第四十章 邂・逅

ふ・た・り



「え?ティセリアちゃん、椎名くん家に居ないの?」



 会津聖鐘高校、一年三組教室ーー。



 たった今終わった現国テストの答え合わせをしながら尋ねてきた真琴に、時緒は二度頷いて見せる。



「磐梯山の麓のペンション借りてさ?シーヴァンさんやリースンさん達と一緒に住んでるんだよ。母さんの友達の別荘なんだって」



 真琴にそう答えつつ、時緒は答え合わせを完了する。



「よし…!」と、時緒は小さくガッツポーズをした。



 現国テストは満点だ。英語は自身が無いが、それでも九〇点は取れるだろう。良い夏休みを迎えられそうだ。



「もし良かったら…?」今度は時緒が真琴に尋ねてみた。



「今日午前中で終わりでしょう?神宮寺さん、ちょっと見に行かない?付き合ってよ?」

「……へっ!?」



 "付き合って"


 いきなり時緒にそう言われ、真琴は垂直に飛び跳ねた。


 心臓がどくどくと高鳴り、祖父の喜八郎に新調して貰ったスペースチタニウム製の眼鏡が、滲み出てきた汗でずり落ちた。



「神宮寺さん?大丈夫?痙攣みたいに飛び跳ねて……」

「だっ、だだ、大丈夫っ!昔からの癖…!」

「……そんな癖あったっけ?」



 時緒の愚かなほど真っ直ぐな瞳を見直して、真琴は冷静さを取り戻した。


 そうだーー。


 なんてことはない。ただ単に一緒に付いて来て欲しいから言ったのだ。恋愛感情そういう意味ではない。


 若干がっかりした気持ちで、真琴は自分に言い聞かせる。



(椎名くんはそんなこと言わない)



