第三十二幕 ~軍師の誕生した日~

 敵総司令官オスヴァンヌ大将を見事討ち取り、ゲオルグ中将率いる鉄鋼騎突兵団を壊滅させた別働隊。新たな指令を受けたオリビアは、残敵を掃討しつつ西へと転身した。残敵の中にはミニッツを少将を謀殺したマルスの姿もあったが、オリビアがそれを知る由もない。


 現在別働隊はイリス平原を抜け、カスパー砦に続く高原地帯に足を踏み入れていた。そこでオットーが派遣した輜重しちょう隊と合流し、食料や傷薬の補給。さらには損耗した武器や鎧の修理及び交換などを行っていた。


「まさか奇襲に引き続き、カスパー砦攻略の先鋒を仰せつかるとは。これは大変名誉なことですよ」


 クラウディアはしゃがみ込むと、青空を見上げながら言った。きっと両親も誇らしげに思ってくれることだろう。得もいえぬ充足感が心の内を満たしていく。


「それが名誉なことなの? ……私には全然わからないなー。そんな名誉よりも、本とか美味しい食べ物を貰うほうが全然いいと思うけど」


 オリビアは草原に寝そべりながら眉根を顰める。すると、隣で食事の準備していたアシュトンが不満そうに口を開いた。


「それより、なんだか最近オリビアの食事係になっているような気がするんですけど?」

「えーだってアシュトン特製のマスタード? あれってすごく美味しいから、ついお願いしちゃうんだよね」


 オリビアが白い歯を見せながら答えると、アシュトンの手がピタリと止まる。


「ふ、ふうん。──まあ、ひとり分も二人分も手間は変わらないから別にいいけど」


 頬を緩ませながら黒パンに切れ目を入れるアシュトン。この青年はわかりやすい。きっと根が素直なのだろう。

 そう思いながら、クラウディアは人差し指を立てる。


「なあアシュトン。私にもひとつ作ってはくれないだろうか?」

「え!? もしかして、この間の差し入れを気に入ったのですか?」

「ああ、実に美味かった。そのマスタードは本当に素晴らしい。作り方を教わりたいくらいだ」

「そうだよね! クラウディアもそう思うよね!」


 仲間を見つけたとばかりにはしゃぐオリビアに、クラウディアは軽い笑みでもって返す。対してアシュトンは、怪訝な表情を浮かべていた。


「ん? なにか気に障るようなことを言ったか?」

「そうではありません……失礼ですが、クラウディア様は騎士ですよね?」

「確かに私は騎士の称号をもっているが、それがなにか関係あるのか?」


 騎士とは武勇に優れた者が与えられる称号。それが今の話とどう繋がるのかわからず、クラウディアは小首を傾げた。


「いえ、騎士様ならもっと美味しいものをいくらでも食べているかなと思いまして……」

「ああ、そういうことか。確かに平民に比べたら幾分か美味い物を食べる機会もあるだろう。だが、アシュトンのマスタードは、それらにもひけはとらないぞ?」

「へ、へえぇ。そうなんですか……すぐにお作りしますのでお待ちください」


 さらに頬を緩ませたアシュトンが、鞄からマスタードの入った瓶をいそいそと取り出す。さらには鼻歌を口ずさみ始めた。本当にこの青年はわかりやすい。


 手渡されたパンを頬張りながら、クラウディアはパウルから下された命令について考えていた。先鋒を任されたのはいいが、こちらの兵力は約二千二百。カスパー砦の兵力を五千と仮定すると、本来であれば攻め込む自体がありえない。普通砦を落とすには、最低でも三倍の兵力をもってあたるのが常道だ。


 ただ、今回別働隊に与えられた任務は、砦を攻め落とすことではない。間断ない攻撃を加え、敵の疲労を誘うことにある。要するに本隊が到着するまでの間、敵を弱体化させておけということだ。さすがに別働隊だけで砦を落とせるとは、パウルも思っていないだろう。


「オリビア少尉は、カスパー砦攻略に関してなにかお考えはありますか?」

「あふぁし? あふぁしふぁねぇ」

「飲み込め。それから話せ」


 アシュトンのつっこみに、オリビアはコクコクと頷く。


「──ふぅ。私はとくに考えていないよ。敵を視てから考えようと思っていたけど。クラウディアはなにか考えがあるの?」

「考えと言うか……先鋒の栄誉をいただいたとはいえ、我々の役目は本隊が到着するまでに敵を少しでも疲弊させることです。精々兵士の損耗をどのように抑えるか、ということくらいですかね」


