ついて来ちゃった王女様




 無言で見つめ合う、俺とミレーニアさん。

 そしてそんな俺たちを、これまた無言で見つめる香住ちゃん。

 え、えっと……まず、ここはどこだ?

 周囲を見回せば、すっかり見慣れた光景。今年の春から俺が暮らしている下宿先のアパートに間違いない。

 では、俺の腰に抱き着いているのは誰だ?

 彼女はミレーニアさん。ミレーニア・タント・アルファロがフルネーム。こことは別の「小世界」に存在するアルファロ王国の、第二王女様だ。

 よしよし、そこまではいいよな。

 俺はもう一度部屋の中を見回して確認した後、いまだに俺に抱き着いたまま俺を見上げているミレーニアさんに目を向けた。

 よしよし、間違いなくここは俺の部屋で、この人はミレーニアさんだ。

 って、よしよしじゃねーってばっ!!

 どうして、ミレーニアさんが日本の俺の部屋にいるの? もしかして、俺たちが日本へ戻る時について来ちゃったの?

 せ、聖剣先生っ!! これは一体どういうことなのでしょうかっ!? どうしてミレーニアさんが俺の部屋にいるんですかっ!? 教えて、聖剣先生っ!!

 俺は腰の聖剣に目を向けるも、相変わらず聖剣は黙して語らずです。ええ、本当にブレませんね、聖剣先生ってばさ。

「あの…………いつまでその姿勢でいるつもりですか?」

 その声に思わず振り向けば、じとーっとした目で俺たちを見る香住ちゃんの姿が。

 心なしか、先ほどの声は低かったような気がする。う、うわぁ……もしかして、怒っていらっしゃいますか、香住ちゃん?

 ともかく、弾かれるように離れる俺とミレーニアさん。

 そして、離れた俺とミレーニアさんの間に、すすっと歩を進めて体を割り込ませる香住ちゃん。今の香住ちゃんはまるで堤防のようだ……なんて思わず考えてしまったのは、俺だけの秘密にしよう。うん。



「まず、状況を整理しましょう」

 キッチンで三人分の飲み物を用意してくれた香住ちゃんが、場を仕切るようにそう言った。

 いやまあ、実際にこの場を仕切っているのは彼女なんですけどね?

 俺たちは今、ローテーブルを三人で囲んで座っている。床に直接座る習慣のないミレーニアさんは最初とても驚いていたが、俺の言うことには素直に従ってくれた。もちろん、クッションは使ってもらっていますです。はい。

 なお、履いていた靴も脱いでもらい、靴は玄関へ。

 そんな中で、まずは香住ちゃんが口火を切る。

「ミレーニアさんがここに……私たちの世界に来てしまったのは、帰還する直前にミレーニアさんが茂樹さんに抱き着いたから、だと私は思うんです」

 ずずっと飲み物──冷蔵庫に入れておいたオレンジジュース──を一口啜った後、香住ちゃんは自らの考えを述べた。

 確かに、転移する時に俺たちに触れていれば、一緒に転移する可能性は大きい。今更だけど考えてみれば、俺たちが着ている衣服とか身に着けている荷物とか、いつも一緒に転移しているからね。

 転移の際に俺たちが触れていた物は、一緒に転移できると考えるのが正しいだろう。

 そうでなければ、「小世界」へ行く時は常に裸になっちゃうし。

 問題は、一緒に転移する時、生物も一緒に転移できるかどうかだけど……こうして実際にミレーニアさんがこちらに転移して来てしまった以上、生物も転移できると考えていいと思う。

「そもそも、どうしてミレーニアさんはあのタイミングで茂樹さんに抱き着いたんですか?」

 う、うわぁ。今の香住ちゃん、すっげぇ恐い。まるで、背後に刀を構えた鬼神がいるかのようだ。

 対して、ミレーニアさんは落ち着いていた。目の前に置かれたオレンジジュースを、物珍しそうに眺めながら口をつける。

「もちろん、シゲキ様との別れたくなかったからに他なりません」

 未知の味であろうオレンジジュースに目を見開きながらも、ミレーニアさんはきっぱりとそう言った。

「それに、一度シゲキ様たちの国……神々の国を見てみたかったのです」

 と、言葉を続けたミレーニアさんは、興味深そうに周囲を見回した。

「ここがシゲキ様たちが住まう、神々の国なのですね……正直申し上げれば、わたくしが想像していたものとは随分と違いますが」

 そりゃあ、ここは学生用の安アパートだからね。ミレーニアさんがどんな神々の国を想像していたのかは分からないけど、相当違っていると思う。

 ちなみに、ごく普通の日本人である俺は、神の存在はほとんど信じていません。そんな俺が「神の国」と聞いてイメージするのは、何となくキリスト教の世界っぽい、光がきらきらして、雲の上みたいにふわふわして、可愛い天使がひらひらしている世界です。

 まあ、聖書にはもっと明確に「神の国」は描写されているらしいけど、聖書なんて読んだこともない俺は具体的なことは全く知らないので、そんないい加減なイメージしかないわけだ。

「シゲキ様たちがお帰りになられる時、ご一緒すればわたくしも神々の国へ行けるのではとかねてより考えておりましたが……どうやら、わたくしの憶測は正しかったようですわ」

 それにしても、随分と変わった味のお茶ですわね。こんな甘くて美味しいお茶は初めてです。これがこちらの一般的なお茶なのですか? と大いにオレンジジュースに興味を示すミレーニアさん。いやそれ、お茶じゃないから。オレンジジュースだから。でも、気に入ってもらえたのなら何よりです。

 しかし、こうして見ず知らずの世界に来たというのに、全然動揺していないのは一国の王女様だからだろうか。それとも、ミレーニアさんって案外神経が太い方なの?