 独り寂しく真琴は納得した。



「神宮寺さん?今日都合悪い?」

「う!?ううん!行く!行きたいです!!」



 真琴の頷きに時緒はぱちりと指を鳴らし、教室の何処かにいるだろう芽依子を探した。



「…………」



 芽依子は教室の一番前の席、佳奈美の席の前で、腕を組み険しい表情をしていた。



「姉さん、ティセリアちゃん達の所行く?」

「行きたいですが……今日は遠慮しておきます……」



 芽依子は時緒の誘いをやんわり断ると、机に突っ伏したままの佳奈美を睨め下げ続けた。



「佳奈美さん……?テストのお出来は?」



 芽依子の重苦しい質問に、佳奈美は顔を上げる。佳奈美は白眼を剥いていた……。



「……ヤヴァい……かも」



 渇いた声で言って身体を痙攣させる佳奈美に、芽依子は重苦しい溜め息を一つ。そして、きっと眼力を強めて時緒を見た。



「時緒くん、それどころか……私今日帰れないかもしれません……!」

「え!?」

「もう無理!我慢の限界です!私は!!」



 突如、芽依子は佳奈美の肩を掴む。



「佳奈美さん、今日佳奈美さんの家に泊まらせてくださいな!!」

「にゃ!?お泊まり会!?パジャマパーティー!?」



 佳奈美の瞳が輝きを取り戻すが、対する芽依子は凶悪犯を前にした裁判官の如き面持ちで否定する。



「そんな訳ないでしょう!テスト前の一夜漬けなんてあまりお勧め出来る方法ではありませんが……背に腹は変えられません!」



 其処からの芽依子の行動は早かった。



「今日一日!私は佳奈美さんのお家にお泊りして…佳奈美さんの勉強を見ます!ええ…!ええ…!禁忌の一夜漬けを敢行します!!」



 芽依子の宣言に佳奈美の顔は青ざめる。


クラス中から「本気か…!?」「いくら芽依子ちゃんでも…!」「いや…!彼女なら!」と驚愕の声が連発した。


 時緒も勿論驚いた。


 佳奈美の勉強を指導するなんて……なんて命知らずな……。



「芽依姉さん…!福島県のありとあらゆる家庭教師が匙を投げた佳奈美を……勉強を見るって本気!?」

「ええ本気ですとも…!このままでは佳奈美さんは落第必至です……!」



 戦慄する時緒と真琴が見守る中、芽依子は自分の席に戻ると、筆記用具やらノートやらをいそいそ鞄にぶち込んで帰る支度をする。


 そして佳奈美の席に戻り、佳奈美のいやに軽い鞄に、いやに軽い筆記用具や新品同然の教科書やノートを仕舞い、鞄を佳奈美に装着、勢い良く佳奈美の小柄な身体を抱き上げた。



「皆々さま!お先に失礼!!時緒くん!一応連絡はしておきますが、おばさまに一言言っておいてください!!」

「嫌にゃー!私も息抜きにティセリアちゃんとこ行きたいーー!!」

「黙らっしゃい!遊んでいる暇なんて無いんですよ貴女には!今日は私がみっちり勉強を叩き込みますからね!寝かせませんよ!?」

「ぎにゃあああああああ!?」



 すっかり気圧された一年三組生徒一同が棒立つ中、芽依子は嫌がって暴れる佳奈美を抱えたまま、つむじ風を巻き上げながら教室を出ていった……。



「……今日は、時緒くんのこと……お預けしますね!」

「ぇ…………!」



 すれ違いざまにそっと、真琴に耳打ちをしてーー。





 ****




 そして、帰り道ーー。



 時緒と真琴は二人きりで、磐越西線に揺られていた。


 二人の手には、会津若松駅近くのスーパーで買った菓子の詰まったエコバッグがある。ティセリア達への土産だ。



「伊織も正文も律も来れないなんて、日が悪かったかな?」

「そ、そんなことないよ。明日もテストあるし」

「それもそっか……」



 つい先刻、時緒が尋ねた途端、伊織も律も、正文もーー



「家の用事が」

「テスト勉強のし過ぎで頭痛が」

「今日は尾久羽おくう大学女子テニスサークルが泊まりに来る…!女湯を覗かんといかん…!」



 などと理由をかこつけて、態とらしい薄ら笑いで時緒と真琴を見送ったのだった。



「……変な奴ら」



 疑問に思う時緒の傍ら、真琴はそっと手を合わせて、察してくれた三人に礼をした。



「……椎名くん、ミルク飴舐める?」

「オッ!ありがたい!いただきます!」



 時緒と二人きり。凄く、久しぶりだ。


 真琴にとっては恥ずかしくも、幸福の時間だった。


 二人で話をして、二人で車窓を眺める。


 水田に植えられた稲穂は瑞々しい新緑の絨毯を形成し、その遥か先では雄々しい磐梯山が入道雲を背負っていた。


 夏の猪苗代。幾度も見た風景だが、今の真琴には一層色鮮やかに見える。



「夏休み、何しようか?」



 時緒が真琴を見て笑う。



「花火大会とか…、あ…!猪苗代湖に泳ぎに行きたい…かな?」



 そして真琴も微笑を返す。



「良いね!」

「芽依子さん達と郡山行って新しい水着買おうかな?あ、その時は椎名くん達男子組はお留守番ね?恥ずかしいから……」

「そんなぁ……」



 がたごと揺れる、二人だけの空間。



 "今日は、時緒くんのこと……お預けしますね"


 そう言ってくれた芽依子ライバルに心で感謝を述べながら……。



「椎名くん、キャラメルもあるよ?」

「いただきます!!」



 キャラメルを持った真琴の手と時緒の手が触れ合った。


 時緒の熱が細い指を介して、真琴の中へと流れ込んで来る。


 ーー真琴は、幸せだった。




 ****





 猪苗代駅から裏磐梯行きのバスに乗り込み、再び揺られること三十分ーー。



「帰りは母さんが送ってくれるってさ!さっきメール来た 」

「なんだか悪いな……」

「大丈夫、大丈夫!」



 時緒と真琴は【小野川湖入口】と印されたバス停で降りると、県道から逸れた白樺並木の下の轍道を並んで歩く。



(白樺の下で椎名くんと……。なんか……デートみたい……)真琴は思った。



(白樺といえば、ワイダ監督の『白樺の林』。あれは名作だ……)時緒は思った。



 夏の木漏れ日に淡く輝く白樺の幹。小道の脇を流れる沢には、純白のミズバショウが群生していた。


 やがて、時緒達は木製の看板を発見する。看板には達筆型に、【ペンション きたかわ】と彫り込まれていた。



「ここだ…!」



 看板の矢印通りに小道を進むと、やがて木々の向こうから二階建ての洋館が見えてきた。


 ダークグリーンの屋根に、燻んだワインレッドの煉瓦の壁。シックな色合いをしたその洋館は、原生林の中にそのシルエットの殆どを隠し、傍目には其処に建物があるとは気付かない。


 しかし、その目立たなさが逆に素敵だと、真琴は好感を持った。



(お洒落なお婆さんが住んでそう……)真琴はロマンチックに思った。



(恐ろしいシリアルキラーが潜んでそう……)時緒はホラーに思った。



 ティセリアは何をしているだろうか?シーヴァンやリースン達は何をしているだろうか?


 時緒はそんなことを思いながら、玄関の鐘を鳴らす。



「…………あれ?」



 ……返事が無い。


 時緒はもう一度鐘を鳴らす。


 ……矢張り、誰も出て来ない……。


 何かあったのだろうか……?


 微かな不安を覚えた時緒と真琴は、玄関の前でしばらく無言で見つめ合った。



「……いないのかな?」

「散歩してるのかも……」

「近くを見て回る……?」

「そうしようか?」



 時緒と真琴は洋館の周囲を、ついでに庭からを館内を確認してみようと、卯の花香る垣根に沿って歩き出しーー



「よく来たな…っ!」

「いらっしゃいませっ!!」

「いらっしゃいうゅ〜〜〜〜んっ!!」



 突然、垣根からシーヴァン、リースン、ティセリアの頭部がぬっと突き出して来た。



「「きゃーーーーっっ!? 」」



 これには時緒も真琴も仰天、二人は思わず互いに抱き合う。



「ぁっ…………!!」



 真琴の身体が一瞬で熱くなった。


 咄嗟のこととはいえ、まさか……時緒とこんなにも密着することが出来るなんて……!


 時緒の胸板の厚みを感じながら、真琴は幸福の絶頂に居た。


 二人きりで帰って、二人きりで裏磐梯の小道を歩いて……、そして今こうして……!


 かなり驚いたが……。


 今日は……なんて素晴らしい日なんだろう……!


 真琴はときめかずには、いられなかった。







 続く

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