怒りの獣神(ママ)
時緒は絶句した。
帰宅早々、家から見知らぬ大男が放り出される光景に遭遇しようとは、予想だにしなかったからだ。
しかし、我に返った時緒はそんな己を恥じる。
自分は戦士だ。エクスレイガのパイロットだ。戦士はあらゆる状況、戦況に、冷静かつ迅速に対応しなければならない。
「あたたた……」
大男は腰をさすりながら小さな呻きをあげているではないか。
困っている人を放って置くことは出来ない。例え不審者でも。それが会津男士である時緒の性分である。
「あの、もしもし?」
時緒は意を決して男に近付いた。一応、警戒は解かない。何かあれば、男の首に手刀を当て身して無力化すれば良い。
「大丈夫ですか?どこか打ちましたか?」
「ああ……大丈夫……大丈夫です。どうも……ご丁寧に……」
すると大男は、ぺこぺこと時緒に頭を下げながら起き上がる。
意外、図体は大きい癖に腰は低い。時緒はそう思ってしまった。
「よっこいしょ……。学生さんですか?イナワシロは矢張り良い所ですね。皆さん心優しく、」
「…………はい?」
「…………………」
突然、時緒と、大男との間に、変な静寂が訪れた。
時緒の顔を見た途端、大男はまるで凍り付いたように動かなくなってしまったのだ。
「…………」
否、よく見れば、大男は微か震えていた。
時緒を見つめながら、まるで生まれたての子鹿のように震えていた。
「……もしもし?」
「………………」
「……頭打ちました?」
「………………」
「警察呼びます?救急車呼びます?」
「…………」
時緒の問いに男は答えず、ただじっと、時緒を見つめるばかり。
段々怖くなってきた時緒は取り敢えず家に入って、何があったのか確認しようとしたが、
「時緒ォォォォンッ!!」
「んげぇぇっ!?」
突如男に抱き締められ、時緒は戦慄した。
男の万力めいた豪腕が時緒の一切合切を拘束する。凄まじい腕力だ。汗ばんだ大男の手が気持ち悪い。
混乱に泡を吹きながらも、時緒はふと頭の隅で疑問に思った。
ーー何故この大男は、自分の名を知っているのかーー?
「時緒!ト・キ・オォォ〜〜!!」
「ぐ、ぐるじい……!」
大男の荒い吐息がマスク越しに時緒へ降り掛かる。これもまた気持ちが悪い。
「こんなに……こんなに大きくなって……!」
「あなたの方がでっかいでず……!」
「元気そうだ!良かった!」
「元気じゃなくなりそうでず……!」
「俺は嬉しくて心臓が爆発してしまいそうだ……!」
「僕は心臓が潰れてしまいそうでず……!」
「辛いことは?困ったことは無いか?」
「今この状況が辛ぐで困ってまず!!」
十秒経ったか。
二十秒経ったか。
「おっと!す、すまない!俺とした事が!!」
やっとこ大男は、鼻水を啜りながらも時緒を解放してくれた。
時緒は圧迫されていた肺に思い切り空気を取り入れる。
吸い慣れていた猪苗代の空気が、これ程美味かったとは。時緒は少し感激した。
「けふっ!その腕力……只者ではありませんね……!?どこのどちら様ですか!?」
時緒は警戒心を最大にして大男を見上げる。
「そう……か。そうだったな……!最後に会ったのは、お前がまだ六つの時だった……」
大男は泣きながら、うんうんと、納得の首肯を二度繰り返した。
サングラスの下から涙が溢れ落ち、不織布マスクをぐしょぐしょに濡らしている。
「俺は……」
男が水分をたっぷり含んだマスクを外す。
シュワルツェネッガーばりの強面かと思いきや、端正な口元が現れたので、時緒は目が点になる。
