第八十三幕 ~エリスの戦い~

 クリストフ少将率いる天陽の騎士団は、当初こそ地の利が響き防御に甘んじていた。だが、徐々に距離を縮めていくと共に、天陽の騎士本来の力が発揮されていく。そんな最中、副官であるマスケラ大尉が眉をひそめて話しかけてきた。


「閣下、噂に聞いていたほど死神の部隊は大したことありませんね。いくら二倍以上の兵力差があるとはいえ、これではいささか拍子抜けです。紅の騎士団が翻弄された理由が全くわからないのですが」

「マスケラもそう思うか……実は俺もそう感じていたところだ。やつらの戦いようは妙に大人しいというか、消極的ですらある。そもそも、なぜ死神は前線に出てこないのだ。全く理由がわからない」


 噂通りであれば、死神は積極的に前線へと出てくるタイプらしい。すでに交戦が始まってから数時間が経過している。にもかかわらず前線に出てくるどころか、一向に姿を現さない。死神を見かけた兵士の話では、悠然と後方で待機しているとのこと。その行動に得体の知れない不気味さを感じて様子を伺っていたが、さすがに妙だとクリストフは思い始めていた。


「クリストフ閣下、ここは一気に進撃しましょう」

「そうです。死神が動かないのならチャンスと捉えるべきです」


 焦れた将校たちから次々に攻勢すべきとの意見が述べられていく。このままだと士気にも影響を及ぼすと考えたクリストフは、彼らの意見を採用する。その矢先、血に染まった伝令兵が足下をふらつかせながら現れると、驚愕の言葉を口にした。


「なに!? パトリック中将が討ち取られた?!」


 この場にいる全員から一斉にどよめきの声が上がる。


「は……死神の手に掛かりあえなく。第二軍も息を吹き返しました。今や本隊を含めすでに潰走状態です……まもなく死神はこちらにもやってきます。急ぎ、撤退を……」


 伝令兵は口から大量の血を吐くと、そのまま地面に倒れ伏す。背中には折れた数本の矢が突き刺さっており、すぐに動かなくなった。動揺が広がる中、クリストフは先程からの疑問が一気に氷解していくのを感じていた。消極的な攻撃を繰り返す敵部隊。決して前線に出てこようとしない死神。つまりはそういうことだ。

 

「くくくっ、どうやら我々はの死神に一杯食わされたらしい。不要な時間を敵にあたえてしまったようだ」

「こうなった以上ぐずぐずしてはいられません。挟撃される前に撤退しましょう」


 兵法上、常道の進言をしてくるマスケラ。余裕のない表情が事態の深刻さを物語っている。だが、このままおめおめと撤退するなど腹の虫がおさまらない。なにより武門の誉れ高いラプター家当主としての誇りがそれを許さない。


「陣を偃月えんげつに展開。敵の中央を突破しつつ、そのまま丘を下り脱出する。ついでに偽死神の首を手土産代わりに刎ねてくれるわ」

「中央突破はいいとしても、今さら偽者の首を刎ねたところでなんの意味もありません。そのような考えはお捨てください」


 耳障りなマスケラの諫言かんげんに対し、クリストフは鼻を鳴らす。


「意味の有り無しなど関係ない。ここまでコケにされては我がラプター家の沽券に関わる。わかったらさっさと陣の再編をしろ」

「……かしこまりました」






 天陽の騎士団が陣形を再編し、怒涛の勢いで中央突破を図ってきた。その様子を見ていたエリスは、隣で唾を飛ばしながら指示を出しているルークに話しかけた。


「本隊が潰れたことに気づいたらしいね」

「──ああ、そのようだ。どうやら一気にここを突破して脱出を図るつもりらしい。もう少しで挟撃できたものを」


 ルークが苛正しげに舌打ちする。普段冷静沈着を売りにしているような兄の態度とは思えない。それだけ余裕がないということだろう。序盤こそ有利に事を進めていたが、今では完全に追い込まれている。兵力差を抜きにしても地力は完全に天陽の騎士団が勝っていた。このままだと陽動部隊が崩壊するのも時間の問題だ。


「兄貴、オリビア姉さまがくるまで私がなんとか敵の目を引きつける」

「馬鹿な真似は止めておけ。もし偽者だとばれていたら、真っ先に殺されるぞ」


 言い方は素っ気ないが、その目にはありありと心配した様子が映し出されている。エリスはわざとらしく肩を竦ませて言った。


「私の剣の腕は兄貴もよく知っているでしょう? 簡単に殺られるつもりは毛頭ないから。それにたとえ万が一殺られたとしても、オリビア姉さまが絶対にかたきをとってくれる。じゃあね」

「お、おいッ!?」


 ルークが止めるのも聞かず、エリスは剣を抜き放ちながら全力で駆けだした。






 目の前に立ち塞がる敵を次々に薙ぎ払っていたクリストフは、思わず口の端を吊り上げる。漆黒の鎧を着た銀髪の女が猛然と剣を振るっているのを目にしたからだ。女はこちらの視線に気がつくと、双眸をぎらつかせながら迫ってきた。


