第八幕 ~少女はパンを食べたことがない~
──ガリア要塞 兵舎食堂
大勢の兵士たちで溢れかえる食堂の隅で、深い溜息を吐く青年がいた。
この青年の名はアシュトン・ゼーネフィルダ―。彼は王国内でも屈指の名門校に席を置き、成績も非常に優秀。将来性の高さから徴兵を免除されていた。だが、相次ぐ敗戦による結果、その特権も剥奪。あえなく前線に送られたという経歴の持ち主である。
「はあぁぁぁぁ……」
アシュトンは悲観にくれていた。絶望と言ってもいい。剣や槍などまともに握ったことがない自分にとって、ガリア要塞は最早墓場。自ら墓穴に片足を突っ込んでいる状態だ。どんなに訓練を重ねようが、いざ戦となったら簡単に命を落とす自信がある。
そんなアシュトンの隣で、いつのまにかパンを頬張る少女がいた。白い細面に清流のような澄んだ双眸。絶世という言葉がこれほど似合う少女をアシュトンは他に知らない。
少女はパンを食べ終えると、寂しそうに空いたトレイを見つめている。対してアシュトンのトレイには、まだ手をつけていないパンが残っていた。
(何だか物足りなさそうに見えるな。僕のパンをあげてもいいけど……いや、別に下心があるとかそういうわけじゃないけど──)
そうやってアシュトンが自分に言い訳をしていると、不意に少女と目が合う。
「──ッ」
「ん?」
「な、なあ、よかったら僕のパンも食べないか? べ、別にやましい気持ちがあるとかじゃなくてなんだか足りなそうだから。それにまだ口をつけてないから大丈夫だよ」
「いいの? どうもありがとう。あなた、とてもいい人間ね!」
(うわぁ、思わず声を──ん? いい人間?)
何となく少女の物言いに違和感を覚えたが、アシュトンは少女にパンを差し出した。白い歯を見せて少女はパンを受け取ると、そのまま口いっぱいに頬張る。
「ふぉのふぁんおいふぃよね」
「……このパン美味しいって言いたいの?」
少女は我が意を得たとばかりにコクコクと頷く。その姿を眺めながら、アシュトンは僅かに首を傾げる。
王都のパンと比べると、ここのパンは固くてボソボソだ。お世辞にも美味しいと言える代物ではない。王都以外で売られているパンと比べても、大分質が落ちる。
「美味しく食べている人に言うのも失礼だけど、ここのパンは正直あんまり美味くないぞ」
「ふぇっ!? そ、そうなの?」
驚愕に満ちた表情を浮かべる少女に、アシュトンは少しだけ優越感が湧きあがるのを感じる。
「ああ、王都のパンのほうが全然美味い。外はパリッとしていて、中はモッチモチだ。でも今は食料不足だから、美味いパンは中々手に入れにくいけど」
「へーそうなんだ。私、パンを初めて食べたけど、このパンも凄く美味しかったよ。本にも沢山出てきたしね。前から一度食べてみたかったんだ」
少女は半分以下に減ったパンを見つめながら言う。アシュトンは、思わず飲んでいた薄いスープを吹き出してしまった。向かい側に座っていた女兵士が、露骨に嫌そうな目で見つめてくる。慌てて謝罪しながらも、頭の中は少女の発言で一杯だ。
今時パンを食べたことがないなど、訊いたことがない。どんな辺境の地だろうと、街に行けばパンくらい普通に売っている。
どうせ冗談だろう。
すぐにそう思い、続きの言葉を待った。だが、少女はパンを咀嚼するばかりで、話を続ける素振りを全く見せない。ようやく本当のことらしいとアシュトンは悟った。
「……君、パンを初めて食べたって、一体どこからきたの?」
「えーとね。深い森の中にある冥界の門っていう神殿からだよ。知ってる?」
少女に聞かれて、アシュトンは記憶を探る。剣術はからっきしダメだが、これでも沢山の本を読んで膨大な知識を蓄えてきた自負はある。アシュトンは冥界の門、冥界の門と心の中で
だが、少女の言う〝冥界の門〟とやらは記憶になかった。
「──ごめん。ちょっと訊いたことないな」
「そっかー。まあ、私も住んでいたけれど、実はよく知らないんだよね」
あははと少女は屈託なく笑う。椅子から立ち上がると、綺麗に食べ終えたトレイを持ち上げた。
「パンご馳走様。あなたの名前を教えてくれる?」