 いやまあ、物珍しそうに俺の部屋の中をきょろきょろと見回してはいるけどさ。

 それとも、俺たちが傍にいるから安心しているのかも。知り合いが傍にいれば、何かと心強いものだからね。

 まあ、明日になればまた聖剣の力でアルファロ王国へ送って行けばいいので、実は俺もそれほど焦ってはいなかったり。

 問題はミレーニアさんを連れてもう一度転移できるかだが、向こうからこっちへ来ることができた以上、こっちから向こうへだって行けるはずだ。

 最悪、聖剣の設定画面の「同行者」の欄を香住ちゃんからミレーニアさんに書き換えれば、彼女を送って行くことはできるだろう。

 問題は……今夜一晩、ミレーニアさんをどうするかの方だ。

 この部屋に泊めるのはもっての他だ。いくらなんでも、未婚の女性──しかも、異世界の王女様──を男の一人暮らしの部屋に泊めるわけにはいかない。

 じゃあ、香住ちゃんの家に泊めてもらうか?

 香住ちゃんの家族なら、一晩ぐらい快くミレーニアさんを泊めてくれそうだ。

 だけど、ミレーニアさんのことはどう説明する? 香住ちゃんの家族に嘘は吐きたくないし、かといって本当のことを言うわけにもいかない。

 それに、見た目は完全な外国人であるミレーニアさんだ。パスポート所持の問題とかも出てくるだろう。今はもう引退しているとはいえ、香住ちゃんのお爺さんである権蔵さんは元刑事だ。元刑事の勘ともいうべきもので、ミレーニアさんを不審に思うかもしれない。

 もちろん、それらをひっくるめた上で、黙ってミレーニアさんを泊めてくれる可能性もあるけど、そこまで香住ちゃんの家族を頼るわけにはいかないだろう。

 と、なると。

 俺たちに選べる選択肢は、一つぐらいしかないわけだ。



「それで、私の所に来たってわけかい?」

 ちょっぴり眉を寄せた困り顔でそう言ったのは、俺のバイト先の店長だ。

 ここは店長のマンション。電話でざっと経緯を説明した後、俺と香住ちゃんでミレーニアさんをここまで連れて来た。

 途中、極力人目を避けてきたので、かなり時間もかかっちゃったけど。

 当然、ミレーニアさんには着替えてもらっている。さすがに夜が近いとはいえ、人目の多い町中を煌びやかなドレス姿で歩くことはできないからね。

 とりあえず、香住ちゃんにお願いしてミレーニアさんを着替えさせることに。俺の服の中から着られそうなものを適当に選んでもらい、ミレーニアさんに着てもらっている。

 着替えが終わった後、「コルセットの実物なんて初めて見ました」と、香住ちゃんが言っていたな。そうか。やっぱり着ていたのか、コルセット。

 ん? 俺? もちろん、ミレーニアさんが着替えている間、部屋の外に出ていましたが?

 俺のTシャツやチノパンを着たミレーニアさん──当然、サイズが合っていないのでぶかぶかだ──を連れ、何とか店長の家まで辿り着いた。

 いやー、その途中、結構大変だったよ。ミレーニアさんにしてみれば、こちらの世界で目にするものは全て初めて見るものばかり。

 何か真新しいものを見かける度に足を止めたり駈け寄ったりして、説明を求めてくるので店長の家までが遠かったこと。

 まあ、仕方がない反応ではあるよね。しかしミレーニアさん、見るからにお姫様な見かけとは裏腹に、結構行動的で好奇心も旺盛のようだ。

 何か気になるものを見つけると、俺たちの説明を聞くよりも早く駈け寄ったりしていたし。今は俺が貸したありふれたTシャツとチノパン姿だし、普段よりもずっと動きやすいってこともあるのかもしれない。

 しかし、女の子がちょっと大き目な男物の衣類を着ている姿って、何とも言えない可愛さがあるね。うんうん。

 普段は「可愛い」というより「美しい」といったイメージのミレーニアさんだが、こうしていると俺たちと年の変わらない普通の女の子に見える。

 そのミレーニアさんはと言えば、俺の部屋の時と同じように店長の家の中をきょろきょろと見回していた。さっきなんか、窓から一望できるこの町の風景──既に日は落ちていて窓の向こうには夜景が広がっている──を見て、ぽかんとした表情をしていたっけ。

 さて、今のミレーニアさんの様子よりも、これからの彼女のことだ。

「まあ、その異世界のお姫様を私の家に泊めるのは問題ないよ。ただ……水野くん、ちょっと君の聖剣を貸してくれるかい?」

 俺はタオルで厳重に梱包されている聖剣を、店長に手渡した。

 先ほど店長の家に行くと電話した際、聖剣も一緒に持って来るように言われたのだ。

 店長は梱包を解いた聖剣を鞘から引き抜き、鋭い視線で俺のあいぼうを眺めている。

「ふむ……詳しく調べてみないと断言できないが、やはりちょっと負荷がかかったようだね」

 そう言いながら、店長はちらりとミレーニアさんを見た。

 負荷? それって、俺の聖剣に何らかの負荷がかかったってこと? そして、店長の意味ありげな視線からして、その「負荷」とやらがミレーニアさんが一緒に転移したことが原因であろうことは容易に想像できた。

 もちろん、ミレーニアさんに文句を言うつもりはないけどさ。

「え、えっと……それで、俺の聖剣に何か不調が現れているんですか?」

「まあ、不調というわけではないが……人間で言えば、ちょっとした疲労ってところかな? とりあえず、二、三日はゆっくりとさせた方がいいだろうね」

 え?

 二、三日ゆっくりって……もしかして、転移できないってこと?

 だとしたら……ミレーニアさんのこと、どうしたらいいの?



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