「閣下」

「気にせずマスケラは脱出しろ。追撃部隊に追いつかれるぞ」


 剣についた血のりを払いながらクリストフは言った。


「ですが……」

「そう案ずるな。本物ならいざ知らず、たかが偽者相手にこのクリストフ・ラプターが後れを取るとでも?」

「そのようなことは思いませんが……わかりました。ではお先に」


 マスケラが脇を走り去るが、女は見向きもしない。お互い剣の間合いに入った途端、激しい金属音が鳴り響く。剣撃が数度繰り返された後、弾き合うように距離をとった。


「ほう、偽者の割には中々やるじゃないか」

「なーんだ。やっぱりばれていたんだ」


 女が挑戦的な笑みを浮かべて言う。


「それにしても随分と我々をコケにしてくれたじゃないか。おかげで碌な働きもしないまま撤退だ。せめてもの手土産代わりに、貴様の素っ首を叩き落としてやる」

「ぷぷっ」

「……なにがおかしい?」


 にやけた笑いがひどく癇に障る。クリストフが苛立ちながら問うと、女はこれみよがしに大きな溜息を吐いた。


「あんたさー。曲がりなりにも天陽の騎士団を率いる指揮官なんでしょう?」

「それがなんだと言うのだ」

「いやさ。さっきからなんか偉そうに言っているけど、結局は騙されて頭に血が昇っただけじゃない。その腹いせになんの価値もない私の首を獲るって言っているんでしょう? まだうちの兄貴のほうが幾分かマシだわ。ほんと、小さな男」


 そう言い切ると、女は憐れむような目を向けてきた。かつてここまでの侮辱を受けたことなど一度もない。そもそも、クリストフに対してそんな口を聞いた者など皆無だ。


「──上等だ」


 クリストフは自らの爪が食い込むほど柄を思い切り握り込んだ。






(やっば。少し調子に乗って言い過ぎたかな? このままだと流石にちょっとまずいかも)


 顔を鬼のように紅潮させた男が、狂ったように斬撃を見舞ってくる。脳に響いてくるほど重い一撃だ。今はなんとか受け流しつつ応戦しているが、そう長くは持たないことをエリスは悟る。


(よし、こうなったら一か八か、賭けに出るとしますか)


 エリスは一旦距離をとり、腰から取り出したナイフを男の顔面目がけ投げつける。


「くだらん」


 男は迫りくるナイフを自身の剣で軽々と弾き返す。その隙を狙い再び剣の間合いに入ったエリスは、脇腹に向けて横薙ぎの一撃を見舞う。その刹那、男の歪んだ笑みが視界に入った。そして、その笑みの理由をエリスはすぐに知ることになる。


「グッ……」


 男はいつの間にか抜いていた短剣で横薙ぎの一閃を防いだばかりか、エリスの太ももに深々と突き立てていた。これみよがしに短剣を引き抜かれると、鮮血が一気に溢れ出す。あまりの激痛に立っていることができなくなり、その場に尻餅をついてしまった。男は勝ち誇ったかのようにエリスを見下ろしている。


「色々と言ってくれたが、それがお前の限界だ。中々の剣捌きだったが総じて軽すぎる。所詮は女の剣だな」

「はぁ。御託はいいからさっさと殺しなさいよ。あんた周りの人間から女々しいって言われない?」

「……ふん。最後まで減らず口を叩く度胸は褒めてやろう」


 男はゆっくりと剣を振り上げる。


(オリビア姉さま、ごめんなさい。どうやら私はここまでのようです……)


 エリスは静かに目を閉じる。だが、いつまでたっても衝撃が襲ってこない。不信に感じて薄らと目を開けると、そこには男の剣を軽々と押さえつけている銀髪の少女がひとり。


「オ、オリビアお姉さまっ!!」 

「ゴメンね。遅くなっちゃって」


 たははと笑った後、「ん? オリビアお姉さま?」と小首を傾げるオリビア。エリスが多幸感に包まれていると、金髪の男が息を切らしながら駆け込んでくる。


「ふぅ。なんとか間に合って良かった。あんま無茶するなよ」

「チッ! 誰かと思えばエヴァンシンか。お前に私の幸福を阻害する権利など与えた覚えはないぞ」

「姉貴、頼むから今その病気を出すのは止めてくれ」


 エヴァンシンが大きな溜息を吐く中、男がくつくつと笑う。


「なるほど。貴様が本物の死神オリビアか。確かに偽物と比べるのがおこがましいほど纏っている空気感が違う」

「そう? ──エヴァンシン、エリスを見ててくれる?」

「はっ!」

「ちょうどいい。ここで出会ったのもなにかの運命だろう。ラプター家の誇りにかけて、俺がこの場で屠ってくれる」


 そう言うと、男はエリスに繰り出した以上の剣撃をオリビアに向けて浴びせ始めるが──


(やっぱりオリビアお姉さまはすごい!)


 間近で剣を振るうオリビアを見たエリスは、太ももの痛みを忘れるくらい魅入っていた。あれほどエリスが苦労しながら捌いていた重い一撃をオリビアは片腕一本で軽々といなしている。自分と戦っていたときは全く息を乱していなかった男が、今では大粒の汗をこぼしながら肩で息をしていた。

 どれだけの研鑽を積めばこの領域にまでたどり着けるのか。エリスには全く想像もつかなかった。


「それにしても随分と軽い剣だね。エリスの治療もしなきゃいけないから、そろそろ殺してもいいかな?」


 女の剣は総じて軽いとのたまった男が、今では同じ女であるオリビアに軽い剣だと突きつけられている。これほど痛快なことがあるだろうか。エリスは大声で笑いたい衝動を必死に抑えた。


「言わせておけばッ!!」


 男は激高しながら剣を振り上げる。対してオリビアは血のりを払い、素早く剣を鞘に納めてしまった。そのまま向き直ると、エリスの前にしゃがみ込む。


「オリビアお姉さま?!」

「オリビア少佐?!」

「大丈夫だよ。もう斬ったから」


 そう言いながら、オリビアは腰の鞄から血止めと包帯を取り出している。すると、まるでその言葉が合図だったかのように男の体が左右に分かれていった。エリスもエヴァンシンも次の言葉が出てこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る