第118話

 学園内の大聖堂は一般人も使う程大きい。

 キンダリー先生がいるのは、大聖堂の回廊を抜けて実際には隣の建物になる。

 さすがに人がいない大聖堂はガランとしていて寂しい。

 でも、回廊には神話の物語をモチーフとしたステンドグラスが飾られていて、太陽の光彩が降り注ぎ壮麗な建築物に暖かさと神秘さを増している。


 この国は識字率が高いが、文字が読めない者にも神話の話はこうやって見て聞くことで厳かに伝えられるのだろう。前世でもゴシック建築の大聖堂は『建築化された巨大な聖書』とも言われていたから。

 ステンドグラスの中にヘルの姿があったが腰の曲がった醜い婆の姿だ。美女という噂もあるが、こちらでは婆なのだろうか。


「ヘルが気になるのか?」

「ロキの娘なら美女じゃないのかなと思って。ロキって確かすごい美男子だったのよね」

「そうだな。でもロキはフェンリルや大蛇ヨルムンガンドの親でもあるし、どうだろうな」

「そういえば、他のフェンリルを見て思ったのだけどフェンは断トツで奇麗よね」

 

 私たちはそんな話をしながら長い回廊を抜けて扉続きの建物へと進む。

 待ち合わせの部屋は、すぐ近くにあり、尖塔アーチの扉は開いていた。

 中にはなぜか騎士たち三名の姿もあり、少し戸惑う。だが、少々ヨレヨレの白衣をまとったキンダリー先生の姿をその奥に見掛け、笑顔になった。


「お待たせしました。キンダリー先生」

「シャインさん。クレトさんもご一緒でしたか。帰省前にすみませんね。合体した魔物に直接遭遇して、その合体を分離させたのがシャインさんだったので、お呼びしてしまいました。彼も挨拶したいということでしたし」

「いえ、私たちで分かることでしたら何なりとどうぞ」


 私は騎士たちにもカーテシーで礼をとり、答えた。先に騎士たちへ紹介され、その後彼らを紹介してくれる。魔物の調査をされている騎士団の方々だった。その中に一人知った顔がある。名前を聞いて去年会った騎士だと思い出した。向こうも覚えていたようで、笑顔を向けてくれる。あまりいい印象はなかった騎士だけどそれでも見知った人がいるのは嬉しい。挨拶したいと言ったのは、その騎士らしい。


「そして――これがあるところから見つかったという薬品です」


 キンダリー先生の続く言葉に薬品に目がいく。透明な瓶に入ったその液体は魔物の血を思わせる色をしていた。

 クレトが問う。


「キンダリー先生が実験で作られたのではないのですか?」

「ん? あぁ、いや違いますよ。先ほど昆虫を捕まえて実験したのですが、失敗しました。実際にはまだ本当に合体できるかは私は知らないのです。何しろ魔物用ということですし、この薬品が怪しそうだというだけでまだはっきりしてないのです。先に合体が本当に可能か実験したいと思ったのです」


 かけてもダメで、飲ませたら死んでしまったという。実験に関して熱く語ろうとするのを騎士が制して、私たちに尋ねる。合体していた魔物について私たちが見たことを説明したが、報告で聞いていたことしかないらしい。


「なぜキンダリー先生へ薬品を持ち込まれたのですか?」

「キンダリー先生の師匠にあたる方にお願いしたのですが、老齢なこともあり断念され彼を紹介してくれたのです」


 クレトの質問に騎士が明朗に答える。だが、クレトは納得はしてないのか続けた。


「学園では成分などを調べるには施設的にも不都合が多いと思うのですが……」

「もちろん、設備の整った施設はありますから、学園が冬休みになる今日こちらに迎えに来たのですよ。まさかこんなにキンダリー先生が喜ばれ、先に実験をされるとは思わなかったのですがね」


 苦笑して答える騎士に、先生は先に実験してもいいと言われたのにとブツブツ呟いていた。 

 学園内に魔物を持ち込むわけにはいかないと、学園の外に三体の弱い魔物を持ってきているらしく、それへの実験を一緒にしないかと誘われた。私なら確実に元に分解できるだろうということで。

 クレトは辞退したが、私は見てみたい。

 それに私が役立てるなら一緒に行ってみたい。護衛も一緒だし、知り合いの騎士もいることで、実験だけと約束をしてクレトが渋々承知してくれた。


 大聖堂の外へ行きながら顔見知りの騎士コンラドが声をかけてくる。


「ロレンツォのことは聞かないのですね」

「え? あ、はい。その後、彼のご家族にはお世話になっていますので、その方からロレンツォさまのことはお元気だと伺っております」


 彼はローサ夫人の子息ロレンツォを神経毒から解放したときに、一緒にいた騎士で、ロレンツォに辛辣な言葉を投げかけていた。だから、顔見知りとはいえ、少し警戒はする。

 私はロレンツォの母が侍女をしている事を、ロレンツォがコンラドに話をしていないのなら、言わないほうがいいだろうと考え、曖昧に答えた。侍女は女性にとってはいい職業ではあるのだけど、仕事に出ていることをとやかく言う人はいるから。

 確かコンラドはロレンツォのことを貧乏貴族と、マルガリータのこともお転婆と言っていたなと思い出していた。……うん、そうだった。彼はロレンツォと同じ職場の人ではあるけれど、知り合いになりたい人ではなかった。