 和やかな兵士たちの食事風景を眺めながら答えると、アシュトンが同意するように頷く。


「うーん。それってなんだか消極的だよねぇ……そうだ! いっそのこと私たちだけでカスパー砦を落としちゃおうか?」


 花が咲いたような笑顔で無茶なことを言いだすオリビア。さすがに冗談だと思いたいが、試に瞳の奥を覗くと冗談を言っている〝色〟は見えない。クラウディアは嘆息すると、オリビアを諌めるべく口を開く。


「それはさすがにオリビア少尉でも無理かと。攻城兵器などもありませんので」


 破城槌はじょうついでもあれば話は別だが、そうでない限り固く閉ざされた門を突破することはかなり難しい。仮に破城槌があったとしても、運用するにはこちらの兵数が若干心もとない。

 さらに言えば敵が黙って見ているわけもなく、様々な手を使い必ず妨害してくるだろう。それを考えれば、成功率は五分五分といったところだ。


「そうかなぁ。攻城兵器なんかなくても、やりようはいくらでもあると思うけど……アシュトンは私たちだけでカスパー砦を落とす案とかない?」

「ええっ!? 僕に話を振るの?」


 突然話を振られたアシュトンは、驚きながらも両腕を組み考えるような仕草をする。その姿にクラウディアは思わず苦笑した。

 いくらなんでも一介の兵士に尋ねるような内容ではない。


「うーん。僕が考えることくらいほかの人も考えると思うけど──」


 そう言って語られた内容は、後ろから頭をぶん殴られたくらい衝撃的なものだった。終始アシュトンの話を黙って訊いていたオリビアは、


「ね、アシュトンは軍師に向いているって言ったでしょう?」


 誇らしげに胸を逸らすと、満面の笑みで答えるのであった。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 ──カスパー砦


 カスパー砦の守備を任されていたブルーム大佐は、王国軍進軍の報を受けていた。


「その報告に訂正の余地はないのか?」

「間違いございません。何人もの監視兵が確認しています」


 全く揺らぎのない下士官の言葉に、ブルームは背中がじんわりと汗ばむのを感じる。その言葉の先にある、あってはならないことを思い浮かべて。


「敵の数は?」

「およそ二千程と訊いています」

「二千? ──おそらく前衛の部隊だろう。後続はどうなっている?」

「こ、後続ですか?」


 下士官の顔が青ざめる。


「早く答えんか」

「申し訳ありません。慌てていたらしいのでそこまでは……」


 次第に声が尻つぼみになっていく下士官。ブルームは怒りにまかせて執務机を激しく叩いた。


「馬鹿者ッ! そんな言い訳が通用すると思うのか! さっさと確認させろッ!」

「は、はっ! ただちに!」


 慌てて部屋を出る下士官を睨みつけながら、ブルームは執務机に置かれている呼び鈴を鳴らす。すぐに隣室の扉が静かに開かれ、副官ランチェスター少佐が姿を見せた。


「大佐、お呼びですか?」

「ああ、全兵士に王国軍の進軍を知らせろ。それと迎撃の準備もだ」


 ランチェスターは片眉を跳ね上げると、すぐに了解の意を示す。


「はっ、かしこまりました……しかし、我が南部方面軍がたった一週間ほどで敗北したのですか? にわかには信じられませんが」

「それはまだわからん。私もオスヴァンヌ閣下に限ってそれはないと信じたいが……」


 オスヴァンヌの配下には、精強なる鉄鋼騎突兵団もいる。ランチェスターの発言はもっとであり、ブルーム自身何の冗談かと問いたい。


「敵の数はどれほどですか?」

「今確認できているのは二千ほどだ」


 ランチェスターの双眸が細まる。


「二千ですか……すぐに準備を始めさせます」


 かかとをカツンと鳴らし踵を返すと、ランチェスターは足早に部屋を出ていった。



 その後もたらされた報告に、ブルームは困惑した。後続部隊の影はなく、最初に報告を受けた二千の兵のみだという。


(いったいどういうことだ? たかが二千の兵ごときでカスパー砦を落とせるなどと思っているのか? それともすでに王国軍は敗北し、生き残った部隊が玉砕覚悟で突っ込んできたのだろうか? ──ダメだ。情報が乏しすぎる)


 ──それから二時間後。


 カスパー砦守備軍と別働隊は会敵した。  


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