第59話「格闘大会2日目午前の部」

 格闘大会開催本部。

 コロシアム内は初日の朝こそ準備に追われ、殺伐としていたが、2日目の朝は全員が余裕を持って迎えられていた。


 テーブルの上には差し入れである屋台の食べ物が散乱し、やり切った数名が書類をきれいに避けて眠りこけている。


 大会組織副委員長(委員長は領主オルナリス)のタリンズ。齢60の本業:建築家は冷え切ったお茶をゆっくりの呑み、眼下に広がるコムエンドの街を、そして街の中心部から、街に南に位置するこのコロシアムへ向かってくるまばらな人影を見下ろす。


 ある者は大あくびを浮かべ、ある者はきつく口を結びやる気に満ち溢れ、ある者は昨夜の酒が抜けきらない様子で頭を押さえている。


 透き通るような空気が肌にしみこむ空気の中、朝焼けに照らされる彼らはまさにこの祭り影の主役と言って過言ではなかった。


「早朝からこれだけの人の入りだと徹夜したかいが、2ヵ月以上準備に費やしたかいがあるってもんですね」


 その様に感想を漏らした彼は組織委員会の一番の若手のジムである。ジムは今年、村から口減らしという形でコムエンドに移住してきてタリンズの会社で働いている。


 今年に入ってもコムエンドは空前の好景気であった。領主婦人とエスティンタルの計画通りに空前絶後の発展を見ている。もとより20年計画で推し進めてきた食料政策と職人育成政策が功を奏し、領政府の販売戦略と愛まってコムエンド製品が街の外で売れしはじめたのが、3年前だ。しかし。物があふれると、金貨銀貨中心のいわゆる金の価値に依存した貨幣経済に異常をきたす。金本位制にあってこのような活況は容易に物価収縮(デフレーション)が生む。一度国政で弟(王)と共に四苦八苦した経験のあるエスティンタルは、弟(王)に再度危機が予測されていることを伝え、金貨の回収並びに金貨への金含有量を減らして再配布、流通量の増加製作を実施させた。

 これによって物の価値と金貨の価値の統制が整い、『意欲ある民が作れば作る程、既存の金持ちに足元を見られる買い叩かれ苦しい』不遇状態が抑制された。これによって新しいものが評価され正当な報酬が払われ購入した側も販売した側も笑顔の経済が回っていた。

 尚、国外との交換レートについては金含有量を減らした後も有利なレートでの交換がなされていた。それこそ金装飾関係の商人が海外金貨を購入して、原材料にしてしまうほどに。

 それほどまでに今、コムエンドの景気は沸騰していた。そしてそこに、ダンジョン中層でのビジネスが始まった。正直、領主婦人とエスティンタルはこの好景気が行き過ぎない様に税について減免措置を解除。高取得商会への増税を検討するに至っている。


 さて、そんな好景気に沸くコムエンドでは働き手の不足が発生していた。海外からくる人間については働かせることを禁止されていた。そんため、領主たちは周辺農村への支援と同時に人の誘導について策を巡らしていた。


 海外の人間を働かせることについては欠点がいくつかあった。1つ目にほぼ8割の確率でスパイもしくは活動家が入ってくることにあった。40年ほど前の戦争では、国境近辺に設置した異国からの逃亡者をかくまっていた村から敵の進軍を許してしまった。つまりは、敵を誘導し補給拠点とされてしまったのだ。1つ目はその教訓からにある。

 2つ目は奴隷である。この国は奴隷制を70年前に撤廃している。経済効果もあったのだが、戦争で死力を尽くして戦った奴隷部隊に(その当時は)誇り高い貴族達が大きな感銘を受け、彼らの庇護下にあった奴隷たちから教育を施し、自立可能な人間にしてから解放を行っていった。それは当時の高貴な者どもとって流行りの様な事となった。宮殿では「儂が教育を施し解放した何某というものが、我が領地で大層な施策を取り入れてな、収穫が増えたのよ」や「何々、我が領では誰もやりたがらなかった森林の開拓を行い耕作地が増えた」または「我が領では野草やキノコの研究を始めて、冷害や干ばつに強い資料を整えた者がいるぞ」という声が後を絶たなかった。

 自慢しているのはほぼ貴族たちが誘導、支援し、やらせたことではある。それは確かに部下や配下をうまく活用していると言う上に立つ者として、領主として誇れる成果である。その成果は領主や大商会の会頭などがこぞって競った。金持ちにとってのこの上ない見栄である。

