花語り

遊木 渓

花語り

 最初はそういうつもりじゃなかったのに、結果的にはまるで初めから自分が意図したようだった、なんて話はよく聞くよね。

 たとえば気になる子がどんな本を読むのかなと思って図書カードをこっそり見て、同じ本を借りていたらその本人に「僕もそれ読んだよ」なんて言われちゃって仲良くなれたりとか。

 そんな話を聞くと、やっぱり最初から狙ってたんじゃないかなと僕はよく思ってた。

 でもいざ自分が経験してみると、あれは本当に偶然の産物だったんだ、途中までは。

 これからする話は僕のちょっとした体験記。言い換えれば「棚からぼた餅」話。なんてね。




 僕の一番の友達は幼なじみのヒオ。宏人(ひろと)っていうんだけど、小さい頃は「ヒオト」としか発音できなくてそれを省略してずっとヒオって呼んでる。

 同い年なのに舌ったらずだった僕と違い、ヒオはちゃんと昔から僕のことを「小太郎(こたろう)」って言えた。

 そのときからもう力関係は決まっちゃっていたのかな。

 ヒオは小学校に上がる前から運動神経が抜群で、僕は置いていかれないようにするだけで精一杯。

 いつも外で遊んでるから二人とも日焼けして真っ黒だったんだけど、色黒は夏季限定の僕に対して、ヒオは冬場でも浅黒い肌をしてる。それがちょっときつい感じの顔立ちにはよく似合ってるんだ。

 でも僕ときたら昔から小さいし女顔、髪は踏み荒らされた雑草のような癖毛、その上、一人でいるとつい空想にふけっちゃうところがあって。

 みんなどうしてヒオが僕と仲がいいのか不思議がってるんだよね、口には出さないけどさ。

 自然にクラスを引っ張る役になる子っているけど、ヒオは正にそういう男の子だった。明るいし面倒見がいいし、先生も常に一目置いてるのがわかる。

 周りはそういう子に陰があるなんて想像しないんだけど、僕はヒオと昔からの付き合いだから彼の変化になんとなく気づいていた。




 それは、小学六年生のときだった。

 ゴールデンウィークが終わって最初の土曜日、ヒオの家へ遊びに行った。両親は仕事、中学生のお兄ちゃんは塾でヒオは一人で家にいた。

 いつもだったら外で遊ぼうという話になるんだけど、ヒオは僕の顔を見るとちょっとため息をついて「上がれよ」って言った。

 玄関から食堂に入り、そこは勝手知ったる他人の家、冷蔵庫から麦茶を出して飲みながら僕はテーブルの上にある物に目を留めた。

「これ、アジサイ?」

「うん、そう」

 赤に近いピンクの花びらをつけたアジサイの鉢植えが置いてあった。ヒオの家に花があるのは珍しいので、僕は興味を持ってヒオに尋ねる。

「おばさんが買ってきたの? きれいだね」

 するとヒオは「いや、俺」と意外なことを口にする。

 僕が目を丸くしているとヒオは続けた。

「もうすぐ、母の日だから花でも飾ろうと思って」

「へえ。でも、カーネーションじゃないんだね。おばさんの好み?」

「……日曜も、仕事だからさ。カーネーションだったら気をつかうだろうから」

 ヒオは頬杖をついてじっと花を見つめていた。その寂しそうな目で僕はぴんときた。

 ヒオのお母さんは今年からお仕事をしていて、休みが平日だからヒオと過ごす時間が減っちゃったんだ。ヒオは本当は母の日をお祝いしたいんだけど、一緒にいられないからカーネーションよりあからさまじゃないアジサイを選んだってわけ。

 火が消えたみたいなヒオの様子を見ながら、僕はいろいろと慰めの言葉を考えたけどいいものが思いつかない。

 でもアジサイを見てるとふわりと浮かんできた話があって、代わりにそれを話してみることにした。

「ね、聞いてくれる?」

「ん? いいけど」

 僕の呼びかけにヒオはふっと目を細めた。空想した話を僕はよくヒオに話すことがあったから、いつもの調子で返事をしてくれたんだ。

「えーとね、『色のないテントウムシの話』」

「色のない?」

「うん、羽がネズミ色なの」

「ふーん」




 むかしむかし、あるところに羽がネズミ色のテントウムシがいました。そのテントウムシは他の仲間たちに相手にされません。色がみんなと違っていたからです。

 みんなはきれいな赤い羽があるのに、ぼくはどうしてこんなにみにくいんだろう。

 テントウムシは今日も友達を見つけることができず、がっかりしながら空を飛んでいました。

 すると急に雨が降り出しました。テントウムシは雨宿りするところを探していましたが、アジサイを見つけたのでその花の上に降りることにしました。赤いきれいなアジサイです。

