第129話

 ――シャンゲェ・モウが日本に来たのは、六年ほど前だ。

 それより前、中国軍に籍を置いていた時は、身体能力を評価され、国境付近を防衛する空挺部隊に所属していた。本来なら女性には荷が重いとされていた仕事だったが、経済発展に伴う職の男女差が少なくなったことと、中東方面の宗教的タブーを避けるために優秀な女性兵士が求められた結果だった。

 やがて同じ部隊に配属されていた男性と恋仲になり、結婚。妊娠を境に辞職した。

 だが、そこから悲劇が起きる。夫が任務で戦死したのだ。当時いたのが、中国、インド、パキスタンの三国が所有権を巡って争う、カシミール地方付近――三国間の関係を刺激しないように、その戦闘は秘匿された。

 結果としてしわ寄せを受けたのが、父の顔すら見ること叶わない我が子を腹に宿したモウだ。

 すでに両親は死去しており、頼れる身内もない。軍に所属していたのも、貧しい農村から出てきた自分がてっとり早く稼げる方法を求めた結果だった。経済成長の歪みが漂い始めた中国内で、身重で軍人以外の職務経験がない彼女が勤められる職場はない。

 悩んだ末、彼女は生まれ育った中国を離れ、誰一人知り合いのいない日本に来た。


「そこで国を出るという発想が、無茶苦茶ね」

 断片的に聞いた巴山はやまが呆れる。

「今思えば、バカなことをしたと自分でも思うわ。でも、無茶のおかげで運は向いた」

 シャンゲェ・モウ――望月もちづきかおりは笑う。

 その後、香月こうげつのぞみの名で日本国籍を得た後、当時MDSIの隊員をスカウトして集めていた勇海ゆうみあらた太刀掛たちかけひとしと出会った。紆余曲折の末、名前を変え、のぞむを無事に産み、MDSI所属となった。

「私は話したわ。貴女は?」

「残念ながら、私は貴女程劇的な過去があるわけじゃないわ」

 望月の問いに、巴山が応える。

「軍に所属して、国のために戦って、不都合なことがあってお払い箱――再就職先の警備会社が、実はテロリストのペーパー企業。よくあることでしょう?」

 望月は何も言わなかった。

「話すことは話した」

 巴山は無言の望月を見て、話を切り上げる。

「ここからは、言葉ではなく、拳で語る時間よ」



 会計を済ませ、二人は人気のない場所まで移動した。繁華街の外れの、遊具がとっくの昔に撤去された公園だ。まず誰も利用することはない。

「一つ言いたいのだけど」

「何か?」

 望月の言葉に、一応巴山が耳を傾ける。

「貴女には、テロリストを辞めるつもりはないのかしら?」

「……臆したのか?」

 巴山が眉間に皺を寄せる。

「いいえ。ただ、テロリストで終わらすには惜しいと思ったのよ」

 望月は巴山を諭すように言葉を紡ぐ。

「残念だけど、私は戦士よ」

 だが、説得は失敗に終わった。

「私はすでに荷担した身だ。もう後戻りは出来ない。一人の戦士として、最後まで戦うだけ」

 そう言って、巴山が己の武器を構えた。握った両拳の指先から、刃が伸びている。

 インド北部の民族が使っていた武器、ジャマダハル――別名、ブンディ・ダガー。刀身に対して垂直、鍔に対して平行な「H」型の柄を握ることで、拳の延長上に刃が来る設計になっている。メリケンサックの打撃部分に刀身を付けた、と言った方が分かりやすいだろうか。斬ることよりも刺すことに特化した武器である。