 その見栄の文化が根付いて10年。次第に人攫いや奴隷商人は次々と職を変える。従来の経済的に困窮し『死ぬよりも奴隷になり生きる』ことを選んび自らを売っていた者達も、広がった耕作地で働く、または都会に移り商会で働くようになった。そこを頃合いと見た当時の王は奴隷制の廃止並びに奴隷の様に扱う事の廃止を宣言した。

 王の宣言について、実は後半が国民への大事なメッセージであった。

 奴隷制が根付いていた時代ですら、『家人同然にされる奴隷』と『過酷な労働を強いられる被雇用者』が大きな問題であった。前者は『大枚はたいて買った貴重な労働力』であるが後者は『契約に乗った使い捨ての安い労働力』なのだ。どちらが大切されるか一目瞭然であろう。

 当時の王は考えた『奴隷を排して、扱いの酷い民だけが残れば国が荒れる』。安い労働力とみなされてきた者達はその憤懣のはけ口を奴隷に求めた。雇い主たちも積極的に【見せる為に首輪をつけた】奴隷たちを連れて来ては『奴隷は大変だな。君たちは栄えある王国臣民、奴隷たちからすると君たちは幸せじゃないか』と夕食の内容が奴隷たちの食べ残し以下の食生活を送る安い労働力達にささやいていた。

 だから、単純に奴隷解放などしては【安い労働力】として虐げられるものだけが残る。いやその者達が大幅に増加する。そして国は数の多いそのもの達の不満が募り暴動となる。そして国は暴動に振り回され、他国に付け入られる深刻な隙をさらしてしまう。


 国の危機を想定した王はこの時、労働者への扱いに関する監視組織を史上初めて導入し、内乱防止に努めた。


 さて、何を言わんとしたかというと、貧しい農村から出てきたジムだが、労働時間はタリンズと同じ。更には無償でお祭りの手伝いができるほど、心と財布の余裕がある。という事だ。


「良い時代になったもんだ。昔は…………」


 タリンズの若い頃は、未だ底辺と呼ばれる貧しい層が多くを占めており。この格闘大会は『貴族・有力者により支援されたお抱えの強者たちが命をとして戦う壮絶な戦い』だった。開催中1/3は息絶えると言われた凄惨な大会だった。一度足を運んだタリンズはその壮絶さに涙した。隣で酒を呑んでいた男が劣勢になった選手を罵り殺気を向けている。それは一人や二人ではない。会場の半数づつがそれぞれの選手に叫び声をあげる。呑む、打つ、買う、という言葉をタリンズはその場で実感した。

 いつも真面目に仕事している男が、無理難題を主人から吹っ掛けられても努力している男が、この場で鬱憤をぶちまけるように酒を喰らい。選手たちに少ない金額だがばくちを打つ、そして女を買う。そんなことが公然を【その場】で行われていた。


 前領主は良い貴族であった。だが、民衆が行っている細かい事になど気付くわけもない。

 地方のトップが民衆のお祭りに長居などしない、いやできないのだ。彼はいい意味も悪い意味も領主であった。


 状況が劇的にかわったのは現領主、領主の令嬢を妻に娶る為に英雄になった男オルナリスが領主になってからだ、彼はこう言った『この祭りを妻と子と見に来れるように変える!』。


 タリンズは領主就任時、そして一年目の格闘大会の開会時にオルナリスが宣言した言葉を忘れない。

 ジムの世代は知らないだろう。伝えるつもりはあるがそれはもっと後のことだ。この幸せなお祭りは、少し前まで凄惨なお祭りだった。その歴史を伝えるのは。


 変えてくれたのはありがたいが………とタリンズは外の光景から室内を見やる。数名撃沈、数名眼が逝っている。そして数名辛うじて生きている。

 アイディアだけで丸投げって酷い。タリンズは『あれはこうだったらいい!』『ああ、ストレスになると祭りの勢いで喧嘩するから委員会ガンバ!』と言っていたオルナリスを想う。