 花びらを見ながらテントウムシは一人寂しそうにつぶやきました。ぼくもこんなにきれいな赤い色だったらよかったのに。そうしたら、友達がいっぱいできて毎日楽しいんだろうな。

 やがて雨があがり、テントウムシはまた飛び立ちました。

 しばらく飛んでいると他のテントウムシたちが集まっている花畑を見つけました。いいなあ、楽しそうだなあと思いながら飛んでいると、そこにいたテントウムシたちが彼に話しかけてきたのです。

 君もこっちにおいでよ、おしゃべりしない? 楽しいよ。

 ぼく? ぼくを呼んでるの?

 そうだよ、君だよ。

 でも、ぼくはこんな変わった羽なのに……。

 変わってるって、どこが?

 そう言われてテントウムシは自分の羽を見ました。その羽はお日様の光を浴びてつやつやと赤く光っていました。

 さっきまでテントウムシが休んでいたアジサイの花びら、その一枚だけがなぜか白い色に変わっていました。


「終わり。……どう?」

「うん、面白かった。アジサイがテントウムシに色をあげたんだろ?」

 ヒオは目を上げてにっこりした。その笑顔にはお世辞なんか含まれてなかったから、僕はちょっと安心した。

「小太郎」

「なあに?」

「その……ありがとうな」

 人差し指でかりかりと頭をかくヒオは本当に照れくさそうで、僕もそれが伝染しちゃって、うつむいて「うん」と答えた。でも元気になってもらいたいっていう気持ちが通じたのはうれしかったんだ。

 繰り返すけど、そのときの話には別の意味なんか込めていなかった。ただ、ヒオとアジサイを見て浮かんできた話をしてみただけ。そう、そのときは。




 中学に入ってから僕は図書委員になった。元々本は好きだし、他の面倒そうな委員に当たるよりはましだと思ったから。

 うちの学校は昔ながらの図書カード方式で、貸し出し中の本と生徒のカードがカウンターの箱にたっぷり入っている。

 放課後のカウンター当番になるとよく見かけるのは、箱の中にある図書カードをこそこそと見る女子。あのさ、目の前に僕がいるってことわかってる?

 図書室に入ってきたヒオの顔を見て僕は軽く手を振った。ヒオも「よっ」と僕に声をかける。

 するとカード漁りをしていた女子はさっと逃げるように書棚へ行ってしまった。僕は内心くすりと微笑む。その反応でお目当てがわかっちゃったよ。

「これ、返却」

 と、ヒオが出したのはコナン・ドイルの短編集だった。有名すぎる探偵のことは僕も知っていたけれど、この本はまだ読んだことがなかった。名作文学とか文科省の推薦図書には手をつけていたけどね、模範的な図書委員として。

「ホームズなんて読むんだ。面白かった?」

「うん、足跡とか暗号とか楽しいぜ。小太郎も読んでみたら」

「じゃあ次に借りよっと」

 ……あ、さっきの女子さん、ごめんね。

 図書カードに「返却済」のハンコを押してヒオに渡すと、彼は「どうも」と受け取る。

 ひとつひとつの節が目立つ長い指。その指をじっと見つめていた僕は、名前を呼ばれて我に返った。

「……来ないか?」

「え、なに?」

「次の日曜、部活休みだからうちに来ないかって言った」

「いいよ」

 ヒオは頷くと図書室を後にした。彼は卓球部でこれから練習。身長が面白いように伸びるみたいで、買ったときは大きめだった学ランも違和感なく着こなしている。まだまだ袖も肩幅もダブダブの僕とは大違いだ。早く夏服に衣替えしないかな。




