第38話:創作における「筋肉」その2

 前回の「筋力」とは違って、今回は本当に体についている筋肉や筋力(および体力)の方の話である。

 自分は中学の頃から発想法に興味があって、星新一ほか今でも目につけばあれこれ読んでいる。


 発想や創作に関する発言で、ずっと前から深く印象に残っている星新一の言葉があって、それは以下のようなもの(本が手元に無いので、検索してコピペした)である。


 ↓


 発想とは気力である。気力の続く限り考え抜くしか方法はない。そしてその気力とは体力なのだ。


 ↑


 この冒頭の「発想とは気力である。」における「気力」とは、「執念」とか「集中力」と置き換えても通るだろう。ごくごく常識的な指摘である。


 しかし「気力=体力」とは、なかなか指摘する人の少ない要素ではないだろうか。


 少なくとも、ごく素朴な、

「ああいった作品のアイディアは、どんな風に発想するのですか?」

 という疑問に対して「体力」の有無を重要視しつつ答える人はあまりいない。


「発想」に限らず大抵の場合、小説を書くために必要なのは「才能」や「気力」「モチベーション」などと考えられている節がある。それはカクヨム内にも多数ある創作論を読んでも理解できるもので、他にも「金銭欲」「物欲」、あるいは「有名になりたい」「賞賛されたい」「認められたい」といった承認欲求をエンジンにするケースもかなりある。有形無形の欲しい物を得るための創作である。


 しかし、そのようなご褒美、成果、戦果、結果を求める気持ちを高めたり、創作のための手軽な「方法」「やり方」「テクニック」を模索しても、書けないという人がほとんどである。もしかすると、その根本的な原因はそれこそ「体力」にあるのかも知れないという気はかなりする。


 気が乗らない、アイディアが浮かばない、思いつくけどストーリーがまとまらない、時間がない、書く内容はあるのに書き出せない、結末をつけられない、モチベーションが湧かない、スランプに陥って抜け出せない、集中力が乏しい、などなどの泣き言や悩みの大元はつまり、あなたの「体力がないから」ではないのか?


 ……と問われて「体力ならありまっせー!!」と元気よく応えられる作家志望者がどのくらいいるだろうか。ほとんどいない気がする。


 体力については、そもそもあまり話題にならないし、問題としても意識されていないようだが、星新一以外では村上春樹も似た主張をしている。長編小説を書き続けるためには、また作家として長年やっていくためには健康、規則正しい生活、体力づくりが重要だと前々からエッセーその他で発言しており、マラソンについて書いた本もある(「走ることについて語るときに僕の語ること」)。


 また、ツイッターに「Testosterone」という人がいて、筋トレをすれば仕事もプライベートもうまく行く、と主張しており、著書も数冊ある。この人の「筋トレ=すべてが良くなる」という理屈が全てを解決するとまでは言わないが、一般的な創作論に体力の問題が少しも出てこないというのは、やや片手落ちである。


 もちろん、繊細な感受性や詳細な心理描写から成り立っている小説のために、わざわざ筋肉をムキムキにする必要はないと思うし、星新一だってボディビルダーのような体はしていない。たぶん散歩程度の運動がせいぜいだったろう。


 我々はせめて、星新一や村上春樹の才能や作品をうらやむ前に、歩いたり走ったり、あるいは毎日のように腕立て伏せやジョギングくらいはしてもいい筈である。泣き言を言うのはその後でも決して遅くない。

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