 だが次の瞬間にはそれは苦笑いの感謝に変わる。


「親方どうしたんですか? ボケました?」


 思わず拳を振るう。


「年甲斐もなく徹夜して、この祭りっていいなぁと感慨にふけっていただけだ」

「いてて、親方。まだ1日しか終わってないんですよ。緩んだらダメです! という事で午後に向かって英気を養ってきます! 丁度交代が来たんで!」


 そう言いながらジムはふらつく足取りで、入ってきたメンバーに仕事。特に徹夜で作った資料を渡して部屋から出ていった。


「やっぱ、あいつダンジョンに放り込もうかな………」


 タリンズは元冒険者である。レベルとは便利なもので年を取ってある程度の老いが始まっても、それを補っておつりがくるほど体力や気力を充実させてくれる。


「ハイハイ、副委員長交代です。このままいたら領主様にこの委員会潰されちゃいますからね。とっとと、家に帰って寝てください」

「……わかった。そうする」


 タリンズはもう少しこの場の空気を堪能して居たかったが、後輩たちの押されて家に帰った。


「あれ? 帰ってきた」


 自宅に着くと嫁と娘と息子、それに従業員の若いのが出かける準備をしていた。


「お前らこれからか?」

「はい! 親方はゆっくりお休み下さい。寝てる最中のいい試合は後で実況付きで教えてあげます!」

「パパ! アユム見てくる!」

「へへへ、クラス20はアユムじゃないんだぞ。ビーバーって選手がすごいんだぞ……」

「ふーーーーーんだ。あたしが応援するんだからアユムがぜーーーーーったい勝つもん!」


 タリンズの娘と息子が年の近い選手が出ると噂のあったクラス20の話で盛り上がりながら出ていく。自分も見に行きたいなと思いつつも、湯屋で汗を流したタリンズはゆっくりと夢の世界に潜り込んでいった。


 その時アユムはコロシアム外に仮設で作られた選手控室に居た。

 受付が終わると、次々と選手たちが入ってくる。

 早々に参加者8名が揃う。アユムは自分の場違い感に冷や汗を垂らす。

 本来であれば、アユムの歳では参加不能である。だが、冒険者という事と師匠達の無茶で押し込まれている。アンダーすらアユムより年上であふれている。クラス20は20歳~30歳の範囲で強者がそろっている。故にアユムは場違い感が半端ないのである。なので自然と場違いは場違いの近くに収まった。


「凄い熱気ですね」


 アユムは、隣に座る自分よりも10cm小さな黒づくめの選手ビーバーに自然と声をかける。


『そうだね。でも、ワクワクするね』


 ビーバーは脇にい置いていた板を取り出すとペンで板に直接文字を書く。


「もしかして声が……」


 ビーバーは軽く魔法で板を濡らし文字を消し去ると続きを書く。


『ちょっと修行でね……治ると言われてるから気にしないで』


 ビーバは親指を立てて突き出す。

 アユムは『その板面白そう……』と早々に興味の対象を変えてしまう。

 そこで『うぉぉ!』と歓声が沸く。


「凄いな……何人来てるんだろう」

「この時間だと400人ってとこかな、熱狂的な奴と選手の保護者だ」


 思わぬ方から回答があったので思わずアユムはそちらを見てしまう。


「わりぃわりぃ、俺は地元だから結構詳しくてな、差し出口だったかな」


 頭をかきながらその黒髪の男は笑顔だがぶっきらぼうに言い放つ。

 男名はクラス20、第5会場代表者のパピである。


「いえ助かります。 ………! という事は僕たちの出番の時、もっと来るって事!?」


 その後、『村に人達全員集めてXX人だからそのY倍!? えーーーーー、それ以上………』とか混乱し始めたアユムに、その場の全員の緊張感が吹き飛んでいく。


 笑われたことにぶ然としたアユムは「皆さん、すっごい平然としてますよね……慣れですか? いいなぁ、僕も慣れたい」と言って更ににこやかな空気になる。

 期せずして和やかな空気になった控室に大会委員が入ってくる。


「では、パピ選手、ヒルデ選手、ビーバー選手、暗黒選手。試合が近づいてきましたので中に移動します」


 前の時間帯選手たちが立ち上がり出ていこうとしたので思わずアユムは声をかけてしまった。


「パピさん、ビーバーさん。頑張って!」

「おいおい、アユム。そりゃ俺達に負けろって言ってんのかい?」


 ちょっとだけ、試合の緊張感で少しだけ引っかかったのだろう、暗黒という名前の選手が軽口をたたき、不機嫌そうに肩をすくめる。


「あ、ごめんなさい。ヒルデさんも暗黒さんも頑張ってください!」

「ありがと、じゃ【ついで】組の俺達もそこそこ頑張ろうぜヒルデ」


 暗黒が飄々とそう言いつつヒルデの肩を叩こうとしてかわされる。


「死ね、セクハラ男」


 女性剣士ヒルデはそう小さく呟くと、アユムにぎこちない笑顔で手を振ると出ていった。

 残されたアユムは恥ずかしさにさらに隅に引きこもり顔を赤らめていた。


(((かわいい)))