 約束した日曜、ヒオの家に行くとまた食堂のテーブルにアジサイが飾ってあった。それを見て僕は去年と同じなんだなと察した。

 今年のアジサイは青。五月の空のようなさわやかな青色。

 もうすぐ中間試験。僕はカバンから地理の教科書を出した。ヒオと問題の出しっこをしようと思い持ってきた。

 ヒオは炭酸入りのジュースをコップに注ぐ。シューッという小気味よい音に耳を澄ませていると、彼はちらと僕に目をやった。

「な、小太郎。今年はないの?」

「何が?」

「アジサイの話」

 僕はきょとんとした。まさか期待されてるとは夢にも思ってなかったからね。

 でもリクエストには応えたい。甘い液体を喉に流し込みながら、僕はヒオのために即興で話を作ることにした。

「じゃあね、『べっ甲飴の話』」

「べっ甲飴?」

「そう」




 あるお祭りの日、三歳くらいの小さな女の子はお父さんにべっ甲飴を買ってもらいました。棒の先に丸い大きな飴がついていて、その色に惹かれて食べたいとねだったのです。棒には美しい蝶の絵が描かれています。その絵も女の子は気に入りました。

 でも半分も食べずに飽きてしまい、ずっと飴を手に持っていました。

 女の子はお父さんに手を引かれて帰り道を歩いておりましたが、塀の上にいる猫に気を取られ、飴を手から離してしまいました。

 べっ甲飴は青いアジサイの上に置かれっぱなし。だけど喜んだのはアジサイにやってくる小さな虫たち。甘い匂いにひかれてやってきてはぺろぺろと飴をなめ、満足すると帰っていくのでした。そうして飴は少しずつ小さくなっていきました。

 月のきれいな夜、いよいよべっ甲飴は最後のひとかけらをなめられてなくなってしまいました。残った棒はぽとんと地面に落ちました。

 アジサイの花びらの上には、誰も見たことがないくらい美しいアゲハチョウがとまっておりました。蝶は月の光を受けて羽をきらめかせ、そして夜空へ羽ばたいていきました。




 僕はずっと青いアジサイを見ながら話をした。そして終わってからヒオに目を移すと、彼はにっと微笑む。

 その顔はやけに大人びて見えて、戸惑った僕は目をうろうろとさまよわせた。

「……小太郎」

「ん?」

「お前ってさ、お子様」

「なっ……人がせっかく話したのに、信じられない」

 大絶賛を受けるとは思ってなかったけど、ヒオのあんまりな言い方に僕はむくれた。

 ぷいっと体ごと顔をそむけて教科書をにらんでいると、ヒオは立ち上がって僕の隣へやってくる。

「ごめんごめん、話は良かったよ、サンキュ」

「……」

「でもさ、なんか足りない気がするんだよな」

「足りないって? たとえば?」

 ヒオは僕の首に腕を回して顔を寄せてきた。それくらいの接近なんて慣れっこのはずなのに、なぜか僕の心臓は動くテンポを速める。

「たとえば……蝶に恋した虫がいて、彼女に会いたい一心で飴をなめていたとか」

 恋、なんて言葉がヒオの口から出てきたことに僕は驚いた。

 その言葉は今まで僕が読んできた本にはうんざりするほどあったけど、それはあくまで架空の世界のできごとで、こんな身近なところにあるようなものじゃなかったから。

 心臓は、僕の胸で痛いくらいにがんばって動いている。

 ああ、もう少しおとなしくしてていいんだから。

「小太郎、来年も楽しみにしてる」

「う、うん」

 すっとヒオが離れ、僕は再び教科書を熱心に読むふりをした。もちろんご想像どおり内容は頭に入っちゃいなかったけどね。


 それからしばらくはヒオの顔を見るたびにあの日のことを思い出しちゃって。暗記しなくちゃいけない語句より「恋」の一文字ばかり頭にあるし、中間試験はほんとうに最悪。当然、ヒオのせいだなんて文句を言うこともできない。

