第百二十二幕 ~光る凶星~

 オリビアの告白から一夜明け、滞在二日目──。

 ソフィティーアの使いとして現れたのはこれまで道中を共にしてきたヒストリアではなく、小柄な体に不釣り合いな大剣を背負った軍人だった。


「初めまして。私はアンジェリカ・ブレンダ―と申します。どうぞお見知りおきを」


 にぱっと笑うアンジェリカに、オリビアを除く一同はぎこちない笑みを返した。愛嬌のある可愛らしい顔立ちは、そのまま人懐っこい印象を受ける。

 ヒストリアとは正反対の雰囲気をもつ女性であった。


「本日は聖天使様主催の狩りを予定しています」

「ソフィティーア様が狩りをなさるのですか?」


 意外そうな声を上げたのはエヴァンシンだった。アシュトンも虫も殺さないような顔をしているソフィティーアが狩りをするとは夢にも思わなかった。


「意外ですよね。でも聖天使様はあれで結構やんちゃなところがあるんですよ」


 なにかを思い出したのか、アンジェリカはクスクスと笑う。


「本当に意外です」

「ほんと、一国の主なのに困り者ですよねぇ」


 そう言いつつもアンジェリカの言葉には敬愛の念がこもっている。昨日、市井の者たちにもそれとなくソフィティーアの人となりを尋ねてみたところ、皆が皆素晴らしい統治者であると絶賛していた。

 改めてソフィティーアという人間が多くの者に慕われていることがわかったアシュトンである。絶対口には出せないが、どこかの王とは天と地ほどの開きがあるのは間違いなかった。


「私も狩りは好きだよ」

「聖天使様からそう聞いています。なのでオリビア様を狩りにお誘いしようと思ったのでしょう」


 言ってアンジェリカは、どこか値踏みするような視線をオリビアに向ける。聞こえるか聞こえないくらいの声で「噂通りの美人だけどヨハン様の好みとは違う」と呟いていた。


「狩りかぁ。しばらく行っていないけどこの時期は美味しい獲物が結構獲れるんだよねー」

「そうなんですか。私は詳しくないんですけど、この時期はなにが美味しいのですか?」

「うんとね。ヒドラなんか結構美味しいと思うよ」

「え……? 今ヒドラと言ったのですか」

「そうだよ」

「ええっと。私あんまり獣とか詳しくないんですけど、確かヒドラって危険害獣ですよね?」


 アンジェリカの言葉に間違いはなかった。

 亀をそのまま大きくしたようなヒドラは危険害獣二種に属する獣だが、異なるのは甲羅から伸びる三つの首。動きこそ鈍重そのものであっても、三つの首を存分に利用した攻撃は間違いなく人類の脅威だった。


「そうなの?」


 オリビアがこちらに顔を向けて尋ねてくる。アシュトンはガリガリと頭を掻いて首を縦に振った。大抵オリビアが美味しいと口にするものは危険害獣、しかも二種だ。


「そうみたい」


 アンジェリカは大きな瞳をパチパチさせた。


「危険害獣を食べるって……なにかの冗談ですよね?」

「冗談じゃないよ。私冗談って未だによくわからないし」


 真顔で否定するオリビア。時が止まったようにしばし動かなくなったアンジェリカに向けて、クラウディアが遠慮がちに咳払いをする。

 我に返ったアンジェリカは慌てて口を開いた。


「で、ではご用意ができましたらお声をかけてください。私は外で皆様をお待ちしておりますので」


 敬礼したアンジェリカは、小走りで外へと出て行った。

 程なくして迎えの馬車に乗り込んだオリビアたちは、改めて街並みをゆっくり眺めながらラ・シャイム城に到着。ソフィティーアたちと合流し、神都エルスフィアの近郊に位置する森へと向かった──。


△▼△


「わあ! 綺麗な湖だね!」


 オリビアがどこまでも広がる瑠璃色るりいろの湖に弾んだ声を上げていると、隣に並んだソフィティーアが説明を始めた。

「カルラ湖と呼ばれています。これから冬を越すために多くの渡り鳥がこの湖を目指して飛んできます。気が早い渡り鳥たちも何羽かいるようですが」


 カルラ湖には白い羽で覆われた鳥が数羽ほど優雅に泳いでいる。最盛期には数百羽の渡り鳥で埋め尽くされるとソフィティーアは言っていた。


「では始めましょうか」


 今日のソフィティーアは当たり前だがドレス姿ではなく、優美な細工が施された軽装な鎧を身に着けている。護衛として付き添っているラーラから丁重に弓矢を手渡されると、ソフィティーアはオリビアに声をかけた。


「オリビアさん、準備はよろしいですか?」

「私はいつでもいいよ」


 弦の張り具合を確かめるように軽く弾きながらオリビアはニコリと笑う。その様子だけ見ていると、オリビアが迷っているなんて嘘のように思えてくる。

 ソフィティーアも勧誘の件に関しては一切口にしなかった。


 ──狩りが始まってから小一時間ほど経過した。

 ソフィティーアは手慣れた動きで灰兎や灰狐などを次々に仕留めていく。王女らしからぬ腕前にアシュトンは素直に舌を巻いた。


(さすがにジャイルまでとはいかないけど、それでも僕なんかよりずっと上手い)


 一方のオリビアは狩りは片手間という感じで、もっぱらソフィティーアのアドバイスに徹している。ソフィティーアはオリビアからのアドバイスに対して真剣に耳を傾け、ときに朗らかに笑っていた。


(随分と楽しそうだな。やっぱりお前は僕たちを捨ててソフィティーア様の下へ行くのか?)


 遠巻きに仲が良さげな二人を眺めていると、微かな音をアシュトンの耳が捉えた。耳を澄ましていると、次第に音が鮮明になっていく。


 カッカッカッカッカッカッカッカッカッ…………


 一定のリズムで刻まれる音は、どうやらアシュトンの背後から聞こえてくるようだった。

 

 (また灰狐か? ──でも灰狐ってこんな鳴き声だっけ?)


 アシュトンが弓を構えて後ろに体を向けるのとほぼ同時に、オリビアの鋭い声が飛んできた。


「アシュトン逃げてッ!!」

「え?」


 突如として黒い物体に視界を遮られた途端、枯れ木越しにアシュトンの体は吹き飛ばされ、そのまま崖下に広がる川底へと落下していく。

 クラウディアの悲痛な叫び声を聞きながら、アシュトンの意識は次第に薄れていくのだった────。


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