「あ、ああ、ぼ、僕の名前はアシュトン」
突然名前を聴かれ、アシュトンはたどたどしく答える。
「アシュトンね。私はオリビア。また機会があったら会いましょう」
そう言うと、背中越しに手を振りながらオリビアは去って行った。割と背が高いなと思いながら腰まで届く銀髪を眺めていると、隣の椅子が引かれて乱暴に肩を叩かれた。振り向くと、軽薄な笑みを浮かべたボサボサ金髪頭の男。
アシュトンと同時期くらいに要塞にやってきたモーリスだ。
どうも話を聞く限り、彼も特権をはく奪されて〝墓場〟に送られてきた口らしい。しかもアシュトンと同様に、剣術はからっきしダメときている。訓練中は二人して上官に怒鳴られる常連だ。
「おいおいアシュトンさんよぉ。お前、今の女がどういう人か知っているのか?」
「何だよ。藪から棒に。モーリスこそ彼女を知っているのか?」
アシュトンが尋ねると、モーリスは待ってましたとばかりに大きく頷く。そして、周囲を警戒するかのように首を左右に動かすと、小声で話し始めた。
「これは極秘情報だから、他言無用だ。ちょっと前に帝国兵士の首を沢山袋に詰めて、手土産代わりにもってきた志願兵がいたって話、覚えているか?」
「何かと思えばそんな話かよ。しかも、それって単なる噂話だろ?」
何が〝極秘情報〟だと、アシュトンは鼻で笑う。だが、モーリスはニヤニヤとした笑みを浮かべながら首を横に振る。
「いや、それが本当の話なんだよ。そして、今お前が話をしていた女こそが、その噂の志願兵──オリビア准尉様だ」
「うえっ!? あの女の子……いや、あの方は准尉だったのか!?」
アシュトンが驚く横でモーリスは呆れたような視線を向けてきた。
「驚くのはそっちかよ。普通は……まぁいいか。確かに志願していきなり准尉は異例中の異例らしいからな」
「嘘じゃないんだな」
「嘘言って俺に何の得がある? それより、何かやたら楽しそうだったな。どんな話をしたのか聞かせてくれよ」
そう言いながら、気安く肩に手を回してくるモーリス。アシュトンは軽く手で払いながら、いつもだったらここまで会話は続かないと思った。
どうやらオリビア准尉のことが気になるらしい。
(まあ、確かにあの容姿なら気になるもの不思議じゃないな)
アシュトンは小さく溜息を吐くと仕方なく口を開く。
「別に楽しくないし、大した話もしてないよ。パンを初めて食べたとか、神殿に住んでいたとか。その程度の話を訊いただけだよ」
「神殿に住んでいた? ……ひょっとして聖イルミナス教会の……まさか〝魔法士〟なのか!?」
モーリスは驚いた表情で尋ねてくる。聖イルミナス教会は女神シトレシアを崇める一大宗教であり、大陸中に熱烈な信徒を多数抱えていた。その中でも神殿に住む者は、魔法士と呼ばれ畏怖されているらしい。何でも太古の昔に滅び去った〝魔法〟を扱うという話だ。
聖イルミナス教会が発行する〝白の書〟によると、女神シトレシアは強大な魔法を行使し、デュベディリカ大陸を創造したと書かれている。
(馬鹿馬鹿しい。おとぎ話じゃあるまいし、魔法なんてあるわけないじゃないか。どうせ教会がでっち上げた作り話だ。モーリスが そんな眉唾な存在を信じているなんて意外だな)
まるで矢を射るようなモーリスの視線に辟易しつつ、アシュトンは答える。
「いや、冥界の門っていう神殿らしい。僕も初めて訊いたくらいだから、教会は関係ないと思うな」
「本当か?」
「いや、本当かって訊かれても……でも、僕の記憶にないし、そうだとしか言えないよ」
「……ふーん。教会とは関係ないのか。まぁ、確かにあんまり面白い話じゃなかったな」
じゃあなと軽く手を挙げて、モーリスはさっさと食堂を出て行った。どうやら教会とは無関係だと知って興味を失くしたらしい。
(もしかして、モーリスは教会の信者なのか? ……まぁ、別にどうでもいいけど)
アシュトンは深い溜息を吐くと、残った薄いスープを無理矢理飲み干した。
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