第十七幕 ~平和に満ちた日々~

「くそくそくそッ! どうしてだ! 何でいきなりこんなことになったッ!」


 男はわめき散らしながら、何度も何度も拳を地面に叩きつけた。先程まで轟いていた悲鳴や怒号は止み、自分の荒い呼吸音だけがやたら耳に響いてくる。


 ──王国軍の兵士が砦に向かって進軍している。

 この話を仲間から訊かされたとき、男は思わず小躍りしてしまった。ちょうど新しく入手した剣の試し斬りができると思ったからだ。

 しかも、蓋を開けてみれば前回襲撃してきた兵士たちとは全く違う。どいつもこいつも良い声で鳴いてくれそうな逸材ばかり。


「ちきしょう! 本当は今頃だったら……」


 男の脳裏に浮かぶのは、軟弱な王国軍の兵士を切り刻む雄々しい自分の姿。そして、死体の山を肴に仲間と酒を酌み交わす楽しげな自分の姿。

 今日もそうなるはずだった。それなのにどうして────


「──もう、鬼ごっこはおしまい?」


 少女は地面に広がった血だまりの中を、ピチャピチャと音を立てながらゆっくりと近づいてくる。血濡れた漆黒の剣から禍々しい黒い靄がたゆっている。


「ハァハァ、た、頼む! お、お願いだから見逃してくれ! いや、見逃してください!」


 男はあらん限りに声を張り上げて必死に命乞いをした。最早逃げる体力も底をつき、情けないことに木にもたれかかるように座り込んでいる始末。

 手に入れたばかりの剣はすでに叩き折られ、武器としての役割は果たせそうもない。むせ返るような血の臭いも、今の男には些末なことだった。


 周りを見渡せば、四十人もいた仲間たちはどこにもいない。正確には物言わぬむくろと成り果て、無残な姿で地面に転がっている。

 それを成したのは、死を具現化したような銀髪の少女。死神と言っても過言ではない。男は生まれて初めて、女神シトレシアに祈りを捧げた。


(お願いします! もう金を奪いません! 女も犯しません! 人殺しもやめます! ですからどうぞ、どうぞあの死神から我が身をお救いください!!)


 必死に祈る男の耳に、鈴の音のような少女の声が響いてくる。あたかも死神が奏でる旋律であるかのように。


「うーん。でも、ひとりだけ生き残っても寂しいでしょう?」

「決してそのようなことはございません! 死んだ仲間の分まで必死に生きていきたいと思います!!」

「えー。そんなこと言われても困るよー。オットー副官に山賊は皆殺しにしろって言われているし。それに──ほら、この人間も寂しいって言ってるよ」


 そう言うと、少女は地面に転がっている首を突き刺し、無造作に放り投げた。首は綺麗な放物線を描き、男の目の前にストンと落ちる。


「ひえっ!」


 それは親友だったデニスの首。死してなお恐怖を宿している目から、赤い液体がツーっと流れ出た。


「ひぃいぃい!?」

「ね、寂しいって泣いているでしょう? だから、ね」


 少女は男の前に立つと、張り付いた笑みを浮かべながらゆっくりと漆黒の剣を振り上げる。恐怖のあまり幻覚でも見たのか。

 男の目には、なぜか巨大な漆黒の鎌が振り上げられたように見えた────



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 奪還報告を伝令兵に託した後、オリビア特務小隊は次なる任務に移行していた。駐屯部隊が到着するまでの間、砦を守るという任務だ。

 とは言っても、それは形式上の話だけ。実際はやることなど何もない。山賊たちを皆殺しにした以上、最早襲われる心配はないのだから。

 それでもあえていうならば、獣が寄り付かないよう山賊の死体を土に埋めることくらい。無論オリビアは宣言通り、一切手伝おうとはしなかった。

   

 すぐに暇を持て余すことになったオリビアは、新兵たちを引き連れて朝から夕暮れまで狩りや魚とり。そして、合間に新兵たちの訓練を施すなどをして毎日をのんびりと過ごした。 

