第24話:理想として思い描く小説

 自分は原稿用紙で1枚程度の掌編から、長くてせいぜい20枚ほどの短編を書いている。


 何作か書いているうちに「こういう小説を書きたい」と何度も想起する、お手本のような短編が次第に絞られてきた。

 これらの小説は、読み手として好きなだけではなく、書き手として好きなので、単に「好きな小説は?」と訊かれた時に答える小説とは微妙に異なる。

 たとえば、大岡昇平の「俘虜記」や幸田文の「父」「流れる」は、読み手としては好きだが、「こういう小説を書きたい」と思うお手本になるかといえば、ちょっと違う。


 今回は書き手として理想のお手本として考えている作品をいくつか挙げてみたい。いずれも奇想やバカバカしさを含んでいる短編か掌編である。


 まずラファティの「七日間の恐怖」。

 幼い子供が、その辺にあるボール紙や空き缶やら何やらで「物体消失機」を作ってしまうという話で、語り口がとぼけていて面白い。最後のひとことも理想的なレベルで洒落ている。おそらく最初に読んだラファティの短編がこれで「カミロイ人の初等教育」ほかと通じるところがある。



 カルヴィーノの「ただ一点に」。これは「レ・コスミコミケ」の中の一作で、ビッグバン以前の宇宙はたんなる点にすぎず、その点の中で子供の頃を過ごしたという回想である。メチャクチャな話だが、ハートウォーミングでいい話で、すっとぼけている。



 浅倉久志が紹介していたユーモア・スケッチの傑作集が何冊かあって、スティーヴン・リーコックの「ABC物語」という短編が忘れられない。これは数学の文章問題に出てくる人物A、B、Cの生涯に関する話で、今となってはこういう視点の小説は珍しくない。

 先日「カクヨム」でも同じようなアイディアの掌編を見かけたが、本作には数学用語を使ったナンセンスな描写がいくつもあった。「葬儀に来た循環小数が長蛇の列をなした」とか「看護婦がかっこを外す時に、うっかりして符号をマイナスにしたせいで死んだ」とか。



 筒井康隆のショートショートで、「到着」「きつね」「急流」など。いずれも昔から好きで、面白くて、誰もが真似したくなるのにそう簡単に真似ができない、という点で抜きん出ている。


  

 倉橋由美子の「大人のための残酷童話」。倉橋由美子は短編も長編もショートショート的な作品もどれも良い。とりわけ「~残酷童話」の各編は文章と構成の良さが際立っている。



 天才バカボンの、手だけの後輩の話。後輩の家に行くと、ふすまの向こうから手だけを出して「こんにちは!」とかいって出迎えてくれるのだが、全身を見せてくれない。どう頑張っても顔や胴体は見せてくれないというエピソードで、最後の落ちも奇妙で印象深い。




 こうして何作か書いてみると、全体的にきちんとした落ちのある話が多い。

 自分としては、短くて落ちのない話ならいつでも書けるのだし、技術的に「落ちのある話」を書ける力を練習して、できればマスターしたいという願望がある。

 今のところマスターしきれてはいないが、まあまあ、少しは書けたかなといった段階である。


 落ちがなくても好きな作品としては小川洋子の「原稿用紙零枚日記」がある。この中に、意味もなく運動会を見学するのが好きだという回があって、自分の家族や子供が出場している訳でもない、自分の母校でもない、何の関係もない近所の小学校の運動会を見学するだけの話である。このエピソード以外もそこそこ面白いのだが、どういう訳かこのエピソードは自分の中では地味で小さな名作として輝いている。これはまた機会を改めて触れたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る