第84話:「対立」から別の関係への推移あれこれ その3

 もう一つ別の例を挙げると、歴史学者の網野善彦に「古文書返却の旅」(中公新書)という本がある。タイトルの通り、日本の各地の村から研究のために借りていた古文書が長い間ずっと借りっ放しになっており、数十年後になってから返しに行った記録である。


 「貸す側‐借りる側」はもともと対照的な関係だが、借りっ放しで数十年となるとほとんど泥棒に近い。そうなると「被害者‐加害者」の関係になってくる。これは明らかに対立している関係である。


 ところが、非難されるのを覚悟して返却の旅に出てみると不思議なことに、全国各地で歓待を受けたのだという。「わざわざ返しに来てくれたのはあなただけ」という訳で、かえって恐縮するという流れが多い。


 このように、過去の過ちを詫びて、清算するための旅という構成の物語は、創作としても面白くなりそうに思える。


 と考えつつ読んでいたら本書の最後で映画「舞踏会の手帖」への言及があった。これは中年を過ぎた女主人公が、当時の手帖を頼りにかつての舞踏会で会った男性たちを探し出して再会する話だという。


 全体的に淋しい映画らしいが、自分の旅はその反対で楽しく喜ばしいものであったというので、興味を持たれた方は比較してみてはどうか。



 もう一つ例を挙げると、ゴダールの映画にはECMレーベルが全作品を貸与している(「何を引用してもよい」という許可を出している)そうである。


 これも古文書の借用と似ていて「引用する側-される側」という関係は「盗む側-盗まれる側」「加害者-被害者」「著作権を持っている側-無断盗用する側」といった対立関係として理解されるケースが多い。


 しかしゴダールとECMレーベルの関係はそのような図式を逆転、あるいは無化してしまう。むしろ「たぶん引用されたほうもうれしくて、権利侵害で訴えるとかどうでもよくなっちゃうのかもしれませんね」とあるミュージシャンが言っているほどである。



 さて、あれこれ見てきたように、対立とは必ずしも勝負や対決を経て、勝敗や所有、支配によって終わるものではなく、別の形へと流れてゆくケースが多々ある。


 むしろ、最初からこのような対立の「解消」「変化」「推移」「無化」「融和」「逆転」を目的とした人物や筋書きがあっても不思議ではない。


 また、勝負や争いの途中で、上記のような変容が訪れても何ら不思議はないので、旧来の型に沿ったフィクションを構想し、執筆する際にも、何らかの示唆を与えるのではないだろうか。

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