 それはつかの間の、平和に満ちた日々だった。



 今は満天の星空の下、新兵たちが焚き火を囲みながらオリビアの話に花を咲かせている。


「しかし、オリビア隊長の強さはちょっと異常だよな」

「ああ、俺もそう思った。一角獣を突き殺したのも凄かったけど、四十人もの山賊をひとりで皆殺しとか、普通ありえないだろ」

「確かにな。ガリア要塞の連中に話しても、きっと誰も信じないだろうなぁ」


 同感だと言わんばかりに、その場の新兵たちが全員頷く。


「それに比べて俺たちは……」

「よせよ! それは言わない約束だろ。惨めになるだけだ」


 新兵たちは一様に肩を落とす。オリビアが次々と山賊を殺していく中、加勢するどころか震えて見ていることしかできなかった。

 しかも、その内の何人かは、恐怖のあまり失禁するというおまけつき。だが、それを笑う者は誰もいない。

 一歩間違えれば、自分も同じことになっていたと自覚しているからだ。男としてあまりにも情けなさ過ぎる。

 それが新兵全員の一致した思いだった。


 誰も彼も顔を歪め口を閉ざす中、焚き火の爆ぜる音が闇夜に響く。あたかもそれが合図だと言わんばかりに、ひとりの新兵が悔しそうな表情で口を開いた。


「ああ、惨めだった。惨めだったよ。だからこそ今度はちゃんと戦えるようオリビア隊長に訓練をお願いしたんじゃないか」

「そ、そうだよな。これから戦えるようになればいいんだよな」


 別の新兵が覚悟を決めたかのように拳をグッと握りこむ。すると、さらに別の新兵から不安そうな声が上がる。


「けどよぉ、オリビア隊長の訓練は本当に役に立つのか?」

「あ、俺も正直そう思った。てっきり剣や槍の使い方を教えてくれると思っていたんだけど……」

「あの訓練に何の意味があるのか、僕には全く理解できないよ」


 一斉に困惑した表情を浮かべる新兵たち。

 オリビアの訓練は実に単純なものだった。二人一組のペアを作らせ、攻撃役と守備役に分ける。攻撃役はひたすら木剣で攻撃し、守備役はひたすら木盾で回避する。それを一定時間で交代しながら、延々と繰り返すだけ。

 ガリア要塞の訓練のように武器の扱い方を教えてくれるわけでもなく、藁人形に向かって槍や剣を振るったりもしない。実践的と言えば聞こえはいいが、やっていることは子供が英雄の真似事をしているのと大差がなかった。

   

「しかし、相手の動きをよく観察すること。だっけ? そんなことで強くなれるのかね。いや、別に疑うわけじゃないけど……なぁ?」


 見て、観て、視る。点は線に、線は円に。オリビアの言っていることが全く理解できず、新兵たちは大いに首を傾げたものだ。

 もう少しわかりやすい説明を求めると、とにかく相手の動きをよく視ることが大事なことだと教わった。


「まだ始めたばかりだから何とも言えないけど、強くなれそうなイメージは湧かないかな」

「でも信じるしかないんじゃないか? オリビア隊長が──俺たちの戦乙女がそう言うのなら」 


 新兵たちの視線が一斉に戦乙女に向く。その戦乙女──オリビアはというと、幸せそうに鳥の丸焼きを頬張っていた。

 その隣ではジャイルが鳥の羽を必死にむしっている。アシュトンは鳥の丸焼きに一生懸命何かを塗りこんでいた。 


「……そうだよな。俺たちはオリビア隊長に命を救われたんだ。しかも、教えを乞うていながら疑うなんて失礼な話だ」

「ああ、ほかの隊長だったら、俺たちは間違いなく死んでいたはずだ」

「だな──よし、我らの小隊長。そして、戦乙女に乾杯だ!」

「「「乾杯!!」」」 


 新兵たちは笑顔を浮かべながら一斉に杯を掲げた。

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