第百三十一幕 ~合わせ鏡~ 其の壱

 神都エルスフィア ラ・シャイム城


 観兵式の翌日。

 ソフィティーアから夕食に招待されたオリビアは、不安そうな目を向けてくるクラウディアとアシュトンに玄関先で見送られながら出迎えの馬車に乗り込み、ひとりラ・シャイム城へと向かった。


「軍服も凛々しくて似合っていましたが、やはりドレス姿も素敵ですね」


 ソフィティーアの第一声がそれだった。オリビアは紫色で染められた自身のドレスを見つめながら首を傾げた。


「そうかな?」

「ええ。本当に良くお似合いで」


 オリビアが着ているドレスはソフィティーアが今日のために用意してくれたもので、昨日アンジェリカの手によって届けられた特注品だそうだ。別に軍服でも構わないとオリビアは言ったのだが、それでは失礼に当たるとクラウディアに言われたので仕方なく着ている。


 ちなみにソフィティーアのドレスは今日も眩しいくらいにキラキラだった。そのことをオリビアが口にすると、ソフィティーアはオリビアの耳元に口をそっと寄せ、「実はわたくしが着るものは全て侍女が見繕うので、選択の余地はないのです」と囁く。服に関しては偉そうなことは言えないけれど、それでも自分が着る服を自分で選べないなんて、一国の主というものは随分不便なものだ。


(それにしてもいつもこんな大きなテーブルでご飯を食べているのかな?)


 片側だけで二十人以上は座れそうだ。そう思いながらスッと引かれた椅子に座ると、隣室の扉が開かれ、ピカピカに光った銀色のワゴンを運ぶメイドたちが列をなして現れた。メイド達たちはきびきびとした動作でオリビアの前に料理を置いていく。ファーネスト王国の料理と比べると神国メキアの料理は全体的に薄味だけど、その分繊細な味付けをしている。これはこれでオリビアは気に入っていた。


「遠慮なさらずにお召し上がりください」

「うん。アシュトンに言わせるとね。私って〝遠慮〟って言葉を母親の胎内に置いてきたらしいんだ」

「ふふっ。では余計な言葉でしたね」

「そういうこと」


 言ったオリビアはズラリと並ぶ料理を片っ端から食べていく。なにがそんなに楽しいのか、ソフィティーアはオリビアの食べている姿を笑顔で見つめていた。


△▼△


 グラスに注がれた葡萄酒で喉を潤したソフィティーアは、未だ食べることに全精力を注いでいるオリビアに声をかけた。


「昨日は図書館に行かれたそうですね」

「ほうだよ」


 オリビアは頬を思い切り膨らませながら返事をする。

 神国メキアにはそれなりに見るべきところはある。神都エルスフィアでも随一の賑わいを見せるシャンスール通りなどは、様々な商品を扱う店が立ち並び、大国にも引けを取らない活況を呈している。オリビアがそれらを無視してなにゆえ図書館を選んだのか気になっていた。


「ほら。わはひってほんがふぅひだはら」

「ええと……本が好きだとおっしゃったのですか?」


 オリビアは一切手を止めることなく、首だけ縦に振っている。意外といえば意外な話にソフィティーアは驚いた。普段の感じからして静かに本を読むというイメージがなかったからだ。ちなみにどんな本を読むのか聞いてみると、ありとあらゆるジャンルの本を──それこそ学者が手に取るような本まで読んでいることがわかり、ソフィティーアは二度驚かされた。


「本当にオリビアさんは本がお好きなのですね」


 口の中のものをゴクリと飲みこんだオリビアは笑顔を見せて頷いた。


「ゼットがね。たくさんたくさん本をくれたんだよ」

「ゼットさんが本を……オリビアさんはゼットさんと暮らしていたんですか?」

「うん。深い森の中で一緒に暮らしていた」


 以前両親のことは知らないと聞かされていたので、ゼットなる人物がオリビアの育ての親であることはなんとなく予想がついていた。ただ街や村でなく森で暮らしていたとはソフィティーアも思っていなかった。

 梟にオリビアの身辺調査を命じていたが、彼女が王国軍に志願する前の情報はなにひとつ掴めなかったのも今の話で納得できる。 


「森の中で暮らしていたのですか?」

「そうだよ。ここからならそんなに遠くないと思う」


 しれっと口にするオリビアに、ソフィティーアはあやうくグラスの中身を零すところだった。今の話が事実であれば、それこそ領土内の森にオリビアが、そしてゼットが暮らしていた可能性は低くない。

 ソフィティーアは内心で苦笑しながらも、執事を呼び出し地図を持ってくるよう命じた。


 「どのあたりの森なのかわかりますか?」


 即座に用意された神国メキア周辺の地図を広げて見せると、オリビアは全体に目を這わせて「ここだよ」と、ある一点を指差す。

 ソフィティーアは思わず二度見してしまった。


「一応お聞きしますが、この森で間違いないですか?」

「うん。間違っていないよ」

「そうですか……」


 結果からいうと神国メキアの領土内ではなかった。さらに言えばどこの国にも属していない。オリビアが指し示した森は、神国メキアから南西に位置する俗に〝帰らずの森〟と呼ばれている大森林である。名前の通り一度足を踏み入れたら二度と戻ってこれない魔境の地として有名だ。

 昔、噂の真意を確かめるべく数人の梟を調査に派遣したことがあったが、結局誰一人として戻ってくることはなかった。

 その帰らずの森にオリビアは住んでいたという。


(彼女が虚言を弄するとは思えないし、その理由もない。本当に先程から驚かされることばかりですね)


 それでも表面上は平静を装いつつ、さらなる情報を引き出すため、ソフィティーアは話を続けていく。


「オリビアさんはいつごろから森で暮らしていたのですか?」

「赤ちゃんのときからだよ」


 壮絶な過去をわけもなく話す様子からして、捨てられたことそれ自体は気にも留めていないと判断し、また同時に、ゼットが育ての親で間違いないとソフィティーアは確信した。それはそれとして気になるのは森の中で、どうして獣に食われもせずに済んだかということだ。

 そのあたりの事情を尋ねてみると「赤ちゃんだからさすがに理由はわからないよ」と言って笑うオリビア。確かに言われてみればその通りだと己のうかつさに苦笑した。


(まぁ、今日のところはこれくらいでいいでしょう)


 ある程度の情報を手に入れたことで満足したソフィティーアは、改めて居住まいを正してオリビアを真っすぐ見据えた。

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