 大聖堂のほうではなくて、建物の横から出るとほろ馬車のような大きめの馬車が停まっている。騎士なのに、召喚獣ではないのかと思ったのが顔に出ていたのか、説明された。


「魔物を小さいとはいえ、三体乗せていましたし、学園に入るには一度確認をもらわないといけませんから、馬車のほうが都合が良かったのですよ。中は暖かいですよ。さ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 手を出されてエスコートしてもらい、中に入る。召喚獣に乗るのは、風などの抵抗はあまり受けないし、快適だけど寒さがなくなるわけではない。馬車も使うんだなと当たり前のことを思いながら、置いてきた馬車の御者に連絡を入れる。

 屋敷まで送ってくれるというし、護衛も召喚獣はいる。先に帰るように伝えて通話を終える。


「収納カバンをお持ちなのですね」


 タブレットを収納カバンに入れ、コートの内ポケットにしまう姿を見て騎士に言われる。収納カバンがあるから、タブレットも剣なども入れて、折りたたんでポケットにしまえる。重さも感じなくていいし、重宝している。もっと早く欲しかったと思うくらいには。


 お茶を飲むかと聞かれたが、それはさすがに断わる。キンダリー先生だけは実験で興奮していたからか、水筒に入ったお茶をもらってごくごく飲んでいた。

 揺れが一度止まり、学園を出るのだと分かったが、この馬車の造りなのか外の声が聞こえにくい。

 窓も寒いですからと閉められていて、暖かい温度と軽い揺れが眠気を誘う。すでにキンダリー先生はうとうとしているし。すぐ外にあるとのことだったけれど、学園が大きいからだろうか、馬車は停止することなく走っている。

 頭がぼぉとし始めたころ、馬車が停まった。騎士が降り、その後に護衛が続く。何か話をしているようだなと思うところへ、隣にいたコンラドから話しかけられる。


「これをお守り代わりに付けていてくださいね」


 そういって、手首にバングルのようなものをカチッとはめられた。

 一瞬嫌な気持ちになるも、隣でもクレトが同じように何か言う間もなくバングルをさせられていた。バングルというより手錠のようだ。


「これはどういうことだ!」


 大きな声を出すクレトに、びっくりしてぼぉっとしていた眠気が吹き飛んだ。

 そんなクレトにコンラドともう一人の騎士が二人掛で後ろ手に縛り付ける。

 私は、急ぎ騎士を止めようと動くが、コンラドから短剣を喉元に突き付けられた。


「動かないほうがいいですよ。殺してもいいと言われていますから、遠慮しませんよ」

「なぜですか!?」


 彼らは答えずに私たちを拘束し、収納カバンを取り上げる。

 外も騒がしいが、どうやら護衛も御者と騎士に捕まっているようだ。

 キンダリー先生がこの騒ぎにも目を覚まさないのは、隣にある水筒の中身のせいだろうくらいは気づく。私も後ろ手にバングルの片方と繋げられてしまった。バングルというより、手錠のようだと思ったのは当たりだったみたいだ。それも魔力が使えなくなる手錠……。もちろん、すぐにキンダリー先生も前で組まれて手錠をかけられている。眠っているけど。

 騎士だけが乗り込んできて、馬車が出発した。嫌な汗が出る。


「ご、護衛は?」

「小屋に入れてきた。この寒さでは明日まで持たないかもしれないがな」


 騎士は私の問いに答えるというより、他の騎士に言っている。


「おい、殺して転がしておいたほうが獣に食べられて跡が残らないだろう」

「いや、数日後に燃やしたほうがいい。万が一、誰かに見つかったら面倒だ」


 物騒なやり取りに、顔が引き攣るが、怒りも湧く。


「なぜ私たちを? まさか私のためにキンダリー先生まで巻き込んだのですか?」

「俺たちは指示に従っているだけだ。あまりうるさいと喉を切るぞ」


 すぐに口を噤んだ。喉を切られるなんて、痛いじゃないか!

 襲撃されたことを思うと私のせいでクレトとキンダリー先生は巻き込まれたのではないかと思う。だが、コンラドの言葉で違うことを知る。


「猿ぐつわもありますけどね。どっちかって言うと彼のせいで君まで巻き込まれたんですよ。まぁ、でも要らないのには変わりないですね」

「コンラドは口が軽すぎだ。余計なことは話すなと言われているだろう。顔見知りでなければ連れてこないはずだったのに」


 すぐに隣の騎士からコンラドは怒られている。どうやら私は余計だけど、私がいることでコンラドが駆り出されたらしい。それにしても、騎士がなぜ?


「先輩、いいじゃないですか。どうせすぐ死ぬんだ。俺たちが頑張っているのに、いつも邪魔をしていたのは、どっちかっていうとこのシャインだと聞くし。それにしても、学園で殺したほうがキンダリーに罪を擦り付けやすいし、楽で良かったと思うんですけどね」

「俺たちが判断することじゃない。いいから黙れ」


 それ以上は何も話そうとしない騎士たちを見ながら、巻き込まれたのはキンダリーと護衛かと申し訳なく思う。それにしても、クレトが狙われたなんて。

 私はクレトを見る。捕まった時から私に向ける申し訳なさそうなその表情の意味を知り、私はクレトに微笑んで見せた。私が実験を見たいとクレトにお願いして、渋々承知してもらったのだ。

 うかつなのは私。

 こうして捕まったからこそ思うけれど、実験のために魔物を用意しているなんておかしいと思うべきだった。キンダリーの師匠が云々も本当かも分からない。ただ、コンラドが騎士だったのは本当だし、他の騎士も先輩と言われていることから騎士ではあるとは思う。


 大丈夫。逃げ出して見せる。

 魔力が全然使えない状態だけど、私はおとなしいふりをしながら、前でかけられた手錠の造りをさりげなく観察していた。少しでも魔力が使えたらニーズを召喚しようと。

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