第五十八幕 ~闇夜を抜けて~
独立騎兵連隊は、徹底した各個撃破を行っていた。王国北部の地方領主たちが帝国に寝返ったとはいえ、民衆の反感がなくなったわけではない。どこかで火の手が上がれば、一気に波及する恐れがある。ローゼンマリーは不測の事態に対応するため、制圧当初より部隊を広範囲に渡って展開させていた。
今回の作戦は、まさにそこを突いたものだった。一挙に北半分を制圧下に置いてしまったため、兵力分散の愚を知らず犯すことになっていたのだ。夜襲を続けた独立騎兵連隊は、すでに十五の中隊を壊滅。そして、三つの小規模な砦を潰している。
結局のところ、王国を裏切った領主たちは意図せず第七軍に有利な状況を作り出していたのである。
その計画を立案したアシュトンはというと、オリビアやクラウディアと焚き火を囲みながら遅めの夕食を摂っていた。
「ここまではアシュトンの計画通り、順調だな」
クラウディアが鳥肉を片手に、地面に広げられた地図にバツ印をつけていく。
「とりあえずは、といったところですが」
情報収集の結果、北方軍の総兵力は七万を超えると判明した。対して、第七軍の総兵力は僅か二万八千にとどまる。各個撃破によりその数を六万にまで討ち減らしたが、それでも二倍以上の兵力差。まともに戦っては勝ち目などない。
「だが、敵も馬鹿ではあるまい。兵力分散の愚にとっくに気づいているはずだ。ここで一挙に部隊を集結されたら厄介だぞ」
「クラウディア中尉の言う通りです。なので、各個撃破はこれで終わらせたいと思います」
「ん? 言っている意味がわからんのだが。集結する前に少しでも数を減らしておくべきではないのか?」
再び地図に目を落とすと、眉を顰めるクラウディア。
「すみません。言葉が足りなかったですね。正確に言うと、これ以上の各個撃破は必要ありません。これを読んで頂ければおわかりになるかと」
懐から手紙を取り出し、クラウディアに手渡す。アシュトンが独自に組織している諜報部隊から送られてきた手紙だ。
「ん、見せてもらおう」
クラウディアが手紙を広げる。内容は独立騎兵連隊の活躍によって、民衆たちの間に反帝国感情が高まっているというもの。さらに敵部隊に密偵を紛れ込ませ、民衆が反旗を翻すとの噂を流しているとも書かれていた。
「なるほど……これでは迂闊に部隊を呼び寄せることもできないか……もしかして、これが各個撃破の真の狙いだったのか?」
「その通りです。敵を減らすにも限界がありますから。幸い努力の甲斐あって、民衆たちに反帝国感情の気運が高まっています。そこに反旗を翻すという帝国にとって無視できない噂。北部の北半分だけでも五十万人の民衆がいます。これで各地に展開している総勢三万の帝国兵は、下手に動くことができない。事実上、無力化したと言ってもいいでしょう」
「君は……恐ろしい男だな」
そう言いながら、クラウディアは畏怖を込めた目で見つめてきた。
「生き残るのに必死なだけですよ──ただ、これで兵力的にはほぼ同数。なんとか五分の戦いに持ち込めます」
敵の本隊。ウィンザム城に展開する紅の騎士団は総勢二万七千。口では五分と言ったが、内心ではかなり分が悪いとアシュトンは思っている。一度剣を交えただけに、彼らの強さは身に染みてわかっているつもりだ。
「ああ、ここまでは全てアシュトンのおかげだ。後は私たちに任せたまえ。武人としては、アシュトンはからっきしだからな」
「はは、おっしゃる通りです」
クラウディアの茶化すような言葉に、アシュトンは頬を掻く。時折オリビアに指導を受けているが、剣も槍も上達の兆しは欠片も見えない。ここ最近は妙に優しい声で「人間にはできることと、できないことがあるんだよ」と諭されている。
だが、それでいいと思っている。何事も適材適所。バランスが大事だ。別にくやしくはない。
「しかし……少佐は随分と気持ちよさそうに寝ているな」
