘はハッとした表情になり、「いま……しゃべった……?」と言った。
おや、この分なら大丈夫そうかな。
プーヴァは安堵して、構えていた両腕を下ろす。
「しゃべったよ。僕、しゃべれるんだ。君のこと食べたりしないから安心して。さ、お目当ての魔女さんはあそこだよ」
そう言って、部屋の奥を指差す。しかし、彼女はそちらを見ることなく、じっとプーヴァを見上げている。
プーヴァは突き刺さる視線に何だか居心地の悪さを感じながらも、彼女から外套と帽子を預かり、玄関のコートハンガーに掛けると、テナの向かいの席に座るように勧めた。
彼女が席に着いたのを見届けてから、キッチンに向かい、湯を沸かす。何となく気になり、首だけをキッチンからひょいと出して、リビングを覗いてみると、驚いたことに彼女の方でもじっとこちらを見つめている。ご丁寧に椅子の向きを変えて、キッチンに向かって座っていた。
思いがけず視線が合ってしまったことに驚き、慌てて首を引っ込めたが、もう一度そぅっと顔を出してみると、何とにこやかにほほ笑みかけて来るではないか。そして、その後ろでは完全にへそを曲げているテナの姿がある。
これはまずい、と思いながらコンロに戻り、早く湯が沸かないかとやきもきしていたが、そんなことで早く湯が沸くはずもなかった。
やっとお茶が入り、リビングに戻る。プーヴァはどうぞ、と言いながら彼女の前に紅茶とクッキーを置いた。いつもなら向かい合った二人の真ん中に座り、必要に応じてお茶のお代わりを注いだりするのだが、今日は何となく彼女と距離をとった方が良い気がして、テナの隣に座ることにした。
「ねぇ、いい加減何かしゃべってくれない? あなた、何しにここへ来たわけ?」
そう話すテナはやはり相当苛立っているようで、語気が荒い。
プーヴァはそれにハラハラして、テナと向かいに座った女性を交互に見つめた。しかし、当の女性の方ではそんなことお構いなしだとでも言わんばかりに、椅子を少し斜めにしてプーヴァを凝視している。
「ちょっとあんた、何なのよ! あたしに用がないなら帰りなさいよね!」
とうとう声を荒らげたテナの背中をプーヴァは優しくさすり、なだめる。
「まぁ、テナ落ち着いてよ。お客さんがなかなか話し出さないのはいつものことじゃないか。きっととても話しにくいことなんだよ」
そう言ってから、斜向かいに座っている女性の方を見て「何をどうしてほしいか話してくれないと、テナは君に何もしてあげられないよ。何か困りごとがあってここへ来たんだよね? 話しにくいかもしれないけど、聞かせてくれないかな」と精一杯優しい声で話しかける。
女性は、自分の前に置かれた紅茶を一口飲み、にこりと笑った。
「あなたがいるんなら、別に魔女さんに何もしてもらわなくたって良いわ」
「――はぁ?」
テナは素っ頓狂な声を上げ、眉をしかめた。
「僕?」
プーヴァもまた同様である。
「そうよ。あなたは私の理想の王子様だわ」
女はうっとりとした表情でじっとプーヴァを見つめ、そして、鞄の中から一冊の本を取り出した。それをテナの前に差し出す。テナは怪訝な顔をしながらそれを手に取った。
「ご存知ですか? 『美女と野獣』です」
「知らないわね。この本が一体何だっていうの?」
「そこに出て来るヒロインの生まれ変わりなんです、私」
得意気にそう言いきって胸を張る女に、テナとプーヴァは顔を見合わせた。
「信じてませんね? 根拠ならあるんです。ちょっと良いですか……」
そう言って、テナから本を奪うと、パラパラとページをめくり、再度見やすいように向きを変えてテーブルの上に置いた。
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