 ヒオと同じクラスになれてあんなに嬉しかったのに、今はそれが恨めしいなんてどういうことだろう。

 表の自分は普段どおり仲良しの顔をしてるのに、裏の自分は出口のないふさがれた気分でいっぱいだった。でも、そんな気持ちは一時的なものだと思っていたんだ。




 夏休みに入っても、僕とヒオは小学生のときのようにしょっちゅう一緒に遊ぶことはなかった。ヒオは毎日卓球部の練習があったから。

 休みの間、午前中は図書室を開けていて、当番のときは僕も学校に行ったけどヒオに会うことはなかった。

 いや、会おうと思えばいつでもできる。体育館や部室にちょっと顔を出すだけ。でもそうしない自分が不思議だった。ヒオを嫌いになった、なんてことは全然ないのに。

 お盆が終わって休みが残り一週間を切ったある日、僕は最後の図書当番を終え自分の教室へ行った。

 学校に来る前に買っておいたパンを食べながら、借りたばかりの本を読もうと思ったんだ。お行儀の悪い話だけど。

 一年生の教室はどこもドアを開け放しにしていて、窓からの風が気持ちよく通り抜けていた。自分のクラスに入ろうとしたとき、僕は人の気配を感じて立ち止まった。

 窓際に白いジャージ姿のヒオが一人で立っていた。窓枠に日焼けした腕を乗せて軽くよりかかるような感じで。

 四角い枠の向こう、青々と茂った葉が風を受けて涼しげに揺れる。それを伏し目がちに眺めるヒオの横顔は、僕の全然知らない人に見えた。

 枝を離れた青葉が一枚、ふわりと部屋に入り込んできた。風の妖精のいたずら? なんて子どもっぽい想像を僕はする。葉が床に着地すると、乗っていた妖精さんは僕に目で合図をよこした。

 ――あっちに君を見ている子がいるよ。

 ――わかってるよ、うるさいな。

 僕はそうっと目を上げる。ヒオは顔だけこちらに向けて微笑んでいた。

 ほんの一ヶ月会っていなかっただけなのに、顔の輪郭も表情も、しっかりした肩幅や長い手足も、なにもかもが今までと違っていた。

 妖精さんは僕の胸に入り、ちくりちくりと針で刺し始める。

「小太郎、なんか久しぶり」

「うん……練習は終わったの?」

「ああ。小太郎は図書当番だろ? 行こうと思ってたのに、忙しくて全然だった。ごめんな」

 僕は「ううん」と首を振り、なんでもない顔をしてヒオのそばの席に座った。かばんからパンを取り出し一つをヒオに渡すと、彼は「サンキュ」と顔をほころばせて受け取った。

 僕はメロンパンを頬張りながら借りてきた文庫本を開く。

「それ、何ていう本?」

 ヒオが僕の肩越しに覗き込む。頬に彼の息づかいを感じながら、僕は表紙を見せた。

「星新一、『声の網』」

「どんな話?」

「電話を通じてなんでも頼めちゃう未来が舞台なんだけど、その電話をきっかけにいろいろ事件が起こるっていう話」

「へえ、面白そうだな」

「うん、最近この作家にはまってるんだ」

 本の話になって僕は少し落ち着いてきた。胸にいる妖精さんも、おとなしくなったみたい。

「次、借りていい?」

「うん、もちろん」

「今度から、小太郎の読む本を追っていこうかな」

「……え?」

 ヒオの顔に目をやると、意味ありげな流し目で返された。

「女子はよくそういうことするだろ? 図書委員なら知ってるだろうけど」

 僕は「さあね」と答えると顔をそむけ、パンにかぶりついて活字を追うふりをする。ヒオも顔を離しパンの袋を開け食べ始めたようだった。

 妖精さんたら、今度は真っ赤なペンキを僕の顔に塗りたくってる。もう、最悪。




 二年に進級して僕とヒオは別々のクラスになった。当然会う回数はぐんと減るんだけど、それが残念でもありほっとするようでもあり、複雑な気持ち。

 四月が終わりに近づいた頃、僕はヒオとの約束を思い出した。母の日に聞かせるアジサイの話。そういえばヒオは「来年も楽しみにしてる」と言ったはず。

 今年はどんな話にしよう。と、考えてもなかなか出るものじゃない。

 ええと一昨年が「色のないテントウムシの話」で、去年が「べっ甲飴の話」だったなあ。

 ――ん?