クラウディアが幹にもたれかかるオリビアに目を向ける。余程疲れていたのか、鳥肉が半分食べかけのまま、手に握られている。さらには油まみれの口元から、ツーッと涎を垂らしている有様。その姿は死神と呼ばれ、帝国兵を震え上がらせているようにはとても見えなかった。
「ここ数日は連戦に次ぐ連戦でしたからね。正直、かなり無理をさせたと思います」
「まぁな……しかし、敵が少佐のことを死神と呼ぶのは本当に腹ただしい」
拳を握りしめながらそう吐き捨てるクラウディア。
「はぁ、そうですね」
アシュトンは適当に返事を返した。内心でまたその話を蒸し返すのかと思いながら。すると、クラウディアが恨みがましい目を向けてきた。
「はぁ、そうですね。ではない! 大体アシュトンがいけないのだぞ。鎧に紋章を刻印するから」
「いや……貴族は自分の鎧や盾に紋章を刻むじゃないですか。クラウディア中尉の鎧にも、ユング家の紋章が刻まれていますよね?」
「そ、それはそうだが……」
盾のフィールドに羽飾りをつけた兜の紋章に視線を向けると、クラウディアは隠すように身をよじる。たまに紋章の件を持ち出しては、こうして責め立ててくる。アシュトンが全ての元凶だと言わんばかりに。
どうにもオリビアが死神と呼ばれることに我慢ならないらしい。いくら理由を訊いてもはぐらかさられるので、何に対して憤っているのか今もって不明だ。
「確かにあの紋章は不気味です。けれど、それだけが死神と呼ばれる原因ではないと思うのですが……」
髑髏に交差する二挺の大鎌。確かに死神を連想しても不思議じゃない。だが、オリビアの所業そのものに原因があるとアシュトンは思っている。なにせ藁人形でも斬るかのように、帝国兵士をスパスパと斬殺していく。
おかげでここ最近は、両断された死体もすっかり見慣れてしまった。しかし、帝国軍にとってはそうではない。つまりは、そういうことだ。
「では、他の原因は一体何だと言うのだ?」
「いや……それは……そ、そもそもオリビアは嫌がっていませんよ」
「そう、それがよくわからんのだ。化け物と呼ばれるのはあんなに嫌がっていたのに」
オリビアは死神と呼ばれることを気にしていない。むしろ、気に入っているような素振りを見せる。それだけにクラウディアも声を大にして文句も言えず、鬱憤ばかりが溜まっていくのだろう。
今もやけくそに、小枝を焚き火に放り込んでいるのが良い証拠だ。その矛先が自分にも向くものだから、たまったものではない。
「ほら、あれじゃないですか。死神も一応神ですから。神様扱いされて喜んでいるとか?」
「んなわけあるかッ!! ──んんッ、し、失礼。少々言葉使いが乱暴だったな」
クラウディアは頬を微かに赤く染めながらコホンと咳払いをする。どうやら今の言葉遣いが恥ずかしかったらしい。
「へぇ。クラウディア中尉もそういう話しかたをするんですね」
「……なんでそこでニヤニヤ笑う?」
「いえ、ちょっと意外というか。上官に対して失礼ですけど、なんだかかわいいなと思って」
「か、かわいい?! う、うるさい! 余計なことは言うな!」
さらに頬を赤く染めたクラウディアは、頬を膨らませながら小枝をやたらめったらに投げつけてきた。
「アシュトンもクラウディアもうるさいよ」
いきなり声をかけられ振り向くと、いまだ眠りこけているオリビアの姿。どうやら単なる寝言のようだ。思わずクラウディアと顔を見合わせると、どちらともなく吹き出してしまう。
「まぁなんだ。これからが正念場だ。お互い気を引き締めていこう」
クラウディアが柔らかい笑みを浮かべながら手を差し伸べてくる。彼女の言う通り、これからが正念場だ。兵力は互角でも、敵は紅の騎士団。一瞬の油断も見せることは許されない。それでもこの二人と共に歩めば、どんな苦難でも立ち向かっていける。そんな気にさせてくれる。
「はい。これからもよろしくお願いします」
アシュトンは差し出された手を強く握りしめた。ふと空を見上げると、満天の星が輝いていた。
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