 巴山が右半身を前に出したボクシングスタイルで構えた。

 望月は言葉では無理と判断し、己の武器を抜いた。袖に仕込んでいた中国武術の暗器、匕首を各腕に一本ずつ構える。

 望月は足で地面を踏み締め、相手の出方を待つ。己からは仕掛けない。仕掛けるのはあくまでも相手の方が格下で素早い制圧をしなければならない時だけだ。

 今、目の前でジャマダハルを構える女は、明らかに強者だった。

 巴山が、ステップを踏みながら、円を描くように望月の周りへ動いた。

 望月も、そのリズムに合わせて向きを変える。あくまでも、軸足は固定し、片方の足だけを摺り足で動かしていく。

 どれだけ相対し合っていたか。

 ついに、巴山が焦れた。

 右手でジャブを放つ。ジャマダハルが握られている以上、軽いジャブでも急所を狙えば凶器と化す。

 望月は、左手の匕首で弾いた。

 続けざまに巴山の左手が動き、フックが放たれた。左拳に付いた刃が、望月の首に迫る。

 こちらも、右手の匕首で捌いた。

 反撃で、左の匕首で斬り掛かる。

 巴山は慌てず、自身の身に寄せていた右の刃で、斬撃をガードした。

 刃同士の衝突で火花が散った。どちらかの刃が欠けた可能性がある。

 さらに互いの刃が突き出され、立て続けに刃が激突し合った。

 巴山は大技を避け、フックやジャブでとにかく刃を当てて斬り裂こうとする。

 対する望月も、繰り出される斬撃をいなし、匕首をカウンターで振るう。

 どちらも、有効打を決められないまま、斬り合いを続けた。

「やるじゃない」

「そっちも」

 何合目かの打ち合いにて、互いに手を少し止め、言い合う。

 ここで、望月はこのままナイフ戦を継続するのは得策で無いことに思い至った。冷静に観察すると、あれだけ火花が散ったのに、巴山のジャマダハルは刃こぼれ一つ起こしていないことに気付く。

 完全に武器の差が出た瞬間だった。匕首はあくまでも暗器であり、真正面から剣と斬り合うのには不向きだ。

 望月は距離を取るために一度背後に跳んだ。

 その際に、右手の匕首を投擲する。

 巴山は喉へ目掛けて跳んできた匕首を、左の刃であっさりと弾き飛ばした。そのまま前進し、右拳を握り締める。渾身のストレートを放ち、望月を鋭い切っ先で貫く――そこまでのシチュエーションをすでに脳内で思い描いているのだろう。

 ここで、望月は左手に残っていた匕首も投げ飛ばした。

 巴山が、完全に虚を突かれる。まさか、両手の武器を両方とも投げるとは、普通は思わない。右のストレートのタイミングをずらし、咄嗟に左の剣で匕首を叩き落とす。

 望月は僅かに出来た隙を見逃さず、再度接近する。

 巴山が左手を引きながら、右ストレートを放った。

 しかし、タイミングをずらした結果、思った以上のキレがない。

 望月は、眼前に迫る右拳と刃を、身を低くして回避する。避けつつも右足を大きく出し、前進を止めない。

 ストレートを繰り出して伸ばし切った右脇に、望月の右肩が激突する。中国武術の体当たり「コウ」だ。

 この衝撃で、一瞬巴山の呼吸が止まる。

 さらに、望月は大技に繋げた。踏み込んだ右足を軸に、相手の頭を狙って左足で上段回し蹴りを放った。

 強烈な打撃音とともに巴山の体が錐揉みしながら宙を舞う。やがて、砂場に背中から落ちた。

「ぐっ?」

 追撃を掛けようと思った途端、蹴り足に熱を伴う痛みが走った。

 見れば、左臑の位置に刀傷が出来ていた。ズボンの裾が裂けており、傷口からは血が流れる。

 一方、頭に蹴りを食らったはずの巴山が問題なく立ち上がった。ダメージはそれなりに入ったらしく、頭を軽く振って立ち直る。右手のジャマダハルを振ると、切っ先から血の滴が落ちた。

 どうやら、蹴られるまでの一瞬で、伸びていた右手を戻し、蹴りの直撃を避けたようだ。おまけに、蹴られた瞬間に蹴り足へ一太刀浴びせていたらしい。

「きゃあああ!」

 突然、場違いな悲鳴が上がった。無論、二人のものではない。

 偶然通りかかった買い物帰りの主婦が、二人が流血している様子を見て声を上げたのだ。そのまま、何事か叫びながら走り去っていく。

 巴山がジャマダハルを血振りし、懐に納めた。どうやら、これ以上戦うつもりはないようだ。人が増える前に去ることが、示し合わせなくても共通の認識になったようだ。

「……命拾いしたわね」

「……貴女が?」

「言ってなさい」

 巴山が言い返し、

「決着は、また次回」

 と、その場を去っていった。

 望月は左足の傷口にハンカチを巻き付けて止血すると、落ちていた匕首を回収する。やはり、激しい打ち合いで刃こぼれを起こして使い物にならなくなっていた。

 望月は得物を仕舞い、左足を引きずるようにしてその場を後にした。

「……いいわ、いずれ決着をつけてやる」

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