 僕はぱちぱちと瞬きをする。

 ――色のない……べっ甲……

 思いもよらない符合に、僕は気づいた。すると、次の話のタイトルと内容がするすると頭に浮かんできた。

 今年ヒオに聞かせる話はこれで決まり。

 そこに含んでるものを、彼は絶対に気づかないだろうけど。




 五月の第二日曜日。天気は快晴。

 外に出て僕は空を仰ぐ。真昼の白い月が僕を見下ろしていた。その月へウィンクすると、ヒオの家へ向かった。

 玄関で呼び鈴を押す前にヒオは僕を出迎えてくれた。食堂へ行くと、思ったとおりテーブルを飾るのはアジサイの花。今年はかわいらしいベビーピンク。

 アイスコーヒーをコップに注ぎながら、ヒオは「約束、覚えてる?」と僕を促した。僕は緊張しながらもにっこりと笑みを返す。

「もちろん。今年はね、『酔うのが好きなお月さまの話』」

「……へえ。面白そうだな」

 ヒオの期待に満ちた視線を受けながら、僕は話し始めた。




 お月さまは高い高い場所にいると思っているけれど、実はわたしたちの近くにいるのです。

 しかもこのお月さまときたら酔うのが大好き。お花見やお月見をしながら外でお酒を飲んでいる人を見つけると、その人がちょっと横を向いた隙に長いストローを伸ばしてちゅうちゅうと飲んでしまうのです。

 今日もまん丸の体でたっぷりお酒を飲んで、いい気持ちのお月さま。ふと下を見ると咲いたばかりの可愛いピンクのアジサイが見えました。

 お月さまは綺麗なお花も大好き。アジサイに気軽に声をかけました。

 こんばんは、いい夜ですね。

 あら、お月さまってお話ができるのね。

 アジサイが無邪気な様子で返事をすると、お月さまは満足そうに答えました。

 ええ。普段は無口なのですが、あなたのようなかわいらしい方を見るとついおしゃべりになってしまうのです。

 ふふふ、面白いお方ね。

 おやおや冗談ではありませんよ。わたしは酔うのが大好きなんです。お酒や美しい花にね。

 お月さまがそう軽口を叩くと、アジサイはくすくすとまた楽しそうに笑うのでした。


 かわいらしいピンクのアジサイをすっかり気に入ったお月さま。それから毎晩のように会いに行っては他愛のないおしゃべりをしました。

 でもある日のこと、アジサイはお月さまの姿が少しずつ変わっていることに気づきました。

 ねえお月さま。あなた、ちょっとずつ小さくなっていませんこと?

 ……とうとう気づいてしまったんですね。

 どういうことですの?

 実はあなたのおっしゃるとおり、わたしは一晩ごとに小さくなるのです。そしてあと数日も経てば消えてなくなってしまう。

 ――嘘よね?

 いいえ、嘘ではありません。だからせめて姿のあるうちに、あなたと楽しい時を過ごしたかったんですよ。

 アジサイはそれを聞いて悲しくなりました。夜毎の逢瀬もお月さまがなくなってしまうことを考えると、つらくて仕方ありません。


 そしてとうとう夜空からお月さまが見えなくなってしまいました。アジサイは悲しくて悲しくて、お日さまの光を浴びてもお水をもらっても元気が出ませんでした。

 ところがどうでしょう、次の日夜空には細い細いお月さまが見えるではありませんか。でも細すぎてまだ話はできませんでした。

 そして次の日、ちょっとだけ太くなったお月さまが陽気に話しかけてきました。

 こんばんは、アジサイさん。お久しぶりですね。

 ……うちにいるヤモリさんに聞いたわ。あなたは一度見えなくなっても、また少しずつ大きくなるんですってね。わたしのことを騙して、ひどいお方だわ。

 騙したなんてとんでもない。また会えるのを楽しみにしています、って言うのを忘れていただけですよ。

 どの口がそんなことをおっしゃるのかしら。わたしが怒っているのがわからないの?

 怒っているあなたもかわいらしい。わたしに会えなかったのがそんなに寂しかったんですか?

 図星をつかれたアジサイは黙り込んでしまいました。そんなアジサイにお月さまは軽くウィンクしてこう告げたのです。

 わたしは酔うのが大好きと言ったでしょう?

 お酒に綺麗なお花、そして恋に酔うのがね。




 話し終えた僕は軽くため息をついた。テーブルの向かい側に座るヒオを見ると、睨むような鋭い目でアジサイを見つめている。

 その顔がちょっと怖くて、僕は声をかけられないでいた。話が気に入らなかったのかなと心配になる。

「小太郎」

「うん?」

「すごく、いい話だったよ。お返しに俺からも話をしていいか?」

「うん、いいよ」

 表情一つ変えないでそんなことを言われても、ちっとも褒められた気分になれなかった。それに話ってなんだろう?

