第十九幕 ~帰還~

 オリビア特務小隊がランブルク砦を奪還して、早くも二週間が経過していた。


 ガリア要塞では第一軍の受け入れに物資の搬入と、カスパー砦侵攻に向けて慌ただしく準備が進められていた。その一方、オリビアたち特務小隊は、相も変わらずランブルク砦で楽しい日々を送っていた。

 だが、駐屯兵が続々とランブルク砦に集結すると、追い出されるように砦を出発。ガリア要塞へと帰還した。


 そして、到着するや否やオットーからの出頭命令。場所は司令官室。オリビアは懐中時計とにらめっこしながら司令官室の扉をノックした。


「オリビア准尉、時間通りに到着しました」


 部屋の中から微かな笑い声が聞こえる中「入りたまえ」と訊き馴染んだ硬質な声。扉を開けると三人の男がソファーに座っていた。

 オリビアはひとりひとりに目を向ける。ニコニコと微笑むパウルに、しかめっ面のオットー。金髪の男に見覚えはない。口をパクパクさせているのは魚の真似だろうか。だとしたらあんまり上手くないとオリビアは思った。


「オリビア准尉、時間通りに到着しました」


 懐中時計をつき出すと「わかったから早く時計をしまえ」と睨むオットー。「嫌みか」とも言われた。どうやらお褒めの言葉はないようだ。大事な物なので丁寧にしまっていると、パウルは笑いながら隣に座るようソファーを軽く叩いてくる。

 オリビアは言われるがまま腰を下ろした。


「オリビア准尉。帰還して早々、呼びつけて悪かったな。この度の働き、誠にご苦労であった」

「はっ、ありがとうございます!」

「うむうむ。山賊に混じって凄腕の槍使いがいたという話だったが、問題なかったか?」


 パウルの言葉に、オリビアは僅かに首を傾げる。そんな人間に全く心当たりがない。忘れてしまったのだろうか。これでも記憶力は悪くないと思っている。今まで読んだ本の内容だって忘れていない。

 アシュトン曰く、呆れるくらいの記憶力らしい。それでも忘れたということは、大した相手でもなかったのだろう。大体一撃で死んでしまう人間ばかり。むしろ、覚えていろと言うほうが酷な話だ。


 もちろん楽しかったことは絶対に忘れない。仲良くなった新兵たちと一緒に狩りにいったり、川に入って魚を捕ったりしたことだ。アシュトンが溺れかけた時は大笑いした。助け出した後、物凄い勢いで文句を言われたのは意味がわからなかったけれど。


 ジャイルは元狩人だったらしく、弓を扱うのがとても上手かった。とくに鳥の羽をむしらしたら天下一品だ。そのことを伝えると「全て戦乙女のために仕込んだ技術です」と、片膝をつきながら言っていた。それは嘘だろうと思ったが、口には出さなかった。

 何だか下手に反論すると、よくないことが起こりそうだったから。そして、満天の星空を眺めながら焚き火を囲んでみんなと食べるご飯は本当に美味しかった。


「──戦いのことはよく覚えていません。みんな一撃で死んでしまうので」

「ははっ! そうかそうか。皆一撃で死んでしまうか。訊いたかオットー。オリビア准尉にとっては凄腕の槍使いも山賊も大差がないらしい」


 パウルは膝を叩きながら豪快に笑う。オットーは呆れたような顔で溜息を吐き、金髪の男は目を大きく見開いている。目玉がこぼれ落ちるのではないかと、オリビアは少しだけ心配した。


「おっと、話に夢中になってすっかり忘れるところだった。今日はオリビア准尉にこれを渡そうと思って呼んだのだ」


 そう言うと、パウルはテーブルに置かれていた白い箱を膝の上に乗せてきた。促されるまま蓋を開けると、目に飛び込んだのは色鮮やかなお菓子の詰め合わせ。甘い香りがオリビアの鼻をくすぐった。


「わあ! これケーキ、ケーキだよね! パウル中将ありがとう!!」

「ふふ。どうやら喜んでもらえたようだな」


 パウルが相好を崩す中、オリビアは早速ケーキのひとつに手を伸ばす。ほっぺたが落ちるくらい美味しいと、本に書いてあったことを不意に思い出した。オットーがなにか喚いているようだが、今はそんなことどうでもいい。本当にほっぺたが落ちたらどうしようと逡巡しながらも、我慢することはできない。その時はその時だと思い、一気に口の中に入れる。


(──甘い。そしてフアフアだ!)


 あまりの美味しさに自分のほっぺたが緩むのがわかる。慌ててほっぺたに触ったが、どうやら落ちることはなかった。これで安心してケーキを食べることができる。

 さらに別のケーキに手を伸ばすと、なぜか思い切り腕を掴まれた。目の前には顔を真っ赤にし、唇をわななかせるオットー。まるで絵本に出てくる〝赤鬼〟みたいだとオリビアは思った。


「オットー副官もケーキが食べたいのですか? でも、これはパウル中将が私にくれたものです。残念ながらオットー副官でもあげることはできません」

「いつ誰がケーキを寄越せと言った? 貴様、ここがどんな場所かわかっていて、ケーキをのんびり食っているのか?」


 オリビアは言っている意味がわからず小首を傾げる。部屋に入る前に《司令官室》とプレートが張り付けてあったのは確認済みだ。ここは間違いなく司令官室だろう。


「……もしかして、オットー副官は頭でも打たれたのですか?」

「何をわけのわからんことを言っている?」

「いえ、本で読んだのですが人間は頭を強く打つと記憶混濁が起きる場合があるそうです。ここは間違いなく司令官室です。早めに治療師と言う人間に診てもらったほうがよいのではないでしょうか?」

「き、貴様という奴はッ!」


 オットーはわなわなと体を震わせながら、右腕を上げたり下げたりしている。多分尋問室での経験から察するに、テーブルに拳を叩きつけたいのだろう。そんなオットーの姿を見て、オリビアは増々わけがわからなくなった。せっかく本で得た知識を教えてあげたのに、どうして怒るのか理解できない。

 人間が他の獣と一線を画すところは、知識欲があるからだとゼットは言っていた。喜びこそすれ、怒る理由などないはずだ。


 こんな時アシュトンがいれば、きっと素晴らしい進言をしてくれるに違いない。そう思いながら膝の上に置かれたケーキに視線を落とす。


(……やっぱりオットー副官はケーキが食べたいんだ。こんなに甘くて美味しいお菓子だもん。目の前で見せつけられたら誰だって食べたくなる)


 オットーには世話になっているし、銀色に輝く素敵な懐中時計もくれた。今後も色々な物を貰えるかもしれない。オリビアは決断すると、ケーキを掴みそっとオットーに差し出す。


「一個だけなら……」

「そうじゃないだろうッ!」


 言いながら、オットーは激しくテーブルを叩く。結局叩くんですねと言ったらさらに何度も叩いていた。そんなオットーの様子を、パウルは面白そうに眺めながら言った。


「わしらはこれから大事な話がある。オリビア准尉は自室でゆっくりとケーキを食べてきなさい」

「はっ、オリビア准尉。自室でゆっくりケーキを食べます!」


 オリビアは今までで一番気合いの入った敬礼をする。オットーが近くにいると、ゆっくりケーキが食べられない。だから、パウルの申し出は非常にありがたかった。即座に踵を返すと、足早に部屋を後にした。


 もちろん、大事なケーキの入った箱をしっかり抱えながら。


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