第百三十三幕 ~再会~

 神国メキアからオリビア一行が帰郷してからおよそ二週間余り。

 オリビア率いる第八軍は王都フィスを進発。フィス街道、セインス・パラの街を経由し、城塞都市エムリードに到着していた。一大反攻作戦が開始されるそのときまでエムリードを拠点とするためである。オリビアは過日の約束を果たすため、アシュトンを伴って中央通りに出かけていた──。


「ここも大分活気を取り戻したな」


 戦争前とまではいかないだろうが、前回訪れたときと比べて人通りが段違いに多い。開店休業状態だった露店なども、今では閉店しているのを探すのが大変なくらいだ。なにより暗い表情で歩いていた人々が、明るい顔で買い物をしている姿が印象的だった。


「前に来たときはお店が全然開いてなかったもんね」


 オリビアは露店で買った食べ物にがっつきながら顔を綻ばせている。北部に巣くっていた帝国軍を退却せしめた結果、王国最大の穀倉地帯を取り戻している。これにより食糧事情が大幅に改善されたことが多分に影響しているのだろう。

 しかも、一度はもはやこれまでと王国を見限った商人たちが、徐々にではあるが戻り始めたと聞いている。ファーネスト王国を取り巻く状況は未だ厳しいものの、確実に良い方向に向かっているのは明らかだった。


「ところでさっきから遠慮なしに食べているけど、お金を払っているのは僕だって知っているよね?」

「だってお金の使い方なんてよくわからないし」

「いや、絶対に覚える気がないだけだよな?」


 オリビアは頭がいい。それこそ学術書や医術書なども平気で読んだりするくらいには。それにもかかわらず未だに金の使い方がわからないということは、つまりはそういうことだ。


「そんなことないもん。私だって覚えようとしたもん」


 オリビアは「うりゃー」とか、「そりゃー」と声を上げながら、同時に大袈裟な身振り手振りで努力したことを主張してくる。

 アシュトンは生暖かい視線をオリビアに送った。


(金の使い方を薪割りかなにかと勘違いしているんじゃないだろうな。どこの世界に掛け声を上げてお金の使い方を覚える奴がいるんだよ……)


 アシュトンが呆れていると、オリビアは嬉々として新たな露店に突撃を始めた。大きな溜息を吐いたアシュトンは、「早く早く」と手招きするオリビアの下へ向かうのだった。


△▼△


 その後もオリビアの買い食いに付き合いながら歩いていると、見知った人物が露店越しに威勢の良い声を上げている姿を見かけた。

 オリビアもすぐに気が付いたようで、小走りに露店へと向かっていく。


「おばさん!」

「……!?」


 呼ばれたおばさんは露店を飛び出して走り寄ってきたオリビアを抱きしめると、頭を何度も何度も撫でていた。


「生きていて良かった……」

「……おばさん苦しい」


 もがくオリビアに対し、おばさんはさらに強く抱きしめた。


「苦しいよー」

「あははっ! これはおばさんを心配させたバツだよ」


 しばらくしてオリビアを解放したおばさんは、アシュトンに視線を向けてきた。


「どうやらちゃんとこの子を守ったみたいだね」

「ええ。一応は」


 アシュトンは誤魔化すように返事をした。実際守られているのはこちらなのだが、それを口にするほど空気が読めないわけでもない。

 おばさんは満足気に頷くと、オリビアに視線を戻した。


「少佐さんが帝国軍を追っ払うって言ったときは正直話半分に聞いていたけれど……しかし、本当に実行するとはねぇ……」

「これでおばさんが涙を流すことはなくなったね」


 オリビアはニシシと笑った。


「……ありがとよ。──ところで見慣れない軍服を着ているね」

「ああ、これ? 階級が上ったから変わったんだよ」

「そうなのかい?」


 不思議そうにオリビアの全身を眺めるおばさんにオリビアの階級を耳打ちすると、おばさんはギョッとした表情を浮かべた後、オリビアの襟元を凝視し始めた。


「……本当に少将の階級章……将軍になっちまったのかい……」


 アシュトンの襟元にも素早く視線を向けたおばさんは「あんたもかい」と呆れ交じりに言って、最後は大きな息を落とした。


「まぁ、あれから色々とありましたから」

「そうだろうねぇ。なにせ准尉だったあんたも短期間で少佐になっているくらいだ。最近王国軍の勝ち戦が続いている噂は聞いていたけれど……全部あんたたちが関わっているんだろう?」


 軍事機密に触れることは話せないが、その程度の質問ならば問題ないと判断し、アシュトンは正直に話した。おばさんもそのあたりの事情は心得ているらしく、それ以上の質問はしてこなかった。


「わざわざこうして会いに来てくれたんだし、おばさん奮発しないとね」


 パンと手を叩き、意気揚々と露店に戻ったおばさんは、エムリード名物の焼き串を袋の中にどんどん詰め込んでいく。そればかりでなく、前回来たときにはなかった丸い形状をした食べ物を別の袋に詰め始めた。置かれている立て看板に目を向けると、『エムリード新名物・どんとろ焼き』と書かれていた。


「はい。おばさん自慢の焼き串と、どんとろ焼きだ。どんとろ焼きは中身がクリーム状になっているから火傷しないよう気を付けて食べるんだよ」


 そう言っておばさんは両手に抱えきれないくらいの袋をオリビアに持たせた。


「ありがとう!」


 礼は言うものの、相変わらずオリビアにお金を出そうという気配はない。そもそも持ち歩いてもいないので出しようもないのだが。

 アシュトンは大きな溜息を吐きながらおばさんに尋ねた。


「おいくらですか?」


 言ったアシュトンへ、おばさんは険しい顔を向けてきた。


「野暮なことを言うもんじゃないよ。私との約束を守ってしかもわざわざ忙しい中を会いに来てくれたんだ。それだけで十分なんだよ」

「こう言ってはなんですが、こういう機会でもなければお金を使うことがありません。なので受け取ってください」


 金袋を懐から取り出したアシュトンがおばさんの手のひらに強引に金を握らせると、おばさんはものすごい剣幕で怒り始めた。


「ちょっと! 私はいらないって──!?」

「さ、そろそろ帰るぞ。遅くなるとブラッド大将にどやされる」


 アシュトンはあえておばさんを無視し、オリビアの背中を押した。


「うん」

「ちょっと待ちな! ──あんたの男気に免じて受け取るにしても、金貨一枚は多過ぎるにもほどがあるよ」


 立ち止まったアシュトンは一考した。


「ではオリビアに元気をくれたお礼だとでも思ってください」

「──しばらくみないうちにおとこの顔をするようになったじゃないか」

「僕は最初から男ですが?」

「ふん。軍人にしてはあんたの顔は優しすぎる。口だけでもそれくらい不遜なほうがいい」

「……それはどうも──いくぞオリビア」

「おばさん、またねー」


 大きく手を振って別れを告げるオリビアに、おばさんもそれ以上の手を振って返す。ふと空を見上げれば、どこまでも続く青空が広がっていた。

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