#02 破邪の水晶
騙したな! また、僕を騙したな!
これだから三次元に存在する女は信用ならないんだ!
危ない、危ない……。
あとちょっとで一四〇連を使ってようやく手に入れたSSRのピックアップヒロインを裏切ってしまうところだった。
ここは冷静にやんわりと断りを伝えなければならない。心変わりがバレないようにさり気なくだ。
「あのですね……。もし、転生を希望せずにこのまま昇天を選んだとしたら一体、どうなるんでしょうか?」
馬鹿だろ、おれ。
二の足を踏んでいるのがバレバレの質問を受けて、天使がそっと腕を離した。
やおら難しい表情を作り、今度はこちら向かって正対する。
真正面から放たれるまなざしは
好きな人には、これはこれでたまらない。
「えーとですね。天界の掟にしたがえば、死後の魂は『
性に厳しすぎないか、神様?
まあよかろう。幸か不幸かおれは生まれて死ぬまで十数年、ついぞ異性との間に正しい交際も不純なまぐわいも経験する機会がないまま、天界の門をくぐった。
ある意味、ピュアな魂を保った状態でここにやってきているのだ。
恐れるものは何もない。
「よろしければ一度、お客様の魂を診断をさせていただけませんでしょうか? この
サッと取り出したメガネのような鑑定器を顔にかける天使。
一層、クールな立ち姿に思わず見とれる。
やべえ、美女にも美少女にもなれるとかレベルたけえな。
「なるほど……。よくわかりました」
レンズ状の水晶がはめられた黒いフレームを片手ではずす。
動作に合わせて艷やかな髪が空に舞う。
見惚れてしまいそうな美しさにおもわず放心していると天使は一度、閉ざしたまぶたを静かに開き、おれに向かって開口一番こう語った。
「笛、盗もうとしましたね……」
な、な、ななななな、何を言うだ、この女!
幼き日の青春のあやまちを無造作にえぐり出す悪魔の所業。
いつの間にか膝が震えていた。
「い、いいいいい、一体、なんの証拠があって……。ぬ、濡れ衣だ! そもそも未遂の行為は特別な罪状でなければ刑事罰に問えない! じょ、常識だよ!」
早鐘のように鼓動を打つ心臓を片手で抑えながら懸命に抗弁を試みる。
自白に等しいおれの言い訳を天使が醒めた目つきで聞いていた。
違う、おれはあの時、何もしていない。廊下から近づいてくる足音に気がついて、慌てて逃げ出したのだ。つまりは無罪。
「ええ。そんなに驚かれなくても大丈夫ですよ。何より、あの時点でリコーダーのヘッドはあなたのうしろの席の塚田さんが先に交換済みです、残念でした」
いや、塚田さんて女の子だぞ……。
ん、まあいいか。とおに過ぎたことだ。
「ならば、おれの魂には一片の穢れもないことが証明されたんだな。ああ、よかった……」
「――見ましたよね、着替え」
安堵したのもつかの間。
再度、封印したはずの古き罪状を美しき天使が
「あ、あれは、偶然居合わせた実験棟の二階から、開いていた準備室の窓が見えただけだ! その中で女子が着替えをしていたことすら知らなかった。故意じゃない、偶然だ!」
そうだ、あんなものはよくあるラッキースケベのひとつだろ。
青春の甘酸っぱい思い出だ。
「はあ、そうですか……。つまりは知った上で事前の工作を
相手の声には一切の容赦がない。まさしく断罪の天使。
鋭利な輝きを宿す瞳がおれの心に隠された
「夏の午後、わざとらしく部屋のカーテンを引いて、照明を落とした暗がりの中。となりの家の女子大生のお姉さんの生着替えを脳裏に焼き付けようとしていたのは罪ですか? あるいは変態ゆえの病魔による発作ですか?」
いやあああああああああああっ!
許してえええええええええっ! もう、許してええええええええっ!
「――するから……」
とっくの昔におれは泣き出していた。
涙と鼻水で顔をグシャグシャにして、それでも許しを乞うように情けない声を絞り出す。
「え? どうかいたしましたか、お客様?」
こちらの意思を無視するかのように天使はあらたまって様子をうかがう。
「お、お願いです。転生を希望しますから、もう勘弁してください……」
膝を落とし、両手で頭を抱えながら必死になって
これ以上、
もういい、もういいんだ。
虚しい記憶や悲しい思い出しか残っていない前世などすべて投げ打ち、あらたなる生に未来を託す。
みんなそうやって転生しているじゃないか。
これは
みずからに言い聞かせ、おれは示された箇所にあっさりと署名をした。
「――はい。では、確かに転生希望エントリーシートを
天使様はふたたび慈悲深いやさしさで、おれのような卑怯で愚劣な存在にも明るい笑顔を振りまいてくださった。
差し出された片方の手にすがる思いで両手を繋ぐ。
もう大丈夫だ。このお方の言うとおりにしていれば、自分はきっと幸せな転生を迎えることが出来るだろう。
うなだれている惨めなおれの背中に天使様がそっと手を置く。
ただそれだけで欲望に穢れた魂がキレイに浄化されていくような気がした。
まぶしさに釣られて顔を上げる。
広がる視界に空から一筋の光明が差し込んできた。
おれたちはキラキラとした輝きに包まれ、天使の姿が光の中をゆっくりと浮かび始める。
彼女は繋いだ手をしっかりと握りしめ、こちらに向かって微笑んだ。
続けておれの体も天へと昇っていく。
「天使様、あなたのお名前をわたしにお教えください!」
感極まって相手の真名をたずねる。
おれはきっと、この少女を女神と
それがどこの異世界でも構わない。自分には女神様のご加護が備わっているのだから。
「あ。わたしですか? 転生サポートアドバイザーの『
は? 女神じゃないのか?
いや、それ以前に天使ですらない……。
「えっと。きみ、もともとは……」
「実はわたしも転生者なんですよ。この衣装はまあ、社長の趣味ですね」
社長ってなんだよ?
っていうか、この光ってどこに向かってるんだ。
「ちょうどいいところに回収用トレーラーが来てくれました。このトラクタービームに引かれていけば自動でセンターまで連れて行ってもらえます、ノボルさん。転生までの間、どうぞよろしくお願いします」
チトセがまぶしいくらいの笑顔で挨拶をした。
おれはと言えば、釣り上げられた魚のような気分で空を漂っている。
かくしておれの転生物語が始まった。正しくは転生までの長い長い物語だ。
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