 いぶかしむ僕を安心させるように、ヒオはにこりと微笑んで話し始めた。

「むかしむかしあるところに、母の日のためにアジサイを買ってきた小学生がいました」

 がくっと僕は肩を落とす。

「それ、全然むかしの話じゃないよ」

「いいから黙って聞けって。――その子はお母さんがお仕事で家にいないのを残念がっていましたが、友達がアジサイの出てくるお話を作って聞かせてくれたのでとても嬉しくなりました」

 改めて言われるとさすがに照れるなあ。僕の表情からその気持ちを読み取り、ヒオはにやりとして話を続けた。

「次の年もその子はアジサイを買ってきました。そして友達にまたアジサイの話を作ってもらいました。そしてまた次の年も――」

「……」

「その子は自分で気づいていました。毎年アジサイを買うのはお母さんのためだけではなく、友達のお話が聞きたかったから、ということに」

「え、そうだったの?」

 僕はヒオの言葉に目を丸くする。ヒオはあきれ顔でつぶやいた。

「……そういう反応すると思った」

 これは喜んでいいことなのかな。ううんと悩んでいる僕を無視してヒオは話を続けた。

「そしてもう一つ、気づいたことがありました」

 気づいたこと? ――まさかね。

 ヒオは「ちょっとごめん」と立ち上がって電話台のそばへ行き、メモ用紙とペンを持って僕の隣へ座った。

「今まで小太郎はアジサイの話を三つ俺にしてくれたよな。話もタイトルもちゃんと覚えてる」

 そう言ってヒオはメモ用紙に今までのタイトルを書き出した。


 色のないテントウムシの話

 べっ甲飴の話

 酔うのが好きなお月さまの話


 並べられたタイトルを見て僕の心臓はどくんと脈打った。でも何でもないという顔をしてこくっと頷く。

 ヒオは確認するように僕の顔を見る。切れ長の目にとらえられ僕は心も体も固くなった。

「ここでちょっとしたお遊びをしてみようと思うんだ。軽い気持ちで聞いてくれよな」

 ヒオはタイトルの右側にさらさらとアルファベットを書き始めた。


IRONONAI TENTOUMUSHINO HANASHI

BEKKOUAMENO HANASHI

YOUNOGA SUKINA OTSUKISAMANO HANASHI


「このタイトルを全部ローマ字にしてみる。そして、それぞれ最初の文字をいくつか抜き出す」

ヒオはアルファベットに丸をつける。


IRO

BE

YOU


「このままだと意味がわからないから、RをLに、BをVに置き換えてみると……」

 ヒオはメモ用紙の空いてるところに一つの文を書いた。

 ああ、神様、仏様、アジサイ様――


I LOVE YOU


「どう? 暗号みたいで面白いだろ? なあ小太郎、これって偶然なのかな。俺のひとりよがりな思い込み?」

 このとき僕がどんな顔をしていたか想像できる?

 実際はアジサイよりずっとピンク色に染まった顔を見られたくなくて、うつむいたままだったんだけど。

 黙ったままなのが僕の答え、そう判断したらしいヒオは片手で僕の顎を支え、もう一方の手で目を瞑らせた。僕は、素直にそれに従う。

 そっと耳元で囁く声――。その言葉に心が浮き立つ暇も与えず、ヒオは何度も啄(ついば)むように唇を合わせてきた。


――ME TOO……




 それからどうなったかって? 野暮なことを聞かないでって言いたいところだけど、あれから一ヶ月、前とほとんど変わらない毎日を過ごしている。僕は図書委員でヒオは卓球部。それから学校の勉強もあってお互い忙しい。クラスが違うとなかなか会う機会がないんだ。

 変わったことと言えば、電話で話すことが増えたくらい。

 けど気に入らないのがさ、僕が最初から暗号のために話をしたってヒオが思っていること。途中までは偶然だって言ってるのに全然信じないんだ。うぬぼれるのもいい加減にしてって感じ。


 ――さて、来年はどんな話をしよう。


 喫茶店に飾られた

 名画の話


 うわ、これじゃ暗号になってないよね。

 タイトルを言った瞬間にまた啄ばまれそう。




   ――――了――――




◇最後まで読んでいただきありがとうございます。十年近く前に書いた短編ですが、こんなことを考えていたのかと自分でも少し驚きました。星新一の小説は自分も中学生の時にたくさん読みました。今は表紙の絵が変わって少し寂しいですが、ファンタジーぽくて良いですね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花語り 遊木 渓 @kei_lenlen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