 他の大人な選手たちはその姿に思わずほっこりするのであった。

 やがてアユムたちも試合会場の控室に移動する。

 アユムは前の組が居ることを少し期待したが、そこにあったのはビーバーが使っていた板だけだった。


 そこで大会委員から試合について説明があった。

 基本は1対1だが、対戦相手以外は攻撃不可。ただし、目くらましやフェイントには使用可能。


 アユムはその話を聞いて中々不思議なシステムだと思った。


「深く考えないで、時間が無いから2試合詰め合わせみたいなものですから」


 察した大会委員がのんびりとアユムに教えてくれる。

 そこから緊張ですぐに出番が来たような、逆に長時間待っていたような、不思議な感覚でアユムは試合会場に誘導される。


 試合会場に入ると前に試合の片付けをしている最中だった。選手たちはもちろん誰も居ない。誰が勝ったのかもわからない。

 アユムは少し残念になったが、すぐさまそれも消える。

 アルムは一周見回すと半数埋まった客席から、これまで経験したことのないほどの人数に見られていた。

 ピリピリと緊張感がアユムの背を伝う。

 歩く手足が一緒に出てしまう。

 そんなアユムに対戦相手のジェルノーが笑いながら指摘する。

 指摘されて初めて気づいたアユムは馬鹿正直に言ってしまった。


「歩くのってどうやりましたっけ……」


 ジェルノーは口を抑えてピクピクしている。そして『これが精神攻撃ってやつか』とつぶやく。同時に行う別試合の選手たちはジェルノーに慈愛のまなざしを送っている。


 会場もその可笑しな空気にきづいきそして、アユムがカチコチに緊張している事にも気付いた。

 そしてどこからか巻き起こるアユムコール。


 アユムは全方位に頭を下げた後、頭を抱えて小さくなる。恥ずかしいのだ。

 すぐさま会場から暖かい笑いが巻き起こる。


『おーい、アユムー。それ以上無様さらしたら、また、山籠もりだ・ぞ♪』


 解説のマイクからオルナリスの声が聞こえる。そして、『山籠もり』という24時間師匠地獄を思い出し、アユムの表情が一気に引き締まる。


「トラウマか?」


 すでに戦闘態勢に入ったであろうジェルノーがアユムに問う。


「はい」


 静かにうなずいたアユム。開始位置にたどり着いた後の醜態はすでに意識にない。


「祭りだ。お互い後悔ない様にやるぞ」


 そう言うとジェルノーの拳に赤い光が宿る。魔拳士とよばれる職業の技で魔纏に近い技術である。

 だが、それはダジルが見せた未熟な魔纏などよりも強固なものであった。


 ゆっくりと頷いたアユムは同じように拳に青い光を宿す。

 お互い見合い、うなずき合った。


 これは一撃勝負だと。


『青春大いに結構! ではクラス20準々決勝第3戦並びに第4戦開始だ!!!!』


 オルナリスの叫びと共にアユムとジェルノーはゆっくりを歩き出し、1.5mと近付くと互いの拳を突き出しあう。


 ガン!


 鈍器同士がぶつかり合う音と観客席にも届く衝撃。

 アユムとジェルノーは力をぶつけあっていた。

 単純に己の力を。


「不器用な戦いしやがって」

「俺達もやるか?」

「無理、こちとら戦術家なんでね!」

「奇遇だね。俺も駆け引きが得意なんだよ!」


 同一会場で行われていた試合もアユム達とは別の方向に動いていく。

 力をぶつけ合うアユムだが、ここでふっとオルナリスのいる貴賓席が目に入る。


 そして驚きで術の出力が上昇して、あっという間にジェルノーを弾き飛ばす。勢い良く会場の端から端に飛ばされたジェルノーはその衝撃で意識を手放してしまった。


 一方アユムはそのことを少しも気にかけないで叫んでしまった。


「アームさん! なんでいるのーーーーーーーーーー!」


 その声に気付いて白い駄猫竜は前足をあげて肉球を見せつけるようにひらひらする。

 その呑気な笑顔はまさに15階層のフロアニートのそれだった。



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