「俺は……お前の……ちち、」
「させるかぁぁぁぁ!!」
突如、椎名邸内から響く真理子の怒号が、大男の言葉を遮った。
「ダイガァァァァ!こん畜生めぇぇぇぇ!!」
椎名邸の門戸を弾き飛ばし、真理子が現れる。
時緒は恐怖のあまり、気を失いかけた。
母真理子は顔を真っ赤にして、目を血走らせ、その身体からは、怒りの気迫が湯気となって吹き上がっていた。
****
佳奈美の実家、【焼肉屋 たぶち】は歓声に包まれていた。
「ハイ!芽依子ちゃん!特製巨大盛り冷麺完食〜〜!!」
赤児が五、六人は入りそうな巨大な椀を、エプロン姿の佳奈美がてきぱきと片付けていく。
「佳奈美さん、次です。特盛り焼きうどんを所望します」
凛とした表情で手を挙げる芽依子に、同席していた真琴と律はおろか、店を利用していた他の客も拍手を送る。
「良いぞー!お嬢ちゃん!」
「伝説だ……!猪苗代フードファイター伝説に俺達は立ち会ってるんだ……!」
「姉ちゃんが美味そうに食うから俺も腹減って来た……!佳奈美ちゃん!俺にも焼きうどん〜!!あとカルビとトンテキ!!」
「はいはーい!!」
店内には、人々の幸せそうな笑いが飛び交う。
「いやぁ!美味い美味い!あ!ハラミお願い!!」
「今日は暖かかったからビールが進む!」
「これでエクスレイガとルーリアの戦争があれば面白いんだけどなぁ!!」
芽依子の豪快な食べっぷりが呼び水となり、客達は競うように肉や料理を注文していく。
店は大繁盛であった。
「あっ!?」
突然、制服のポケットに入れていた携帯端末が振動を始め、芽依子は素っ頓狂な声をあげた。
端末の画面にはーー
【着信 父】
不満の混じった溜め息を吐いて、芽依子は端末の着信機能を起動させる。
「もしもし?お父様?こちらに来られるのならば事前に連絡をくださらないと困ります!まさかお兄様も一緒では……?……あぁ良かった。あの人が来たら余計面倒な事態に……」
『…………』
「なんですか?よく聞こえないです」
…………。
……。
端末を耳に当てる芽依子の顔が、みるみるうちに青ざめていった。
「まさか…!?ダイガおじさまが…!?」
****
「てんんんめぇぇぇぇ……よくものこのこと
まるで飢えた猛獣のごとき血眼で、真理子は再びへたり込んだ大男を睨み下ろす。
般若すらファンシーに見える、それはそれは恐ろしい形相だ。
迸るその怒気たるや、たまたま通りかかった野良猫は失神し、上空を舞っていたカラスはぼとぼとと墜落し、近所中の飼い犬が遠吠えをあげる。
怒りの熱量が気圧差を生み、真理子の周囲ではつむじ風が吹いた。
「か、かかか母さんんんん!?」
圧倒的な恐怖に支配され、反射的に電柱にしがみ付きながら時緒は真理子に呼び掛けるが、その声は、怒り狂う真理子の耳には届かない。
「マ、マリコ……落ち着くんだ!も、もう……俺は居ても立ってもいられず……」
大男は両手を広げ、降伏のポーズを取るが、真理子は怒りの形相を緩めることは無く、ゆっくり男へと歩み寄る。
ずしん、ずしん、真理子が歩を進める度に重苦しい足音が、時緒の恐怖を増長させる。
「私はなぁ……私にはなぁ……!どうしても許せねえことが二つある。一つは中まで煮えてねえ大根。もう一つはぁ……」
「マ、マリ、コ!落ち着い、」
真理子は鼻を大きく広げ、思い切り深呼吸をしてーー
「手前で交わした約束をぉぉぉ!手前で反故にする
世にも恐ろしい咆哮を夕空に響かせて、阿修羅と化した真理子は大男目掛けて手にしていたしゃもじを投擲!
「ひいっ!?」
しゃもじは大男の頭を掠め、がすん!と、側の電柱へ深々と突き刺さった!
「があああああああ!?『計画を遂行するまでは猪苗代に帰らない』って言った奴はああ!どこのどいつだああああ!!!!お前の忠誠心はその程度かうがああああああ!!!!」
もう駄目だ!
何が理由で母が怒っているかは分からないが……このままだと、あの大男は怒りの母によって生きたまま八つ裂きにされてしまう!
猪苗代を無駄な血で汚してはならない!
そう思った時緒は恐怖にすっかり縮こまった下半身を必死に御し、真理子と大男の間へと割って入る。
「時緒っ!?」
「時緒おお……!そこを退けええええええ!!!!」
閻魔大王と対峙する時とは、こんな感じだろうか。
失禁寸前、時緒は母の恐怖に懸命に耐えながら、大男を見遣った。
「逃げてください!」
「えっ!?」
時緒の言葉に、大男は首を傾げる。
「貴方と母さんの間に何があったかは僕には分かりません!しかし!貴方がどうかなるのを僕は見過ごせない!」
「と、時緒……」
大男の頬を、感動の涙が伝う。
「さあ!お早く!夕飯前のスプラッタは御免です!!」
「あ、ああ……!そ、そうだ!」
大男は慌てて頷くと、トレンチコートのポケットからカード状の物体を取り出し、それを時緒の手に半ば強引に握らせた。
「時緒!ギリギリまで頑張って……ギリギリまで踏ん張って……それでもどうしようもない時……!その時はこのカードを使いなさい!」
「な、なんですコレ!?」
「使い方は簡単だ!エクスレイガのディスプレイにこのカードを挿入するだけだ!起動音声は……【招来、ルリアリウム・カリバー】……!」
「カリバー……?ってか何で貴方が!?」
何故エクスレイガのことを知っているのか!?
時緒の問いに大男は答えもせず、その巨体を立ち上がらせると、颯爽とトレンチコートを翻す。
「ほんの少しだが……話せて嬉しかった!然らばだっ……!また会おう時緒!
そう涙声で呟くと、大男は猪苗代駅の方角へと走り消えていく。
揺らめき始めた街灯の、光の彼方へと……。
あの大男は誰なのか。
何故自分とエクスレイガの関わりを知っていたのか。
時緒は惑う。
しかし、不思議と嫌な気分ではない。
どこか懐かしい気分だった。
何故。何故。
「があああああああ!!待ちやがれダイガああああ!!」
原因不明の感傷に浸っている場合ではない!我に返った時緒は、必死に怒り狂う真理子を抑え付けた。
「母さん!母さん!天下の往来です!」
「退けええ!!時緒!!あんにゃろ!!息子可愛さに男気忘れやがった!許さねええ!!」
「母さん!怒りをお鎮め下さい!怒りを鎮めて山にお帰り下さい!!」
「誰が大魔神だああああ!!!!」
真理子の力は凄まじく、懸命に抑えようとする時緒をずるずると引きずり回す。
自分一人の力で真理子を抑えることは不可能だ。
時緒はひゅうと口笛を吹き、声高に叫ぶ!
「ご近所の皆さん!夕飯の準備時にすみません!母が乱心しました!!どうかお力をお貸しください!!母が乱心しました!!お力をお貸しください!!」
…………。
暫くして、近所の家々の戸が開いた。
「真理ちゃんがどうした!?」
「大変!真理子さんから湯気が!?」
「皆で取り押さえるんだ!」
「誰か!駄菓子屋のオババを呼んで来てくれ!!」
時緒の助けを乞う声に、颯爽と馳せ参じた近所の住人、その数実に二十余人。
「離せえぇぇぇぇぇあ!お前ら纏めてネギトロにするぞおぉぉぉ!!」
彼らの覚悟の働きによって、怒りの
真理子の怒りが鎮まり、正気に戻ったのは、およそ十数分後のことであった……。
続く
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